腰は抜けてるけど、首より上なら何とか動く。

 声がした方を振り向くと、一台の原付が猛スピードでこちらを目掛けて走ってきていた。


「────っ!」


 ハイビームが眩しい。

 そのまま原付は私の頭上を飛び越え、襲いくる大蛇と正面からぶつかった。衝撃で大蛇はたまらずひるがえる。反動で原付も乗っていた人もろとも数メートルは吹っ飛んだ。


「大丈夫ですか⁉︎」

「おいおい、人の心配をできるなんて余裕あるじゃないか。でも心配には及ばないよ」


 原付は少し離れたところに横転したが、半キャのヘルメットを被ったその人は受け身をしっかり取ったらしい。服に付いた土埃を払い、彼はすくりと立ち上がる。


「危機一髪ギリギリセーフってところかな? 遅れちゃってごめんね。原付だとあまりスピードが出なくてさ」

「……? ……⁉︎」

「ああ、そりゃいきなりのことで混乱するよな。でも詳しい説明を今ここでする時間もないから、まずはこの場を後にしよう。が怯んでる隙にね」


 何が起きているのかさっぱりだ。

 いや、そもそもこの人は誰なんだ。


 男はグレーのパーカーにジーパンといったシンプルな装いをしている。ヘルメットを目深まぶかに被っているせいで、はっきりとした顔は見えない。


「……僕は芳楼ほうろう仗助じょうすけ、君を助けに来た」


 私の心中を汲み取ってくれたのか、男はそう名乗った。

 身長はおおよそ180センチくらい。声の感じからして年齢は20代後半だろうか。


「それでお嬢ちゃんは?」

「は、はい?」

「名前だよ、名前」

「私の、ですか。私は──」


 名乗るべきだろうか。

 一瞬、言葉に詰まった。


 普通なら身元もわからない初対面の人に名前を教える義理もなければ、道理もないだろう。しかしそれはあくまで普通の場合。今の状況がそうじゃないことくらいは私にもわかる。


 それにどうやら助けに来てくれたっぽい。

 今はこの人の言う通りにして縋るしかないだろう。躊躇した私だったが、このコンマ数秒の判断を信じて言葉を続ける。


「──卯花うのはな麻代ましろです」

「ふぅん……卯花、ね」


 芳楼さんはヘルメットのを摘んで更に深く被り直しながら、私の苗字を含みあり気に反芻する。

 

「ど、どうかしました?」

「いや、何でもないよ。それよりも名前だと白のイメージ凄いね。白い花に真っ白ってまんま過ぎるでしょ。実家は豆腐屋さん?」

「ち、違いますけど……」

「そりゃそうだよねー! でも誕生日は4月6日だったり?」

「……違いますって」


 ……なんだこの人?

 名前の件はよく言われるけど、初対面でここまで露骨に小馬鹿にされるのはあんまりないぞ。助けてくれるっぽいから多少は目を瞑るが、3月14日生まれなのは言わないでおこう。

 

「さて。アイスブレイクのお喋りもこのくらいにして、一度ここを離れようか。奴が静かな内にね。……立てるかい?」

「す……、すみません。腰が抜けちゃって……」

「その様子だとそうだろうね。ほら、僕の手に捕まって」


 助けを借り、なんとか立ち上がる私。

 足は震え、全身に思うように力が入らない。心臓がいつもより早く拍動しているのを感じる。


「……ありがとうございます。でも今からどうするつもりですか?」

「さっきから言ってるだろ、ここから離れるって。別に僕としてはここでケリつけても良いんだけど、最近はコンプラとか言って上がうるさいからね。この道をずっと行った先に広域結界の張ってあるエリアがあるから、一旦はそこに向かおう」

「は、はぁ……」


 言っている意味が全然わからない。

 けれども今は黙って従うしかなかった。


 幸いなことに大蛇は芳楼さんのことを警戒しているのか、チロチロと舌先を出しているものの、こちらの出方を伺っているように見える。大蛇も大蛇で彼の登場に余程びっくりしたということだろうか。退散するなら確かに今がチャンスだ。


 ……しかしデカイな。

 改めて見ても大蛇のサイズは規格外で、その風貌からしてもとてもこの世のものとは思えない。

 

「あんまりジロジロ見るなよ。大人しそうにしてても目が合ったら襲ってくるかもしれないぜ」

「す、すいません!」

「とりあえず後ろ乗れる? 二人乗り用じゃないから狭いだろうけど、詰めればいけると思うんだよね」


 大蛇の尋常じゃなさに息を飲んでいると、いつのまにか芳楼さんは横転していた原付を起こして跨っていた。エンジンはかかっている。かなり派手に吹っ飛んだように見えたが走行に問題は無さそうだ。

 

「……失礼します、いや……よろしくお願いします?」

「くっくっく。どっちでも良いよ。振り落とされないようにしっかり僕に捕まっててね」

「は、はい!」


 二人乗りなんて自転車でもしたことがないので正解がわからない。

 言われた通り芳楼さんの腰周りに腕をグルっと回す。背後にお邪魔した私は彼に目一杯しがみついた。


「お、悪くない感触だ。Dくらい?」

「この状況で何を言ってるんですか⁉︎ セクハラですよ!」

「この状況だからだよ。今の麻代ちゃんにとっては非常事態かもしれないけれど、僕にとっちゃこんなのよくある日常の一部に変わらない。ちょっとした残業みたいなもんさ」


 言いながら芳楼さんは自身が被っていたヘルメットを私に被せてきた。

 彼の顔立ちが露わになる。なんて事のない普通の顔立ち。くせ毛気味のボサボサ頭と目の下のクマが少し特徴的なくらいだろうか。


「だから大船に乗ったつもりでいてくれよ。まあ、この原付はオンボロだがね」

「…………」


 助かるなら何だっていい。

 今はこの人を信じるしかないと思った私は再び芳楼さんにしがみつく。


「やっぱりE?」

「早く発進してくださいっ!」


 ……ほんとに大丈夫か?

 芳楼さんへの不信感がイマイチ拭えないまま、果たして私たち二人を乗せた原付は走り出した。

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