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「くっくっく。それで麻代ましろちゃんは、そのお店にあった本を片っ端から読み漁ってったわけだ。パワープレイにも程があるだろ」


 ここは最寄り駅近くの雑居ビル、その4階。

 芳楼ほうろうさんはここを事務所として構えているようだ。呼び出された私は物色も程々にし、ソファーに腰掛けてを話をしていた。


「聞いたところ、その店ってそこらの図書館より本が置いてあるんだろ? そんな中から隠し山羊を見つけるのは随分と時間がかかっただろうよ。くっくっく」

「笑い事じゃないですよ、こっちは死ぬ気だったんですから! 私が何冊読んだかわかりますか⁉︎」

「うーん、100冊くらい?」

「しめて1673冊ですよ! 最後の方なんてページのめくり過ぎで指紋が無くなるかと思ったんですからね⁉︎」

「かっかっか──!」


 抱腹絶倒とはまさにこのこと。芳楼さんは笑い涙をこれでもかと流しながら椅子から転げ落ちた。

 この人はあの場にいなかったから呑気に笑っていられるけれど、当事者としてはこの反応に怒りを覚えそうになる。というか覚えてる。普通にムカつく。

 あの日の自分は本当によく頑張った。当分は本がちょっとしたトラウマになりそうだし、しばらく夕凪に近づくことはないだろう。


「……くっくっく。でも麻代ちゃんが無事で良かったよ」


 ひとしきり笑い終えた芳楼さんは続ける。

 笑い涙を指で拭いながら。


「それに僕がいないのにモノノ相手によくやった。過程はどうあれ、結果的に君とその友達は何ともなかったんだ。大したもんだよ」

「ま、まあ、芳楼さんのヒントがあってこそでしたけどね」

「僕のヒントなんて些細なもんさ、謙遜することはない。これは歴とした麻代ちゃんの功績だよ」

「ちょ……、そんな急に持ち上げないでくださいよ! なんか小っ恥ずかしいじゃないですか!」


 褒められると照れてしまう。

 私もちょろい女だ。


「でも本当に大変だったんですよ? たまたま1673冊目で見つかったから良かったものの、運が悪いとお店にある本を全部読む羽目になる可能性だってあったんですから」


 どうやらあの日の私の推理は当たっていたらしく、隠し山羊は本のページとページの間──それこそ行間に隠れていた。事態はそれからトントン拍子に進み、私としぐれは無事に夕凪から脱出することができたのだ。

 しぐれが今回の件を本心でどう思っているのかはわからない。けれども彼女なりにはプラズマ的な何かということで納得しているらしい。……恐ろしい順応力と底無しの素直さだ。引き気味に感服する。


「僕としてはやっぱり君に即戦力の見込みがあったようで何よりさ。デビュー戦は上々、期待の新人だ」

「……でもまあ、あんな経験は二度としたくないですけどね」

「そう悲観するなって。今回の経験も、近い将来きっと役立つだろうからさ」


 そんな将来は切実に来て欲しくないなぁ。

 出してもらったジュースを飲みつつ、心の底からそう思う。


「しかし夕凪を出たときは驚きましたね。私たちは隠し山羊を見つけるために三日間は本を読んでいたというのに、外の世界はまるで時間が進んでないんですもん」

「それは店内が外とは隔絶された異空間になっていたからだろうね。あの日は平日だったし、次の日も大学だったんだろう? ちゃんと出席できて良かったじゃないの」

「そういう問題じゃありませんよ。もし閉じ込められたのが夕凪じゃなかったら危うく餓死してたかもしれないんですから」


 あそこが飲食店で助かった。幸いにも食料は冷蔵庫にたくさんあったし、冷暖房も使えたから快適さはそれなり。変なところで精神をすり減らさずに済んだのはかなり大きいだろう。まあ、指はこれでもかとすり減ったけど。


「そういえばてっきり名前ばかりと思ってましたけど、隠し山羊って本当に山羊みたいな姿をしてるんですね」

「モノノ怪は僕らが認識することによって成り立つ存在みたいなもんだからね。時代の背景や風俗、流行なんかで付けられた名前によって、その姿形を変容させるものが大半さ」

「えらくご都合主義なことで」


 あいつは山羊は山羊でも紫色だったけどな。

 つーか、足は8本くらいあった。しまいには『オスッ、オスッ』と鳴くもんだから、疲弊し切っていた私は発見時に変な笑いがこみ上げて来たもんだ。まるで柔道部じゃないか。


「それにしても本当にアレで祓えたんですかね? ほら、言われた通りに『見つけた』って指差しただけなんですけど私」

「祓う、じゃなくて導く、ね。似てるようで意味は全然違うから気をつけて」

「は、はあ」

「それで言うとしっかり導けてると思うよ。あの空間から抜け出したのが何よりもの証拠さ。ただ、僕は麻代ちゃんしか見れてないから断言はできない」

「?」

「麻代ちゃんを見る限り、隠し山羊に取り憑かれた形跡がないんだよね。あの日からそう日数も経ってないことだし、綺麗さっぱり消え落ちたというのも考えにくい」


 腕を組みながら遠目を見るように目を細め。

 芳楼さんは話を続けた。


「たぶん取り憑かれたのは麻代ちゃんじゃなくて、その友達の子の方じゃないかな? もともと隠し山羊が出現しやすい環境だった店内に、モノノ怪を引き寄せてしまう麻代ちゃん。この二つの要因が重なり合ったところで奴は現れ、麻代ちゃんよりもそこに居合わせた友達に取り憑いた──という筋書きなら合点はいく」


 ん? どういうことだ?

 つまり、隠し山羊は私じゃなくてしぐれに取り憑いていたってこと?


「モノノ怪ってのは基本的に誰かれ構わず取り憑くもんじゃないんだよ。簡単に言うと、大体はそいつが持つ特性や性質とそのときに最も近しい人間を選んで取り憑くんだ」

「夜が好きな……暗いところが好きな私がくらやに狙われたみたいにですか?」

「麻代ちゃんの場合はちょっと例外なんだけど、まぁそういう認識で合ってるよ。だから隠し山羊は、君よりも友達の子の方が性質上近いと感じたんだろうね」


 ……隠し山羊の性質?

 なんだろう、捻らずに考えてみると何か隠し事があるとかだろうか?


「で、でも私だってそいつには隠し事してましたよ。現にモノノ怪のことや芳楼さんのことは誤魔化してましたし……」

「それは隠し山羊が現れてからの話だろ? それよりも以前から彼女のがずっと隠し事をしてたんじゃないかな」

「そ、そんな……」

「導いたあととなった今、僕らには可能性を推測することしかできない。答えは隠し事をしている本人にしかわからないよ」

「…………」


 あのしぐれが隠し事だと?

 底抜けに素直で単純な奴だと思ってたもんだから信じ難い話だ。


「誰にだって隠し事の一つや二つあるだろうさ。何もおかしい事じゃないよ」

「で、でもっ」

「案外その子も食わせ者だったってことだ。女の子らしくて良いじゃないか、くっくっく」


 芳楼さんはまた他人事だと思って笑う。

 こっちは掛け替えのない友人だと思って全幅の信頼を置いていた奴

が、とんでもない爆弾を抱えているかもしれないのというのに!

 

「……もう良いです、私はこれ以上考えるのをやめます! どうせ全部憶測の話ですしね!」

「うん、それが良いだろうよ。これからもその子とは仲良くやんな。学生時代の友人は一生もんだからね」

「言われなくてもそのつもりですよ! というか今日私を呼び出した用ってなんなんですか? 印鑑を持ってこいとかどうとか今朝の電話で言ってましたけど」

「ああ、そうだった。すっかり本題を忘れるとこだったよ」


 言いながら芳楼さんは机の引き出しから。

 何枚かの書類を取り出す。


「じゃあこの雇用契約書を読んだ上で問題なければここにね、住所と氏名、それと印鑑を押してくれたら良いから」

「はい? なんですかこれ?」

「ウチはそこそこの株式会社だからね。働くには法律上それなりに手順を踏む必要があるんだよ。36協定とかもあるから残業も程々にね? 僕が怒られちゃうから」

「……ちゃんとしてますね」


 導師ってのは意外に法を遵守しているらしい。

 福利厚生が充実していると嬉しいのだが。

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