ププ
モノノ
それは古来より民間信仰で語り継がれてきた、妖怪や怪異、あやかしの類。奴らは私たち人間に取り憑くことで災いをもたらし、時には死に至らしめることもある。
ところがそんな超常的な存在なモノノ怪も。
科学全盛期の現代では完全に空想のものとされており、それがオカルトの域を出ることはない──が、しかし。
私は知っている。
今もなお、奴らは
「──
「……『今日は』じゃなくて『今日も』の間違いじゃないですか?
とある仕事の帰り道。
夜のバイパスを走る車の窓から吹き込む風は勢いが強く、助手席に座る私の髪を無造作に掻き分けていく。少し鬱陶しいがゴムで結ぶほどではない。仕事終わりの達成感もあって吹き抜ける風が気持ちいい。
「くっくっく。そりゃ悪いことをした。お詫びにドライブスルーで良ければ奢るからさ。そうムスッとせずに機嫌直してよ」
「ほんとですか! じゃあこの道をまっすぐ行った先にマックあるんで寄ってください! あと手前にスタバもついでにお願いします!」
「……君は本当に遠慮という言葉を知らないね。いや、それが麻代ちゃんの良さなんだけどさ」
「芳楼さん相手に遠慮するだけ無駄ですからね。私も大学ではもっと控えめですよ? あと危ないんでハンドルは両手で持ってくれますか。深夜とはいえ車通りも多いんですから」
「へいへい」
言いながら彼は窓枠から外に放り出していた右手をハンドルに添える。思えばこのやり取りも何回目だろうか。きっと数分も経たぬうちに、その右手はさっきの位置に戻るだろう。
「事務所に戻るまでが仕事ですよ。最後まで気を抜かずに行きましょ」
「くっくっく。麻代ちゃんも言うようになったもんだ」
この仕事は常に危険と隣り合わせ。
せっかく今日もなんとか無事に終えられたのに帰り道で事故ってしまっては元も子もない。そうじゃなくてもこんな可愛い私の顔に傷でも残ったらどうしてくれんだ。
「スタバ混んでそうなんでモバイルオーダーしちゃいますけど、芳楼さんは何にします? ひと口欲しいんで私のと違うやつにしてくださいね。何ペチーノが良いですか?」
「僕フラペチーノしか選択肢ないの? アラサーにもなってくると甘いのきついんだけど」
「じゃあサンドイッチとかどうです? そんで私に半分ください」
「……マックも行くんだよな? 食べ過ぎじゃない?」
「今日はお昼もまともに食べてないですからね。お腹空いてるんですよ。
燃費悪いんだよな、あれ。
だいぶコントロール出来るようになってきたけど、終わったあとの疲労には未だ慣れない。
「確かに今日は時間に余裕なかったもんな。まったく上も人使いが荒いよ」
「人使いの荒さなら芳楼さんも負けてませんって。というか私以外のバイトも雇いましょうよ。バイトが私ひとりってのがそもそも間違いなんですよ」
「そうしたいのは僕も山々なんだけどね。基本的にウチってバイトは採らない主義だからさ。わかってると思うけど麻代ちゃんが特別なんだよ」
「…………」
特別。
そんなことを言ってもらえると聞こえは良いが、その言葉がそういう意味じゃないことは私が一番わかっている。
例外、異質、イレギュラー。
きっとそんな言葉の方が、私にはずっと適当だろう。
「そうじゃなくたって僕んとこみたいな
「なんですか、脅しですか! あと貧乏は余計です!」
「やーい、ボロアパート! 洗濯機外置き! ユニットバス!」
「ちょ、ほんとに失礼だぞ⁉︎」
つーか、なんでユニットバスなの知ってんだ。
一度も部屋にあげたことないのに……。
最近になって芳楼さんのこの感じにもだいぶ慣れたけれど、たまにセクハラ紛いの発言もあるもんだから看過できない。……はぁ。いつものように私をおちょくって遊ぶ彼を見てため息をこぼす。
「そういえば今日で麻代ちゃんがウチで働き始めて3ヶ月じゃない? 僕の記憶違いだったら申し訳ないけど」
「……あー、確かに言われてみればそうですね。もうあの日からそんなに経ったんですか」
思い出す。
モノノ怪を知らなかった私が、この世界に踏み入れることになってしまった日のことを──
「どうしたんだよ、目なんて細めちゃって。サイドミラーに老眼みたいな顔が映ってるぜ」
「人が感慨深くなってるときに茶々入れるのはやめてください。野暮ですよ」
「ああ、今から回想に入るのね」
「…………」
うん、あながち回想でも間違ってないけどね?
モノノ怪よ そこのけそこのけ 私が通る。
それは、私が成長していく物語──
「胸が?」
「ほんと黙れよ」
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