10
「……今の電話、誰からなの?」
芳楼さんとの電話を切ったあと。
ソファー席で泣きべそをかいていたしぐれが、むくりと起き上がって私の方にやってきた。目の周りがほんのり赤く腫れている。
「ああ、ええと……ただの間違い電話だったよ」
「間違い電話⁉︎ 話してる内容はよく聞こえなかったけど、結構盛り上がってたよね⁉︎」
「……うん、盛り上がるタイプの間違い電話だったね」
「そんなのあるの⁉︎」
声を大にするしぐれ。
流石に無理があったか?
「そっか……そういう間違い電話もあるんだね」
いけたわ。
なんなら手を叩いて納得しちゃってるわ。
「しぐれがそれで良いなら良いんだけどさ、私は……」
小声でボソリと呟く。
頼むから変な男には引っかからないようにしてくれよ? つーか、圏外なのに着信があったことには疑問を抱かないのね。その方が私も楽で助かるんだけどさ。
「まあでも、今の電話からこの状況を脱する有益な情報を得られたから安心して」
「ほんとに間違い電話だったの、それ⁉︎」
「うん、間違い電話」
なんなら
とは言え彼からヒントを貰ったのも事実だ。
『──隠し
電話の後半。
芳楼さんはそんなことを言っていた。
「かくれんぼ、ね」
つまりはこの夕凪中を探し回って、その隠し山羊とやらを見つければ良いってことだ。この前みたく腕っぷしが必要な展開ならどうしようかと思ったが、かくれんぼなら確かに私にもどうにかできそうな気がする。
「それでマッシー、私はどうしたら良いの?」
「そうだね、しぐれにはとりあえず──」
あれ、なんて説明しよう?
狭い店内だから私ひとりで隠し山羊を探しても良いけれど、人手はあったに越したことはない。そうでなくても店の勝手はここで働いてるしぐれのが詳しいんだ。協力を仰がない手はない。
とは言えここまで誤魔化してきた上で、芳楼さんの話を彼女にうまく伝えられるだろうか。私はそんな口達者じゃないぞ……。
言葉に詰まる私だったが、四の五の言ってられる状況でもない。ここはしぐれの単純さを信じて、要所要所をぼかして上手い感じに言うしかないな。誤魔化しきれなかったらそれまで。そのときは正直に全部話そう。
「えーと……この店内のどこかにヤギっぽい……プラズマ的な? ……そんな何かが潜んでるらしいから、そいつを見つけ出して欲しいんだよね」
「ヤギ? プラズマ?」
「……はは、なーんちゃって」
全然無理だったわ。
自分でも言ってる意味わからんし、後半なんて笑っちゃったよ。
「よくわかんないけど、わかったよ! ヤギっぽいプラズマ的な何かを見つければ良いんだね!」
「お前マジか」
いけたわ。
なんなら額に手を当てて探し始めたわ。
「そのヤギって指笛とか吹いたら出てくるかな?」
「それは知らん」
「じゃあ吹いてみるね──ピィーー!」
「…………」
やるべきことが見つかり、悲観するしかなかった状況に希望が見えたことでいつもの調子を取り戻したしぐれ。こいつが元気なら私はそれで良いんだけど。
適応力というか鈍感さというか何というか……こういう人間が大物になったりするんだろうな。彼女の底知れない何かに圧倒される。
「ほら、マッシーもボサッとしてないで探してよね。駅前のスーパーが閉まるまでに帰りたいんだから」
「もう私はお前のが怖いよ」
切り替えすごいな!
この状況でまだ生姜焼き作るの諦めてなかったんだ⁉︎
初めてモノノ
「どうしたの、おしっこ我慢してるの? トイレなら奥にあるから行って来なよ」
「ん、まあ今日はコーヒーを飲みすぎたし、一度すっきりしてから私もヤギ探しに取り掛かろうかな」
緊張で気づかなかったけど、確かに少し催してる気がする。そりゃ4杯も飲めば溜まるもんも溜まるって。
言われた通りトイレをお借りしてすっきりした私は店内に戻り、しぐれと協力して隠し山羊探しを始めた。
まずは机や椅子の下。それから食器棚や本棚の陰も怪しい。奴のサイズや見た目の見当がつかない手前、少しでも隠れられそうなところは隈なく探していく。
「更衣室にはいないよ」
「冷蔵庫にもいなーい」
「トイレはさっきマッシーが見たもんね」
「そうだね。食洗機にもいないわ」
「鍋の中とかは?」
「それはさっき私が見た」
そんな調子で数時間が経過した。
めぼしいところは全部探したつもりだが、一向に隠し山羊が見つかる気配はない。ゴミ袋の中身を漁ってみたり、グリストラップの中も探した。もちろん夕凪の売りとも言える、膨大な量の本も一列ずつ棚から出してみたさ。けれども奴はどこにもいない。
「……いったいどこにいるってんだよ」
このままじゃキリがない。
一度状況を整理しよう。
まず大前提として、隠し山羊はこの店内のどこかに隠れているのだ。これは芳楼さんが言っていたから間違いない。彼が嘘を言っている線も完全には捨てきれないが、今その可能性は考慮するのは無駄だろう。考えても答えは出ないからな──それよりも。
『アテもなく探すだけだと苦労するだろうがね』
この言葉の意味をもっとしっかり考えた方がいいな。
あてっずぽうじゃダメなんだ。きっと意識しないとわからないような場所に隠し山羊は潜んでいるのだろう。
あくまで奴は隠れているのであって消えたわけじゃない。つまりどれだけ隠れる技術に長けていても、身を潜める場所が無くなってしまえば隠れることもできないはず。
そこまで考えて私は、
「まさかな……?」
と言いながら夕凪の店内を見渡す。二人で無我夢中に探し尽くしたもんだから、店内は備品で溢れかえっていた。後片付けにもかなり骨が折れるだろう。それだけしっかり探したんだ。
隠し山羊というモノノ怪がどれだけの大きさなのかは知らないが、そいつが隠れられるような場所は一見もうなさそうに思える。
「それでもまだ探してないところと言ったら──」
机やカウンターに山のように積み上げられた本の中、とかだろうか。
モノノ怪は超常的な存在だ。そんな奴らが本の中にその身を潜めてもあり得ない話じゃない。それこそ物陰のような物理的な隙間ではなく、文章の行と行の隙間である行間に隠れている可能性は?
「……ゴクリ」
息を飲む。
それから一呼吸おいて覚悟を決めた私は、目の前にあった一冊の本を手にとった。
「マッシー⁉︎ こんな状況でも読書するつもり⁉︎」
「こんな状況だからだよ。今から私は夕凪にある本を全部読むつもりだから」
言いながら一冊目の本を開く。
芳楼さんならもっとスマートな方法もあるかもしれない。しかし、不肖私には本の隅々まで目を通し、隠れられる場所を
「えーと、ここに何冊の本があるかわかってる?」
「大丈夫だよ。ほら、私って読むの早いじゃん?」
「確かにそうだけど……」
今夜も長い夜になりそうだ。
どうやら眠る余裕はないだろう。
「たくさんコーヒーを飲んでおいてよかったよ。おかげで全然眠くないもん」
私は自嘲的な笑みを浮かべてそう言った。
一冊目を読み終え、二冊目に手をかけながら。
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