に関しての知識はからっきしだ。

 しかし記憶に新しい苦い記憶から直感した──ああ、モノノの仕業だなと。


「どうしよう、マッシー! 私たち閉じ込められちゃったよ⁉︎」

「しぐれ、ちょっと落ち着いて。たぶん……大丈夫だから」


 扉が綺麗さっぱり消失した。

 そんな異常事態に慌てふためくしぐれに、私は無責任な言葉をかけることしかできない。とは言え今回のが初めてじゃない私に出来ることは、冷静さを失わずに彼女を宥めることだ。


「そんなこと言われたって無理だよ! 扉がなくなるなって意味わかんないもん! ありえないよ!」

「そりゃそうだけど……」


 扉が消えるなんてありえない。

 でも、そのに変えてしまう存在を私は知っている。

 扉が消えたことにより、私たちが外へ出る唯一の経路を絶たれてしまったことになる。夕凪には窓ガラスもあるけれど、鍵は錆付いていて開けることはできない。強硬手段で割ろうとしたが、体当たりしても椅子をぶつけてもビクともしなかった。

 仮にこれが強化ガラスの類だったとしても、ヒビ一つ入らないのは明らかにおかしい。経年劣化も相当な具合だ。超常的な力が働いているんじゃないのかと疑ってしまう。

 加えてガラス越しに外を見るとさっきまでの景色はなく、薄暗い空間が果てしなく続いているようだった。


「……うぅ、このまま一生出られなかったどうしよお。バイト先で死ぬとか絶対に嫌なんだけど」


 しぐれは早くも精神的に追い詰められていた。

 酷く病んだ表情で声も涙まじりになっている。


「しぐれ……」


 友達のこんな姿を見ていたくない。

 ……けど、いったいどうすれば。

 助けを呼ぼうにも携帯はどういうわけか圏外だ。外部と連絡する手段もない。このまま朝まで待っていればオープンの時間にマスターが来るだろうけど、そこで助かる保証はどこにもない。そもそもしぐれが耐えられないだろう。


「くそぅ……」


 自分の無力さを痛感する。

 友達ひとり助けてやれないなんて──と、そんなとき。

 握りしめていたスマホが振動した。鳴るはずのないスマホへの着信。画面を見て安堵する。私は神にも縋る思いで応答した。


『もしもし、僕だけど。今日から君の上司の芳楼ほうろうだけど』

「芳楼さん……!」

『いやあ、連絡が遅れちゃってすまないね。思ったより上がうるさくてさ。納得してもらうのに時間かかちゃって』

「全然大丈夫です! むしろナイスタイミングです!」

『はあ?』


 そういえば今日が目安の一週間だった。

 扉の件ですっかり忘れてたよ。

 私から電話しようにも圏外で発信できなかったが、どういう原理か芳楼さんからの着信は受けることができたらしい。原理はきっと芳楼さんだから、とかだろう。なんせ彼はモノノ怪のスペシャリストだからな。


『──あらら、それは完全にモノノ怪の仕業だね』


 さも他人事のように気の抜けた声で。

 ことの流れを電話越しに説明すると、芳楼さんはそう言った。


『現場にいるわけじゃないから断言はできないけど、麻代ましろちゃんが言ってることが僕の気を引こうとした嘘じゃない限りそうだと思うよ』

「そんな嘘つきませんって。私をなんだと思ってるんです。……でも変じゃないですか? こうも立て続けにモノノ怪に魅入られるなんて。今までこんなことなかったのに」

『一度モノノ怪に魅入られちゃうとね、モノノ怪に魅入られるクセがついちゃうんだよ。ほら、顎って一度外れると外れやすくなるだろ? それと同じさ』

 

 なんちゅう例えだ。

 しかし、その話に沿って考えれば私は今後もモノノ怪と対峙することになるのか?


『そういうことになるね。でも麻代ちゃんの場合は特殊だから、別にくらやの件がなくてもそうなる運命だったと思うよ。あれはほんの始まりに過ぎないんだから』

「え、どういう意味で──」

『おっと、話が逸れたね』


 尋ねようとしたところで、間髪入れずに芳楼さんが続ける。


『話を聞いたところ、きっとそのモノノ怪の正体は隠し山羊やぎだろう』

「隠し山羊……?」

『そいつは物を隠すモノノ怪さ。ときには概念なんかも隠しちゃうから厄介な場合もあるけれど、今回はたかが扉だろ? 不幸中の幸いだったね』

「いや、全くもって幸いとかじゃないんですよ⁉︎ すごい困ってますから助けに来てくださいよ」

『そりゃ無茶な相談だ。僕は今九州にいるんだぜ? 原付でそっちに向かっても数日はかかる』

「なんでそんな遠くにいるんですか!」

『半分は仕事で半分は趣味かな。ほら、僕の趣味って放浪だからさ。芳楼が放浪癖って面白いだろう? いいキャラしてるよな』

「…………」


 この人はアホなのか⁉︎

 名前に引っ張られて趣味を決めるなんてキャラ付けが杜撰ずさんにもほどがあるだろ。


『まぁ、隠し山羊はくらや巳に比べて獰猛さは皆無に等しいからね。僕がいなくても麻代ちゃんだけで上手くやれると思うよ。だって君は肉食系じゃないか。草食の山羊なんて敵じゃないだろ?』

「私は肉食系なんかじゃないです! 変な言い方しないでくださいよ!」

『いいや、君は立派な肉食系だよ』

「じゃあもうそれでいいです!」


 こうなると芳楼さんには付き合ってられない。

 弁解しようにもらちがあかなさそうだったので、私は諦めることにした。


「ところでくらや巳といい隠し山羊といい名前って誰が決めてるんですか? 何かしらの由来はあるんですよね?」


 気になって聞いてみる。

 少しはモノノ怪に詳しくなれるかもしれない。


『良い質問だね。……でもモノノ怪の多くは伝承によるものが多いから、誰が最初に名付けたのかは僕も答えかねるかな。まあ、由来の大体はダジャレみたいなものさ。その方が覚えやすいし、後世に語り継ぐのにも都合がいいからね』


 なるほど、確かにそれは理に適っている。

 暗闇だから、くらや巳。ちょっと納得した。


「じゃあ隠し山羊はどうして山羊なんですか?」

『山羊は英語で?』

「……goatゴート?」

『そういうことだ』


 隠しgoat、隠しゴート、隠しごと、隠し事。

 ……しょうもな。


「古くからの伝承とか言っている割には英語じゃないですか!」

『そりゃ超常的な存在である彼らに無理やり名称をつけたわけだからね。実際はいい加減なところもあるし、多少の歪みはあるさ』

「納得した自分が恥ずかしいです」

『そこにはたくさんの本があるんだろ? なら執筆という意味での「書く仕事」も相まって、隠し山羊が出現しやすい状況だったんだろうね』

「…………」


 笑点みたいなこと言う芳楼さん。

 もし私が司会者なら彼の座布団を取り上げてやりたいところだ。モノノ怪に恐れおののいていた自分が馬鹿らしく思える。


『ちなみにもう一つ、そこに隠し山羊が出現した決定的な要因があるんだけど教えて欲しい?』

「もういいです、言われなくてもわかりますよ……」


 答えは聞くまでもなかった。

 山羊といえばやつらが何を好むのか、そのイメージさえあれば小学生だって解ける問題だ。


「夕凪にはたくさんの本が──紙があるから、でしょ」

『正解』

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