後ろを見る限り大蛇、もといくらやが追ってきている気配はなかった。


 一時はどうなることかと思ったがひとまず安堵する──しかし、私が別の異変に気づいたのはそれからすぐのことだった。


「……芳楼ほうろうさん、もう数キロは走っていると思いますけど、私たちはどこに向かってるんですか?」


 土地勘がないせいでさっきのトンネルが家から見てどの方角にあったのかわからない私だったが、周囲の景色の見覚えのなさからして家の方向に向かっていないことは明白だった。


 それにしても明るい駅方面へ向かうでもなく、どちらかと言えばよりひと気のない方向に進んでいるような気がする。


 いや、そもそも住所を教えたわけでもないので芳楼さんの運転で家に辿り着ける道理もないのだが……。

 

「おいおい、変な邪推はしてくれるなよ? 僕の保身のために言っておくが、何の考えもなく走らせてるわけじゃないからな」

「と言いますと?」

「喰われなかったにしろ菜々葉ちゃんはくらや巳に呑まれただろ? その時に奴の色濃い残穢が憑いてちゃってんだよ。要は今もなおマーキングされてるってこと」

「よくわかんないですけどやばいってことですか?」

「ああ、やばいよ。厳密には僕がいるからやばくはないんだけどね。でも痺れを切らした奴がいつ再び襲ってくるかもわからないだろ? それが街中で起きてみろよ。なんせあの巨体だ、それなりの被害は避けられないだろう。だから一旦被害を最小限に抑えられるような場所に行く必要があるんだよね」

「…………」


 芳楼さんの言っていることがイマイチ理解できない。


 くらや巳のこともそうだが、知らない単語が並びすぎている。


「というか、そろそろさっきの大蛇について説明してくれませんか? 口ぶりからして何か知ってるんですよね」

「もちろん知ってるとも。くらや巳は別に珍しいモノノでもないからね。そうじゃなくてもモノノ怪に関しては僕の専門分野なんだ。知らないわけがない」

「あなたが知っていても私は知らないです! そのモノノ怪ってのもなんですか!? 私にもわかるように説明してくれないとさっぱりですよ!」

「そんなに慌てるなよ。一度にいくつも質問されたって答えられないだろ。口はひとつしかないんだから」


 駄々をこねる子供をなだめるように言われてしまった。


 ちょっと我に帰る。


 けれども現状あの化物についての知識を一切持たない私は、どんな些細なことでもいいから教えてほしいと心の底から思った。


「──モノノ怪はモノノ怪だよ」


 私の胸中を汲み取ったのかだろうか。


 エンジンをフルスロットルで回しながら芳楼さんはゆっくりと口を開いた。


菜々葉ななはちゃんにも馴染み深い言葉で説明するなら妖怪や怪異、あやかしの類と言えば良いかな?」

「ふざけないでください! オカルトの話をしたいんじゃないんです、私は」

「ふざけてないよ、僕は真剣さ。嘘じゃない、本当だよ。実際に体験した君が信じられないわけもないだろう?」

「……そ、それは」

「それとも学校で習ったことが全てだと思ってるのかい? 世界はそんなに狭くない。知らない君を責めるつもりはないけれど世界の大半は教科書に載ってないことばかりだよ」

「で、でも……!」


 それから先は言葉に詰まった。


 たかがいち学生である私にこれ以上の反論はできない。


「この世は科学を持ってしても説明できないことで溢れている。むしろモノノ怪なんてまだ知られてる方だと思うぜ? だってモノノ怪という単語自体はある程度周知されているものだし、妖怪や怪異だってそうだろ」

「だから何だって言うんですか」

「火の無いところに煙は立たぬと言うだろ。じゃあ、いったい誰がどうしてこんな単語を作って今日まで使われ続けたんだろうな──つまりそういうことだよ」


 とんでもない暴論だった。


 けれども当事者としての立場上ここは飲み込むしかない。


「ロマンがあると言えばが聞こえはいいが、それを手放しに喜んでいられないのも事実だ。超常的な存在であるモノノ怪が僕ら人間に害を為すことだってあるわけだしな」

「……ということは、その、モノノ怪はさっきの大蛇以外にもいるってことですか?」

「そうだよ。くらや巳なんて数いるモノノ怪のほんの一部に過ぎないね」

 

 あんなのが他にもいるだと? 想像するだけでも恐ろしい。


 こちとら一生もののトラウマは負わされているんだ。今後もし他のモノノ怪と出会うことがあったら失禁してまうかもしれない。


 夢なら早いうちに覚めてくれ。


 この歳になっておねしょはしたくないからな!


「まあ、そう恐れることもないよ。そのために僕みたいな仕事をしている人間がいるんだから」

「……ドウシ、でしたっけ?」

「そう。導師どうしだ」


 導く師、と書いて導師。


 前に芳楼さんから貰った名刺を思い出す。


「モノノ怪に魅入られた人を清く正しく導くのが僕の仕事だ。そういった意味では今も仕事中だよ。魅入られてしまった菜々葉ちゃんを導かないといけないからね」

「私を、導く?」


 芳楼さんはこの田舎道をどれだけ進むつもりだろう。


 後ろを見てもくらや巳が追ってきている気配もないし、ここらで一度停まっても良いように思えるのだが。


 二人乗りしながらでの会話もいい加減不便だしな。


「勘違いをしているようだから言っておくけどね、モノノ怪を菜々葉ちゃんの物差しで測るなよ。奴らは超常的な存在なんだ。僕でさえ面食らうことはある。くらや巳と物理的な距離ができたからと言って、それが君の安全の保証になんて微塵もならないんだぜ」


 芳楼さんは言う。


 当初のちゃらけた様子はどこかへ消え、どっしりとした真剣な声音で。


「菜々葉ちゃんはモノノ怪に魅入られたんだ。生兵法は怪我のもと、中途半端が一番よくない。しっかりと始末をつけなくちゃ」

「どうするんですか?」

「言ったじゃないか──僕は導師だぜ? 導くだけだよ」

「…………導く」


 と、私がその言葉を反芻したときだ。


 くらや巳は再び私たちの前に現れた──いや、


 その巨大な体躯は着地と同時にアクション映画のワンシーンのように土煙を上げ振動で空気が揺れる。


 くらや巳の胴は尾にかけて目では確認出来ないほど長く続いており、始まりはさっきのトンネルから続いているように見えた。


「まあ、ここならひと気もないし問題ないか」


 言いながら芳楼さんが原付を急停止させる。


 急ブレーキの反動で私は振り落とされたけど大事には至らない。投げ出された先に雑木林があって助かった。


「せっかくだし菜々葉ちゃんにかっこいいと見せちゃおうかな」


 こんな状況でも律儀に原付のスタンドを立てる芳楼さん。


 指の骨をポキポキと鳴らす。


 鬼が出るか蛇が出るか──蛇はもう間に合っているんだ。


 彼の背中を見ながら今ばかりは鬼が出てきてくらや巳を倒して欲しいと願う私だった。

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