大蛇の体内は真っ暗だった。


 光源がないのだから当然と言えば当然だけど。


 あまりに唐突のことで脳の処理が追いついておらず、されるがままに丸呑みされた感想としてはそんなところだ。


 しかし痛覚や閉塞感が驚きを上書きするのにそう時間はかからなかった。

 

「ぐっ……、ぐぅ」


 大蛇の筋肉が私を圧迫し始める。


 全身の骨が軋み、呼吸すらままならない。


 あれ、私このまま死ぬのか?


 自分が今際の際に立たされていることに気づく。


 大蛇に喰われて? ……昔話かよ。


 脈動する大蛇の筋肉は消化器官がある奥へと運んでいく。すぐに身体の自由は指の一本も動かせないほど効かなくなった。

 

 抵抗する術も助かる余地もない。


 別に何かしら大成したい人生だったわけじゃないけれど、流石にこんな死に方じゃ死んでも死にきれない──そんな薄れゆく意識の中、


「抜け駆けは困るなあ、くらや。先に菜々葉ななはちゃんに目を付けてたのは僕なんだから」


 エンジン音と共に、どこかで聞いたことのある声が聞こえた。


 真っ暗闇のこの状況で感じた一縷の希望。


 に私は全てを賭ける。


「たす……け、て」

「くっくっく。任されたもうよ、菜々葉ちゃん──もっとも、君にこんなところで死んでしまわれては僕が困ってしまうからね」


 全身全霊を振り絞って出した微かな声だったが、どういうわけか外側にいる誰かには届いたよう。


 次の瞬間、外部から強い衝撃が加えられて大蛇の体内にいる私まで届いた。


 身体の芯まで響くようなインパクト。それに呼応して飲み込まれていた私は大蛇の体内を逆流し、勢いよく吐き出された。

 

「うぎゃっ!?」


 受け身をとる余裕はなく、私はコンクリートの地面に転がったが今はそのかすり傷の痛みすら感じない。


 奴の腹から脱出したのだ。


 今はそれだけで十分! 傷の一つや二つが何だって言うんだよ!

 

「大丈夫かい? 見たところ間一髪って様子だけど」

「あ、ありがとうございます! おかげで助かりました!」

「礼には及ばないよ。僕は僕の使命を全うしたに過ぎないからね」


 半キャのヘルメットを逆向きに被り、傷だらけの年季が入った原付に跨る男。


 どうやらこの窮地を救ってくださった私の命の恩人は彼らしい。


 聞こえたエンジン音はこの原付によるものだろう。


「あなた、もしかしてこの前の……えーと、ほう、ろ──」

「おや? 覚えていてくれたのかい。嬉しいなあ。そう、僕は芳楼ほうろう仗助じょうすけ。……1ヶ月ぶりだね、菜々葉ちゃん」


 ……忘れるものか。


 あんなようなことをしておいて。


「さて。僕としては菜々葉ちゃんとの再会を祝してこの場で昔話に花を咲かせたいところだけども、君からしたらそれどころじゃないだろう」

「いや、助けてもらっておいて申し訳ないんですが、そもそも芳楼さんとの間で花を咲かせられるような昔話なんてありませんけど……」

「くっくっく。そうかい? 僕は話しても話しても足りないくらいあるように思えるんだけどね。まあ、どちらにせよくらや巳がそれを許しちゃくれないだろうが」

「クラヤミ?」


 首を傾げる私を見て、芳楼さんが大蛇の方を指差す。


 話の流れから察するにそれがあの大蛇の名前らしい。


「さっきのは原付ごと体当たりしただけに過ぎないからね。致命傷を与えたわけじゃない。今でこそくらや巳は僕に警戒しているけれど、次にまた襲ってくるのも時間の問題だろう」


 確かに芳楼さんの言う通り、そのくらや巳と呼ばれる大蛇は静かにしているもののこちらの出方を伺っているようで私たちから視線を外そうとはしない。


 トンネルから覗かせる鋭い眼光と口先で踊っている舌先がその何よりもの証拠だろう。


「とにかく今はこの場から離れることが先決ってコト。さ、僕の後ろに乗って……と言ってもさっきので足をくじいたか?」


 すると彼は私の脇に腕を回し、ヒョイと身体を持ち上げてみせた。


 個人情報なので詳細は伏せるけど歳並みの平均体重である私はそう簡単に持ち上げられるほど軽くはない。つーか、


「いや、ちょっ! 大丈夫ですよ! これくらい自分で歩けます!」

「なんだよ、遠慮するなよ。僕にとっちゃ猫を抱きあげるのと大差ないんだからさ。菜々葉ちゃんが重いなんて微塵も思っちゃいないぜ?」

「そーいう問題じゃなくてですね!?」


 なんかその、あれだ。


 密着度的な問題なんだよ、私が言ってるのは!

 

「くっくっく。いいから今は僕に従いなって」


 原付の後ろに乗せられた私はヘルメットを渡された。


 今の今まで芳楼さんが着けていたものだ。被れということらしい。


「僕が座れないからもうちょっと詰めてくれない?」

「詰めろって言われてもこの原付って1人乗りじゃないですか!? 私たち二人が乗るスペースなんてありませんよ」

「そこは融通を効かせろよな。一つのシートを半分ずつ分け合えば良いだけのことだろ」


 言いながら強引に割り込んで座る芳楼さん。


 そんな彼は何もかぶっておらずノーヘル。当然と言えば当然だが、私に貸した他に持ち合わせはないようだ。 


「ノーヘルは違法ですよ?」

「二人乗りの時点で違法だよ……つーか、それ以前にそんなこと言ってる余裕あるのかい? ついさっきまで死にかけて涙目だったくせによ」

「……確かに。言ってる場合じゃないですね」

「まあ、僕としては菜々葉ちゃんが存外丈夫そうな子で安心したよ。もっと錯乱しててもおかしくないだろうけど、呼吸も落ち着いてるしね」


 確かに彼の言う通り、今の私がこんなにも冷静さを保っているのは不思議だった。


 きっとあまりに急なアクシデントすぎて実感が湧いてないからだろう。


 加えてこの状況にも関わらず、やはりどこか飄々としている芳楼さんが感じさせる妙な安心感があるのも大きい。


 とにかく今は彼を頼るしかない。


 それが満身創痍の私が出した一つの結論だ。


「……そういえばなんで──?」


 言いかけたところで芳楼さんが原付のエンジンを回した。


 駆動音によって私の声はかき消されてしまう。


「トばすから落ちないように気をつけて。それで怪我をされちゃあ元も子もないからな」

「どうすればいいんですか!? 二人乗りなんて初めてなんで何に気をつければいいのかわかんないんですよ!」

「そりゃ力一杯で僕の背中にしがみつくことだ。特に胸を押しつけるようにするといいらしいぜ!」


 言われた通りにする私。


 怪我はしたくないからな。


「お、悪くない感触だ。Dくらい?」

「この状況で何を言ってるんですか!?」

「この状況だからこそだよ。僕にとっては昼下がりの優雅なティータイムと同じようなもんさ。だから大船に乗った気でいろよ。まあ、この原付はオンボロだがね」

「…………」


 助かるなら何だっていい。


 今はこの人を信じるしかないんだから。


「やっぱりE?」

「早く発進してくださいっ!」


 ……ほんとに大丈夫か?

 やっぱり彼への一抹の不信感が湧きつつも私たち二人を乗せた原付はくらや巳を後に勢いよく走り出した。

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