8・20
「困るなあ、くらや
されるがまま大蛇に丸呑みされてしまい、その体内で押し潰されそうになる強い圧迫感が全身を襲う。
そうして薄れゆく意識の中、そんなことを言う声が聞こえた。それは飄々とした、まだ記憶に新しいどこか聞き覚えのある声。
……誰かそこにいるのだろうか。
身体の自由は指の一本も動かせないほど効かず、今にも全身の骨は締め付けられ砕かれてしまいそうだ。
抵抗する機会も得られぬまま、ただ迫りくる死を受け入れるしかない状況。もはや助かる余地はないと思える。
「おいおい、君にこんなところで死んでしまわれては僕が困ってしまうよ。もっと生にしがみ付け。最後に笑ってた者が勝ちの世の中じゃないか」
いったいこの声の主は誰なんだ?
まさか死に直面した私の脳が見せる幻聴?
……いや、今はそんなことどうでもいい。私だってこんな訳の分からない死に方はごめんだ。この際、どんな可能性にも藁にすがる気持ちでかけてやる。思った私は全身に力を込めて声を振り絞った。
「たす……け、て」
「くっくっく。そうだ。それが菜々葉ちゃんが今すべき正しい選択だよ」
次の瞬間、身体の芯まで響くような鈍い轟音が鳴り、一拍遅れて大蛇の体内に波打つ強い衝撃が走った。それに呼応したのか奥へと飲み込まれていた私の身体は逆流し、勢いよく大蛇の口から吐き出される。
「うわっ!?」
受け身をとる余裕なんてなく、私はコンクリートの地面に転がったが今はそのかすり傷の痛みすら感じない。
奴の腹から脱出したのだ。これで大蛇に消化されて死ぬオチはなんとか回避した。今はそれだけで十分! 傷の一つや二つが何だって言うんだよ!
「あ、ありがとうございます! おかげで助かりました!」
「なに、礼には及ばないよ。僕としてもここで菜々葉ちゃんに死なれてしまうわけにはいかないからね」
地べたにへたり込む私が見上げたその先には、大きな口から灰色の瘴気を溢して咽ぶ大蛇を背にして悠々とポケットに手を入れて佇む男──もとい命の恩人である彼がいた。
薄暗いせいで顔はよく見えないけれど、身長はおそらく180を超えるくらいの長身でシルエットはスタイルが良いとでも形容しようか。線は細く、服装にしてもパーカーとジーパンの組み合わせで他に特筆すべき点はない。
そんな彼がどうやって私を大蛇の腹の中から救ってくれたのか検討もつかないが、他に誰もいないことや声色からしてもこの人が助けてくれたのは間違いないのだ。地に腰をつけながらも私は改めて頭を下げた。
「もうダメかと思いました。ほんとにありがとうございます」
「くっくっく。そこまで礼を言ってくれるのなら、どういたしましてとでも言っておこうかな。……ところで本来ならこの場で改めて自己紹介とかしておきたいんだけれども、くらや巳はそれを許しちゃあくれないだろう。そこまで強い衝撃を与えた訳じゃないし、奴が再び襲ってくるのも時間の問題だ」
「……クラヤミ?」
彼が言ってることの半分は理解が追いつかず、首を傾げる私。
そんな私の反応を見て彼がこちらに詰め寄って腕を引っ張り立ち上げる。
「詳しいことは後で話すよ。とにかく今はこの場から離れることが先決ってコト。さ、そこに僕の原付が停めてあるから後ろに跨って……と言っても、今ので足を
すると彼は私の脇に腕を回し、ヒョイと身体を持ち上げてみせた。
個人情報なので詳細は伏せるが、歳並みの平均体重である私はそう簡単に持ち上げられるほど特別軽いわけでもない。つーか、
「いや、ちょっ! 大丈夫ですよ! このくらいの距離、自分で歩けます!」
「なんだよ、遠慮するなよ。僕にとっちゃそこらの猫を抱きあげるのと大差ないんだからさ。菜々葉ちゃんが重いなんて微塵も思っちゃいないぜ?」
「そーいう問題じゃなくてですね!?」
なんかその、あれだ。
密着度的な問題なんですよ、私が言ってるのは!
「はいはい。そんなこと言ってる間に到着ですよと。いいから今は僕の言うことに従いなって」
されるがままに抱え運ばれた私は彼の原付のシートに下されると、キャップ型のヘルメットを渡された。頭にかぶれということらしい。
「もうちょっと後ろに詰めてくれよ。これじゃあ僕が座れないじゃないか」
「そんな詰めてって言われても、そもそもこの原付ツーシーターじゃなく1人乗りじゃないですか! 私たち二人が乗るスペースなんてありませんよ?」
「ちょっとは融通を効かせろよな。そこは一つのシートを半分ずつ分け合えば良いだけのことだろ」
言いながら強引に私の前に割り込んで座ってきた。
そんな彼は何もかぶっておらずノーヘル。どうやらヘルメットを私に貸したせいで他に持ち合わせていないようだ。
「え、ノーヘルは違法ですよ?」
「ないもんはないんだから仕方ないだろ。そもそもこの原付に二人乗りも違法だし……つーか、それ以前にそんなこと言ってる余裕あんのかよ。ついさっきまで死にかけて涙目だったくせに」
「なんか恐怖が一周回って0になりました。一種の興奮状態にあるんでしょうかね?」
「くっくっく。んなこと聞かれても知らないよ。でもまあ、思ったより菜々葉ちゃんが丈夫な子で安心したね、僕は」
確かに彼の言う通り、さっきまで死んでもおかしくない状況に置かれていた私が今こんなに冷静さを保っているのは不思議だった。
おそらくあまりに急で突拍子のないアクシデントが起こったせいで脳の処理が追いついていないのが半分、残りの半分は助けに現れた彼を見るとなんとも言い難い安心感に包まれのが理由だろうか。
しかしそもそも私は彼がどこの誰だかよく知らないわけで、彼を頼っていい根拠を説明してくれと言われれば答えに困ってしまう。けれどもそれは一旦、彼のなんらかの攻撃によって一時的に戦意を喪失している大蛇の姿を見れば納得してもらえそうなものだ。
とにかくこの場は彼を頼るしかない。
それが今の私が導き出した答えなのである。
「……そういえばなんで私の名前を知って──?」
言いかけたところで彼が原付のエンジンを回した。
その駆動音によって私の声はかき消されてしまう。
「フルスロットルで飛ばすから振り落とされないよう僕にしっかりしがみついといてくれよ。くらや巳からは守ってやるが、それ以外の怪我については保証しかねるからな」
「は、はい! わかりましたっ!」
彼を頼ればどうにかなる気がする。
そんな想いを胸に、私は言われた通り身体いっぱいしがみ付いた。
「お、悪くない感触だ。Dくらい?」
「ななな、何がですか!?」
「いや、やっぱりEとみた。ファイナルアンサーで」
「いいから早く発進してください!」
……あれ? ほんとにこの人を信じて大丈夫だろうか?
彼への一抹の不信感を持ちつつも、果たして私たち二人を乗せた原付は大蛇を後に勢いよく走り出したのだった。
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