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 蛇に睨まれた蛙。

 眼前に迫る大蛇を前にした恐怖で身がすくんでしまった私を一言で表現するのにこれほどおあつらえ向きな言葉もないだろう。それくらい体は強張っていた。

 けれども私は目一杯の力を振り絞ってが聞こえた方へ首を向ける。一台の原付がこちらを目掛けて猛スピードで走ってきているのが見えた。ハイビームのライトが眩しく、直視はできない。


 原付は私の僅か数センチ横を走り抜けたと思えば、そのままトップスピードを維持して襲い来る大蛇と正面からぶつかった。かなりの衝撃だ。さすがの大蛇も大きくその巨躯をひるがえし、反動を受けた運転手も原付もろとも宙へ投げ出された。


「だ、大丈夫ですか!?」

「……くっくっく、もしかしてそれは僕に言ってるのかい? だとしたら嬉しいなあ。人に心配されるのなんて生まれて初めての経験かもしれないからね」


 不敵な笑いとそんなギザなセリフが舞い上がる土煙の中から聞こえる。

 すぐに土煙は落ち着き、その声の主が姿を現した。ヘルメットを被っていて顔は見えない。


「君は優秀な人材だ。この程度のモノノで失うわけにはいかないからね──助けにきたよ、菜々葉ななはちゃん」

「あなた……もしかして芳楼ほうろうさんですか!?」

「よく覚えていてくれたね。君のような可愛い子に認知されていて光栄だよ」


 ヘルメットを脱ぎながらそう言う彼は、四月の初め、あの路地裏で私に声をかけてきた芳楼仗助その人で間違いなかった。

 あのときもフードを深く被っていたせいで顔を見れずにいたが当時のことが印象的すぎたこともあり、その飄々とした喋り方と声を鮮明に覚えていた私はピンと来たのだ。


「僕としてはこのまま菜々葉ちゃんとの再会を祝して乾杯したいところだけど、今はそれどころじゃないよな。というか君はまだ未成年なんだっけ?」


 芳楼さんは横転していた原付を起こし、それを私のもとまで押して来た。

 ヘルメットは被り直している。

 

「くらやが怯んでいる内にこの場を離れよう。ここは僕が暴れるにはちょっと狭すぎるからね」

「クラヤミ? ……す、すみません。てんで理解が追いついてないんですけど」

「そりゃそうだろう、菜々葉ちゃんはモノノ怪を知らないんだから。そんな無知蒙昧な君に僕がマンツーマンで教鞭を振るうのも悪くない。うん、実に悪くない。生徒と先生、これほど魅力的な組み合わせもそうないもんな。想像するだけでも胸が躍るよ──おっと、悪い悪い。話が脱線したようだ」

「いったい私は何を聞かされたんですか……」


 大蛇の方を見やると傷らしい傷は負っておらず、普通の蛇同様に舌をチロチロと出し入れしながら鋭い眼光をこちらに向けていた。

 私たちを──と言うよりかは芳楼さんを警戒して出方を伺っているようだが、それもあくまで一時的なものでいつまた襲いかかってくるかわからない。どうでもいい趣味嗜好の話を聞いている場合じゃないのは明白だ。


「まあ、そうだね。奴も今は大人しいが、いつまでもお利口さんでいてくれるとは限らない。そんなわけだから説明はあとにしよう」


 原付にまたがった芳楼さんが言う。

 地面にへたり込む私に手を伸ばしながら。


「ほら、僕の後ろに乗って」

「乗ってと言われましても……それじゃあ二人乗りじゃないですか。二人乗りは法律で禁止されてますし、そもそも私はノーヘルですよ!」

「くっくっく。言ってる場合かよ。でもまあ、そんなことを気にしているようだと君もまだ余裕があるらしいな。いいね、なおさら気に入ったよ」


 私の何が芳楼さんの琴線に触れたのかわからないが、やはり乗ることはできない。単純にこの原付がよくある一人乗り用の車種であり、物理的に私が座るにはスペースが心許ないというのもある。しかし、それ以前に私の身を芳楼さんに任せてもいいのかと思ったからだ。

 その口ぶりからしてこの人は大蛇のことを知っているのだろう。けれどもそのことが素性の知れない彼を信じる理由にはならない。

 

『助けにきたよ、菜々葉ちゃん』


 今さっきそんなことを言っていたが、果たして本当にこの窮地を脱する手立てがあるのだろうか。お世辞にも良かったとは言えないファーストインプレッションだったこともあり、イマイチ芳楼さんのことが信用できずにいる私。

 もちろん最優先ですべきことは大蛇から逃げ仰せることだ。しかし芳楼さんの言う通りにしたところで事態は好転するのかは疑わしく、余計に悪化する可能性だってあるように思えた。


「…………」


 手を伸ばす芳楼さんに懐疑的な目を向ける──そのときだ。

 ついにしびれを切らした大蛇が私たちの方に再び牙を向けた。まるで新幹線を彷彿とさせるような速度でその巨体が地面をえぐりながら突進してきたのだ。このままモロに受けたら即死は免れない。

 咄嗟に目を瞑った。だから次の瞬間、何が起きたのか私は知らない。


「……くらや巳、嫉妬させてしまったのなら謝ろう。菜々葉ちゃんは魅力的だからね。けれども今は僕が口説いてる最中なんだ。そこに割って入ろうってのはあまりに野暮じゃないか」


 パァン。

 風船が弾けたような音がした。


「今夜が三日月だったことに感謝するんだな。僕が本調子ならここで終わっていたよ」


 恐る恐る瞼を開ける。そこには私に伸ばしていた手を真っ直ぐ前に向け直した芳楼さんがいた。その様子は至って平然としている。

 そして向けられた腕の方向に視線を移すと、その遠方で大きく体を仰け反らして地面に倒れ込む大蛇の姿が。見るからにかなりの衝撃を受けたらしく、先の原付の正面衝突よりも明らかに甚大なダメージを負っているようだった。


「あなたがやったんですか?」

「当たり前だろ。他に誰がいるって言うんだよ」


 何事もなかったかのように言う芳楼さん。

 どうすればあの大蛇をあそこまで吹き飛ばすことができるのだろう。皆目見当もつかない──しかし、これで一つはっきりした。

 どんな手段を用いたかは定かじゃないが、芳楼さんは間違いなく大蛇に対抗する何かを持っている。とりあえずこの人を頼れば助かる見込みがありそうだ。


「くらや巳は今ので完全に伸びている。タフな奴のことだからまたすぐに覚醒するだろうが、ともかく今度こそ今がここから離れるチャンスだ」

「……は、はい!」


 藁にもすがる気持ち、と言ったら語弊があるかもしれない。

 けれども己の考えに従い芳楼さんにある種の信頼を寄せることにした私は再び差し出された手を掴んで起き上がり、そのまま彼の後ろに乗り込む。


「トばすから落ちないように気をつけて。それで怪我をされちゃあ元も子もないからな」

「ど、どうすればいいんですか!? 二人乗りなんて初めてなんで何に気をつければいいのかわかんないんですよ!」

「そりゃ力一杯で僕の背中にしがみつくことだ! 特に胸を押しつけるようにするといいらしい!」


 言われた通りにする私。

 だって怪我はしたくないもん。


「お、悪くない感触だ。Dカップくらい?」

「この状況で何を言ってるんです!?」

「この状況だからこそだよ。僕にとっては昼下がりの優雅なティータイムと同じようなもんさ。だから大船に乗った気でいろよ。まあ、この原付はオンボロだがね」

「…………」


 助かるなら何だっていい。

 今はこの人を信じるしかないんだから。


「やっぱりE?」

「早く発進してくださいっ!」


 ……ほんとに大丈夫か?

 そんな不信感を再び抱く私をよそに、芳楼さんが運転する原付はその場から走り出した。

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