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 風薫る梅の色づき五月の頭。

 今年から一人暮らしを始めた私はキャンパスライフ初のゴールデンウィークにさぞ胸を躍らしていたものだったが、その最終日の夜である今となって振り返ってみると大半を家に引きこもって過ごしてしまったという悲しい事実が判明した。おそらく日の平均睡眠時間は15時間を超えていたと思う。


「……のび太か? のび太なのか私は!?」


 いや、なんだかんだで奴はアウトドア派の人間だ。放課後は空き地でクラスメイトと野球をし、毎年春休みごろになると決まって大冒険に出かけている。なんなら宇宙とか魔法の国とか行っちゃってるもん。

 そんな充実した日々を送っている彼と私を同じ括りにいれるのは恐れ多いことこの上ない。……というか、これ以上この話を続けていたら色々と問題がありそうだ。


 ここら辺でやめておくが吉。

 思った私は遅めの夕食を食べようとしてベッドから起き上がり、冷蔵庫から袋詰めされたパンの耳を取り出した。砂糖などはまぶされておらず、なんの味付けもされていない。本当に文字通りのパンの耳。近所のベーカリーにて格安で投げ売りされていたやつだ。


「うぅ、さすがに3日も続くときついな。いくらお腹が空いてるとは言え食指が伸びん……」


 せめてジャムでもあれば良いのだが。

 もっと言うならマーガリン、あと牛乳も欲しい。


「ま、贅沢を言っても仕方ないんだけどさ」


 飢えには逆らえまい。我慢我慢。

 言い聞かせるようにしながら私は味のついてないそれを口に運ぶ。

 親の反対を押し切って無計画に一人暮らしを始めた結果、私の懐事情はまさに火だるま火の車。そのせいでここ最近の食事といえばこんな調子であり、ふと自分が公園の鳩なんじゃないかと錯覚しそうになる。


 言い訳をするつもりじゃないけれど、この貴重なゴールデンウィークを部屋に籠もって過ごしたのだって何も私が怠惰な人間だからじゃない。

 そう。つまりことあるごとに金が入りような現代において、困窮極める私には何もしないといいう選択肢しかなかっただけなんだ。


 もちろんバイトを始めようとも思ったさ。雀の涙ほどしかない残金で履歴書を買い、求人広告をうっているところへ手当たり次第に面接へ行ったもんだ。

 コンビニ居酒屋喫茶店、書店にガソスタエトセトラ。果ては胡散臭い探偵事務所にも。というか、この連休で家から出かけた用と言えばそれくらいだしな。

 

 結果は全落ちだった。どこも私を雇ってくれない。

 バイトの面接なんて日本語がマトモに話せさえすれば受かるもんだと思ってたのに、まさかこうも難しいとは考えてもみなかった。いったい私の何がいけないと言うのだろう。たかがバイトと言えど、こうも不採用が続くと社会不適合者の烙印を押されているようで精神的にひどく傷つくのだが。


「失礼だけど上野さんは問題ごと持ってきそうだから」 


 とある面接先ではそんな根拠もないことを理由に落とされたこともある。

 さすがにその日は枕を濡らしたわ。それ以来はちょっとした面接恐怖症だよこの野郎。


「これでも小学生の時から成績優秀の模範生で通ってんだけどな、私は!」


 あのハゲオヤジめ。大手スーパーの店長だからって大学生である私を舐めやがって! 品揃えが豊富だから越してきて間もない頃はよく利用していたが、もう二度と使ってやらないからな!


「……ダメだ。思い出したらムカついてきた。やっぱりこんなパンの耳をいくら食べても満たされないし、それも相まって余計だよ」


 怒ると顔にシワができると言う。花の女子大生としてそれは絶対に避けたい私はパンの耳を齧るのも程々にし、気分転換がてら夜の散歩に出かけることにした。

 体を動かしたらさらに腹も減ってしまうだろうが、この沈んだ気持ちも幾分か晴れるというものだ。

 高校の頃から愛用しているソールの擦り減ったスニーカーを履いて玄関を出る。私の部屋はこの年季の入ったアパートの二階。ところどころ手すりが錆び付いた階段を降りて夜の世界へと繰り出した。


「やっぱり夜はいいよなー。静かだし落ち着くわ」


 ずっと夜ならいいのに。

 そんなことさえ願ってしまうほど、私は夜が、この時間が好きだ。

 燦々と照りつける太陽よりも、ぼんやりとした月明かりのが浴びていて気持ちがいい。別に引っ込み思案な性格をしているつもりはないけれど、幼いころから明るい場所より暗い場所のが好きなんだ。生活リズムだって夜型の部類だろう。


「まるで吸血鬼みたいだな、私って。もしかすると前世くらいではそうだったのかも」


 人通りがないこといいことに、そんなしょうもないことを割と大きめの独り言でこぼす。

 ちなみに独り言が多いのも幼いころからの癖であり、恥ずかしいから治したいとは思っている。そんな他愛のないことも考えながら私は夜の散歩もとい深夜徘徊を楽しんでいた。


「うーわ、もうこんな時間じゃん。明日から大学も始まるし、そろそろ折り返しとこうかな」


 スマホで確認すると時刻は午前の二時を回っていた。いつの間にか結構な距離を歩いていたようで、えらくひと気のない場所まで来てしまったらしい。

 周囲にコンビニや民家といった類のものはなく、雑木林に囲まれている。地面はろくに舗装もされていない。

 越してきて日も浅いのでここらの地理を知らないは無理もないが、いやはやこんなど田舎の雰囲気を残した場所がこの学生街にも残っていたとは驚きだ。


「明日から大学も始まるし、そろそろ折り返さなきゃだよねー……って、お? あんなところに自販機あるじゃん」


 それは誰もが知るメーカーの見慣れた自販機。

 何も珍しくはないが、利用者がいるとは思えないこんなへんぴな場所に設置してあることが興味を引いた。こんなところにも勢力を伸ばしているとは、さすが有名メーカーだな。


 この発見になんとなくテンションが上がった私は自販機に近寄り、陳列されたラインナップを覗き込む。悪くない。それから釣り銭口も覗き込む。空振り。ついでに自販機の下も……──おっと、誤解されないように言っておくけれど決して落ちているお金をネコババをしようとか企んでいるわけじゃないからな? 私はそんな浅ましい女じゃないんだから。


 ただ、あれだよあれ。

 私は暗いところが好きだとさっきも言っただろ? それで暗いに違いない自販機の下が気になっただけなんだって。


「って、いったい私は誰に弁明してるんだよ」


 言いながら身をかがめようとした瞬間のことだ──目の前にあった自販機は爆発音に近い轟音と共に勢いよく上空へと吹き飛んだ。数百キロはあるであろうその鉄の塊が夜空に浮かぶ月と同じく天高く舞い上がる。


 そして突如は正体を現した。

 自販機が設置されていた地面から這い出るように。


「あ、あわわっ……!」


 蛇だ。

 それも見上げてしまうような巨躯を誇る大蛇。胴はそこらの大木よりもずっと太く、その体表はこの世のどんな黒よりも黒い。吸い込まれてしまいそうなほどの漆黒の鱗は神秘的な美しさすら感じてしまう。

 そんな大蛇の青白く不気味に光った双眸そうぼうが私の方を向く。息を呑んだ。呼吸が止まった。


 蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと。恐怖で体は固まってしまい背筋が凍る。足は地面に縫い付けられてしまったのかというくらい動かなかい。

 次の瞬間、大蛇は人ひとりを丸呑みするのなんてわけない大きな口を開け、その場に立ちすくむしかできない私に襲いかかってきたそのとき。


「くっくっく。やってんねぇ」


 背後からエンジン音と共にどこか覚えのある声が聞こえてきた。

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