022:
そのように恐れられた彼にとってはどれだけ鍛錬を積んだ剣士も赤子同然であり、誰もその神速の剣から逃れることはできない。
そうして今日まで無敗を誇った鍛治鞘さんは毎大会優勝、ひいては全国制覇というフィクションのような偉業を果たしたのだ。
天下無双、向かうところ敵なし。
まさに鍛治鞘さんのためにあるような言葉だろう。
鍛治鞘さんと同じ世代に生まれた者はいくら頑張っても二位止まりであることを悔やみ、違う世代の者はどれだけ自分の生まれたタイミングに感謝したことだろうか。かくいう私だって性別の違いで戦う機会がないにせよ、下の世代で良かったと幼心に思ったもんだ。
だってあの人の面を食らったら、頭が真っ二つに割れかねないもん。
当時の顧問に見せられらた全国大会の動画に映る鍛治鞘さんの一振りは、まだ中学剣士だった私にそのような恐怖を植えつけたのだ。畏敬の念すら覚えてしまいそうになる。……まあ、その圧倒的な強さに憧れも抱いたわけだけどさ。
「良かったじゃないか。そんな憧れの人と剣を交えられてさ。
「
「おいおい勘弁してくれよ。それが今しがた助けて貰った人に吐くセリフかい? さっきの鍛治鞘くんからの初撃を躱せたのは僕のおかげだというのに。まったく君も恩知らずだな」
「…………っ!」
馬鹿みたいな額の借金を背負わせただけあって、この
確かに今さっき、急展開で戸惑う私がトランス状態となった鍛治鞘さんの一振りを紙一重のところで避けられたのは背中を咄嗟に蹴飛ばしてくれた芳楼さんのおかげではあるのだけれど……。
なんだかマッチポンプな気がして釈然としないし、それにそもそも蹴らなくてもいいじゃん! もっと優しい方法があっただろ! かなり思いっきりだったぞ!?
「その木刀には僕が一晩かけて念を込めてある。使用者の身体能力を飛躍的に向上させる念だよ。証拠に今だって綺麗に受け身が取れただろ?」
「念ってなんですか! んな不気味なもの渡さないでくださいよ!」
「菜々ちゃんの為を思って頑張ったんだぜ? その木刀を握っている間は身体もある程度頑丈になるから、鍛治鞘くんの一撃をモロに食らったって致命傷にはなりゃしないよ。タイタニック並みの大船に乗ったつもりで挑みまえって」
「それ最後に沈むやつじゃん!」
例によって芳楼さんの言うことは
おかげで間髪入れずに襲ってきたトランス状態の鍛治鞘さんによる二撃目三撃目をギリギリでいなしきる。平時の私には天地がひっくり返っても出来ない芸当だろう。激しい剣戟の音が深夜の公園に響いた。
「ここら一帯にはあらかじめ人払いの札を貼ってあるからね。だから近隣住民の邪魔が入ることはない。存分に剣を振るってくれよ。シノギを削りあってくれよ」
いつの間にか滑り台の上に避難していた芳楼さんが悠長にそんなことを言った。
当の私としては通行人に通報でもされて一旦この場をうやむやに出来たらと考えていたが、どうやらその願いが叶うことはないらしい。さすが本職、その用意周到さに感服しそうになるね──余計なおせっかい焼きやがって!
こうして私が芳楼さんに
「鍛治鞘さん! しっかりしてください! 私の声が聞こえますか!?」
「グルル……、グォッッッ!」
「ちょ、危なっ!? 鍛治鞘さんってば!」
「ガァッッ!」
真剣さながらの死闘の最中、隙を見ては暴れ狂う鍛治鞘さんに声をかけてみるも知的生物らしい反応は返ってこない。どころか野獣の如く唸り声しか上げない彼にはもう人並みの理性と知性を持ち合わせてないように見える。
「無駄だよ、菜々ちゃん。今の鍛治鞘くんは
「でもでもっ! もしもがあるかもしれないじゃないですか!」
「僕特製のお神酒も飲ませたんだ。もしもなんてことはない。菜々ちゃんが鍛治鞘くんを──侘び寂び刀を倒す以外に道はないんだよ」
「そんな……!」
と、悲観したときだ。
剣道独特の歩法であるすり足で間合いを詰めてきた鍛治鞘さんがその赤錆び色の斑点模様が浮かんだ竹刀を私めがけて振り下ろした。
なんとか木刀を頭の上で構えて受けるが、その衝撃を完璧に相殺するには至らない。鍛治鞘さん渾身の一閃は踏ん張りの甘かった私をいとも容易く吹き飛ばした。
「大丈夫かい?」
「これが大丈夫なように見えますか!? 死にますよ、私!」
飛ばされた先に植木があってよかった。
痛いことに変わりはないものの衝撃はいくらかマシになったことだろう。
「念のこもった木刀を離さない限り菜々ちゃんが大怪我を負うことはないだ。僕が隙を見つけて侘び寂び刀を導く。それまでの辛抱だよ。もうちょっと耐えてくれ」
「だとしても私が鍛治鞘さんと戦う必要あります!?」
「
「…………」
専門的なことを言われてしまえば反論は出来ない。
しかしアルコールで酔わせる必要はあったのだろうか。その理由も訊きたい気持ちは山々だったが、多分、それは竹刀とモノノ怪を引き剥がしやすくするためとかだろう。
お酒で酔わせて弱くする。
昔話でもよくある話だ。
私も感覚程度ではあるがモノノ怪について多少の理解は深めた。それくらいはなんとなくわかる。だが、今の私にそんな考察をしている余裕はない。
雄叫びをあげながら鍛治鞘さんが侘び寂び刀を構えながら突貫してきた。
早い、速い、疾い。
その振りに迷いはなく、紙一重で躱した私の代わりに一撃を浴びた植木は一刀両断されている。
横一閃に薙ぎ払われたそれらの切り口は、とても鮮やかなものだった。侘び寂び刀だとしてもたかが竹刀──ところが繰り出される切れ味は真剣のものとなんら遜色ない。
「後始末が面倒になるから公園自体には危害を加えないで欲しいんだけど。今のは菜々ちゃんが身を呈して受けて欲しいところだよ」
「芳楼さん! 心配するのはそっちじゃないでしょう! 普通、私のことを案じません!? というか、なんでさっきから私ばっかり狙われてるんですか! 芳楼さんも見てるだけじゃなくて加勢してくださいって!」
「鍛治鞘くんは、暴君である前に剣士だ。そりゃあ丸腰の僕じゃなくて剣を持つ菜々ちゃんを狙うのは当然だろ」
「やっぱり嵌めましたね!?」
だったら今すぐにでも木刀を投げ捨ててやろうかと思った。
しかし、鍛治鞘さんから容赦なく浴びせられる猛攻が私にその隙を与えない。仮にあったとしても身体を強化する念の恩恵を自ら手放すことは自殺行為にも等しいのでやらないが。
皮肉なことに、それだけこの木刀が私に授けてくれる効果は絶大だった。実際問題、私はそのおかげでどうにか鍛治鞘さんと勝るとも劣らない攻防を繰り広げられているのだから。
何度か彼の剣捌きを見ているうちに目も慣れてきた気がする。
上段からの一振りを私は木刀で受けて威力を殺しながらいなし、剣道でいう胴打ちや突きといった異なる軌道から来る一撃にも身をひねったりしてなんとか直撃だけは避けられていた。
このままなら芳楼さんが言う隙が作れるのも時間の問題かもしれない──脳裏にそんな甘い考えがよぎる。
その慢心がいけなかった。殺し合いでは一瞬の油断が命取りになるというのに。
「あ──!」
足を捻らせた。
念が作用するのはあくまで肉体的なものであり、平衡感覚のような個人のセンスに関するものまでは強化されてなかったのだ。
だからこそ、普段とは比べものにならない速度での動きに重心移動がついて行かず、結果、私は何もないところで体勢を崩してしまう。
コンマ数秒のことだ。
よろけて無防備になる。
鍛治鞘さんほどの戦闘センスを持つ人がその隙を見逃すはずがない。
彼は天高く侘び寂び刀を振り上げ、風を切るように振り下ろす。私の脳天に見事な太刀筋の兜割が炸裂して脳が揺れた。世界が廻った。
「あらら、鍛治鞘くん──とうとう虎の尾を踏んでしまったね」
生えてないあご髭を撫でるようにしながら芳楼さんがそんなことを言う。
彼のその姿を見たのを最後に、私の意識はプツリと途切れた──そして、次に意識が戻ったときには鍛治鞘さんが目の前で倒れていたのだから驚きである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます