021


「遅いよ菜々ななちゃん。この時期でも夜はそれなりに冷え込むんだ。もう少しで風邪を引くところだったよ」


 私と例の竹刀を携えた鍛治鞘かじさやさんが公園に到着すると、そんな文句を垂れながらブランコを立ち漕ぎする芳楼ほうろうさんがいた。

 飄々とした彼は今日もブレない。そのまま見事な一回転を決めてブランコから飛び降りる。

 鍛治鞘さんをここへ連れてくる説得を私は必死でしていたのに呑気なもんだ。すでにこっちは精神的にちょっと疲れてるというのにさ。


「やあやあ初めまして。君が噂の鍛治鞘くんだね?」

「おい上野、話が違うじゃねえかよ。誰も待ち伏せはしていないって言ってたよな?」

「そ、それは言葉の綾です! というかこの人は鍛治鞘さんを襲うために待ち伏せしていたわけじゃないですよ! ……紹介します、こちらは芳楼さんです」

「どうも芳楼です、芳楼仗助です。イエーイ。趣味は放浪することかな。よろしくね」

「斬っていいか?」

「ダメですよ!? 鍛治鞘さん、竹刀を構えないでください!」


 自己紹介をするなりダブルピースをかますものだから鍛治鞘さんへの第一印象は最悪の滑り出しをした芳楼さんだった。トバッチリを食らいたくない私は慌てて鍛治鞘さんを諫める。

 

「ところで鍛治鞘くんは菜々ちゃんからどの程度の説明を受けたのかな? 僕としては同じことを説明する手間を省きたくてね」


 悪びれる素振りもない芳楼さんがそんなことを尋ねる。

 屈強・強面・凶暴さ。その三拍子を兼ね揃えた鍛治鞘さんを前にしても私と変わらない態度で接せられるこの人はほんとに肝が座っている。もはやその太々しさには見上げるものがあった。


「あ? 上野から具体的な説明は受けちゃいねえよ」

「あれ、それはおかしいな。それだと今回の大事な目的を伝え損ねてるようだけど」

「……目的?」

「わーーーーーー!」


 鍛治鞘さんが首を傾げたところで私は二人の間に割って入るように大声を出した。そのまま芳楼さんに詰め寄る。


「芳楼さん! あなたはさっきから鍛治鞘さんのことを知らずに話しすぎです!」

「何がだよ。僕は今からしようとしていることを有り体のまま伝えようとしてるだけだぜ?」

「私も知り合って日は浅いですが、それでも芳楼さんより鍛治鞘さんとの接し方は心得てるつもりなんです。彼に伝えない方がいいことだってあるんですから」

「……じゃあもしかしてとうについては全く説明してないってこと?」


 こくり。

 私は小さく頷く。


「おい、呼び出した俺を放って二人で内緒話か?」

「す、すみません鍛治鞘さん! すぐ終わらせるので少しの間だけ辛抱していてください」


 苛立ちを募らせる鍛治鞘さんに平謝り。

 それから私と芳楼さんは互いが互いにだけ聞こえるような小声で続けた。


「駄目じゃないか菜々ちゃん。確かに今回は付喪つくも式のモノノ怪である侘び寂び刀が割りのいい仕事になると踏んでのことだが、それを導くことによって鍛治鞘くんの不調が治るってことも伝えなきゃ」

「……ええ、そりゃ百歩譲って侘び寂び刀のことを伝えるのは賛成しますよ。でも彼の不調がそれによるものだということを伝えるのは断固反対です!」

「なんでさ? 僕たちは侘び寂び刀を導かせてもらうことで多額の金を得る、そして鍛治鞘くんは不調が治る。この両陣営ともWin-Winの関係であることを伝えたほうがことも運びやすくなるだろ? そしたら彼も協力的になってくれるかもしれないし」

「…………はぁ」


 私はため息をついた。

 やっぱり芳楼さんは鍛治鞘さんの性格を何も理解していない。


「いいですか? 鍛治鞘さんは不調がモノノ怪によるものだと教えても、きっと信じてはくれません。彼ならその理由が自分にあると信じてやまないでしょう。それくらい剣道に対してストイックな人なんです」

「へえ、あの子もなかなか頑固なんだね」

「それに鍛治鞘さんは私たちが思っている以上にその現状に思い詰めてます。彼も彼なりに足掻いていたんですよ。そこへ助けるなんて上から目線で話を持ちかけてもプライドが高い鍛治鞘さんは受け入れてくれませんって。むしろ火に油です」


 持ち前の人並み外れた腕っぷしに物を言わせ、これまでに立ちはだかった敵を己の力のみで屈服させてきた鍛治鞘さんのことだ。

 そんな人が他人に助けを乞うことを是とするはずがなく、侘び寂び刀について本当のことを伝えてしまえば、たちまち彼は馬鹿にしているのかと激昂してこの話自体おじゃんになる可能性だって大いにある。


「なるほどね。菜々ちゃんの言い分は理解したよ。導師がことを執り行うにあたって当事者に説明をするのは導師規約で定められているんだけど、これは事前じゃないといけないってことはないからね。要は菜々ちゃんのくらやのときみたく事後でもいいんだ」

「……導師規約? そんなのあるんですか?」

「これでもモノノ怪という特殊な存在を扱う職業柄、それを悪用しないように色々と決まりがあるのさ。菜々ちゃんもそのうち覚えてもらうよ」


 うーん、それはしち面倒臭そうな話だ。

 変なところでちゃんとしてるんだよな、この界隈って。

 

「よお。そろそろ内緒話もすんだかよ? お二人さん」


 鍛治鞘さんはとうとう痺れを切らしたらしい。

 むしろ短気なこの人のことを考えたらよく待った方か。


「えーと、はい。お待たせしました。……じゃあ、あとはよろしく頼みますよ芳楼さん」

「何を言ってるんだよ。今回頑張るのは君の方だぜ?」

「え?」

「あ、そうそう。早速で申し訳ないけれど、鍛治鞘くんにはを飲んで欲しい」


 言いながら芳楼さんが取り出したのは、ラベルの貼られていないペットボトル。中には無色透明の液体が半分ほど入っている。


「決して怪しいものは入ってないから安心してくれよ。嘘じゃない、本当さ」

「これは飲めばいいのか?」

「そうそう。ささ! 一思いにググッと」

「…………」


 言われるがまま鍛治鞘さんはその謎の液体を飲み込んだ。

 さすが百戦錬磨の猛者なだけはある。常人ならそんな怪しいものを口に含まないと思うが臆することを知らない彼には関係ないらしい。

 あっという間に飲み干した鍛治鞘さんは一拍おいたあと、眉をひそめる。それから尋常じゃない様子で咽せ始めた。


「ちょ、芳楼さん! 何を飲ませたんですか!?」

「お神酒みきだよ。僕がこしらえた特製のね」

「お神酒ってお酒ですよね!? 鍛治鞘さんはアルコールに滅法弱いって言いましたよね!?」

「アレー、ソウダッケ?」


 その反応は絶対に知ってただろ!

 しかし芳楼さんは構わず続ける。


「でも今回は鍛治鞘くんをアルコールで酔わせる必要があるのさ。そしてトランス状態となった彼と戦うんだよ──菜々ちゃんがね」

「はい?」

「僕の作ったお神酒は悪酔いしない。ただ、ちょっとばかし我を失うだけだ」

「それを悪酔いと呼ぶんですよ!?」

「ほうら。もう鍛治鞘くんは全身にお神酒が巡ったようだ」


 そう言って芳楼さんは前もって隠していたらしい一振りの木刀を茂みから取り出し、私の方へ放り投げた。なんとかキャッチする。

 それは修学旅行帰りの学生が持っていそうなほど何の変哲もない木刀だ。


「このままだと鍛治鞘くんに斬られちゃうぜ? さあ早く構えて」

「どういう意味ですか! 聞いてませんよ!?」

「戦うんだよ、菜々ちゃんが。そして彼を──侘び寂び刀を倒すんだ。それが今回の方法なんだから」

「なんで私なんですか! そういうのは芳楼さんの役目のはずでしょう!?」

「何を言ってるんだ。餅は餅屋と言うだろ? 剣道はその経験がある君に任せるよ」

「なっ……!?」


 泥酔して我を失った鍛治鞘さんが向かってくる。

 ああなった彼はバーサーカーだ。全身を武装したテロリストと変わらない。もう私に四の五を言っている余裕はなく、言われた通りにするしかないのだろう。


「わーん! またしても芳楼さんに嵌められた!」


 果たして私は木刀を構える。

 大学生にもなって半ベソをかきながら。

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