019


「せっかくだから昼飯でも食べてかないかい?」


 仕事を終えた私が帰路に着こうとしたとき、芳楼ほうろうさんがそんな提案をしてきた。

 何がせっかくなのだろう。今日が日曜で私が休日出勤をしたからか? いやでも私の雇用形態はシフト制じゃない。雇い主である芳楼さんに呼び出されたときのみ出勤という感じなので休日出勤の概念なんてないと思うけど。


菜々ななちゃんは相変わらず察しが悪いなぁ。今回が君の正式な初仕事だったろ? だからまあ、そんな感じだよ」

「ということはもちろん芳楼さんの奢りですよね!」

「もちろんってなんだよ……。いや、その図々しさは嫌いじゃないけども」

「私、前から回らないお寿司屋さんに行ってみたかったんですよ! あ、焼肉でも良いですよ? どっちにします?」

「…………」 


 呆れ顔の芳楼さんが選んだのは前者だった。

 そんなわけで私たち近場にある評判の良い寿司屋へと向かう。そこは歩いても行ける距離にあったが、それでもタクシーを拾う芳楼さんはやっぱりお金を持っているらしい。導師って儲かるんだな、と改めて思った。


「おおお! 初めて来ましたよ、私! 見てください! 板前らしき人がちゃんと握ってますよ!」

「……らしきじゃなくて本物の板前なんだって。恥ずかしいから大きな声を出すなよ。僕まで同類だと思われるじゃないか」

「今までは100円寿司しか行ったことなかったので、こうも立派なカウンターとか見ると興奮しちゃいますよ!」


 念願だの回らない寿司屋に来たのだ。

 これを喜ばずにいられようか! いや、ない!

 芳楼さんに宥められても興奮を抑えられなかった私は、高鳴る胸と共に案内されたカウンター席に座った。隣に座った芳楼さんが慣れた具合で注文する。続けて私も食べたいネタを注文した。


「芳楼さん、今日はご馳走になりますね。こんな美味しそうなお寿司をタダで食べられるなんて夢のようですよ!」

「僕は一言も奢るとは言ってないけどね?」

「ええ!? 奢りじゃないんですか!? 私はまだ芳楼さんから給料貰ってないからお金ないですよ!」

「……ま、これくらい良いけどさ」


 おお、芳楼さんが気前の良い人で良かった。

 危うく食い逃げする覚悟を決めるとこだったよ。


「ところでシャンプー変えた?」

「急になんですか!? 変えてませんよ! 気持ち悪い!」

「おかしいな? 菜々ちゃんの髪からは前とは違う匂い、それこそ男性用のシャンプーの匂いがするけれども……あ、ヒラメください」

「多分それって大学の先輩のことじゃないですか? この前ちょっとわけあって家にお邪魔したんですよ……あ、納豆巻きお願いします」


 先日、私は鍛治鞘かじさやさんの家にお呼ばれした。

 神に誓ってやましいことはしていないが、途中、ほろ酔い一本で酔いつぶれてしまった鍛治鞘さんをを介抱していたらゲロをかけられてしまったのでお風呂をお借りしたのだ。

 男の人の家にある風呂場はどこか新鮮で妙な気持ちになったけれど、状況が状況だっただけに致しかたなし。その過程でシャンプーを拝借したのだが……その匂いが今頃もするだろうか?

 あれから日数も経っている。もちろんそれからも私は自分ちでお風呂に入っているんだから、あのときの残り香がするとは考えられない。しかしまあ、普通じゃない芳楼さんのことだ。きっとこの人の変態的な嗅覚で僅かな残り香を嗅ぎ取ったのだろう。


「へぇ、どんな先輩なの? その人は」

「別に鍛治鞘さんは普通の……」


 言いかけたところで止まる。

 人呼んで人斬りの鍛治鞘──そんな彼を普通の二文字で説明できるわけがない。思った私は面倒だったが事のあらましを話すことにした。

 輩に絡まれてたところを鍛治鞘さんにに助けられたことや、剣道部内で警察沙汰を起こしたこと。そして彼が暴力を振るうに至った原因やその胸中まで。

 ともかく、鍛治鞘鎬しのぎという人物のひととなりについて知っていることを全て話した。その流れで赤錆び色斑点模様を浮かべる竹刀のことも。


「そりゃ十中八九、そのとうのせいだろうね」


 私の話を聞き終えた法楼さんはそう言った。

 ついでにマグロを注文しながら。


「……侘び寂び刀?」

「その竹刀は赤錆び色の斑点模様が浮かんでいたんだろう。菜々ちゃんの話に誤りがなければ、それはきっと付喪式のモノノ怪だ。間違いないよ」

「そこまで断言できるんですか? あ、タマゴお願いします」

「だって竹で作られている竹刀にそんな斑点模様が浮かぶはずがないだろ、普通。その鍛治鞘くんという子が試合で勝てなくなったのも侘び寂び刀の特徴に一致しているし、たかが湿気の問題で竹刀にそんな模様は出てこないよ」


 モノノ怪に相変わらず詳しくない私にはよくわからない。

 それのスペシャリストである導師どうしの芳楼さんが言うんだ。きっとその推理は正しいのだろう。


「剣豪を魅入るはずの侘び寂び刀が、この時代に現れるのは珍しいことだけどね……アナゴをひとつ」

「でも侘び寂び刀が試合に勝てなくなるのと関係があるんですか? そもそも侘び寂びって美意識を表した言葉じゃないですか」

「いいかい? 侘び寂び刀は──詫びていて、寂びているんだぜ」

「詫びていて、寂びている」


 言われたことを反芻する。

 その説明に察しのついてない私を見て、芳楼さんはお茶をゴクリと飲んでから口を開いた。


刀では、切れるものも切れないだろ?」

「……また言葉遊びですか」

「くっくっく。まあそんなこと言ってくれるなよ。これも先人たちの知恵なんだから」

「じゃあ詫びの方はどういう意味なんです? ダジャレにしても思いつきませんけど……あ、かんぴょう下さい」

「さあね。それは知らないよ。きっと語感が良いからとかじゃない?」

「…………」


 ほんとにモノノ怪界隈って適当で良い加減だな。

 聞いて呆れるよ。


「そういえば菜々ちゃんさ、どうしてかっぱ巻きやいなり寿司みたいな安いネタばっかり食べてるんだい? 遠慮しなくてもトロとかウニみたいのだって注文して良いんだぜ」

「遠慮なんてしてませんよ。ただ生モノが苦手なだけです」

「……じゃあなんで寿司を候補に挙げたんだよ」

「?」


 そりゃあ、回らない寿司屋に来たかったからだけど。

 回らない寿司屋はガリまで絶品らしい。そんなガリを頬張って舌鼓を打つ私になぜか呆れ顔をする芳楼さんだった。

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