018


「よいしょっと。……ふぅ、これでいいんですか?」

「上出来だよ、菜々ななちゃん。どうもご苦労さま」


 大学のない週末の真昼間、場所は近所の河原。

 そこで私と芳楼ほうろうさんの二人はとあるモノノを導いたところだった。


「芳楼さんからやっと来た出勤の連絡だったのでどんな内容だろうと覚悟してましたけれど、これじゃあ拍子抜けですよ」

「そうかい? そりゃあ期待に添えず申し訳ないことをしたね。でもモノノ怪を導くってのは、案外、こうした単純なのも多いんだぜ」


 芳楼さんから電話がかかってきたときは中々おっかなびっくりしたけれども、いざ出向いてみれば大したことはない。その内容は河原にある大きな石を対岸まで運ぶという、誰でもできるような簡単なものだった。

 くらやのときみたく激しい動きをするものだと思っていたものだから、動きやすいように高校時代のジャージを着てきた私がバカみたいじゃないか。……恥ずかしいったらないよ。


「用心をするに越したことはないさ。それに水辺での仕事だったことだし、結果から見ればその服装もあながち間違いではなかったじゃないか」

「そりゃそうですけど」


 季節は夏に入ろうとしている。気温だって決して低くないのに、長袖を着ているもんだから蒸れて仕方ない。

 もし私にもっと用意周到さがあって水着を持参していたのなら、今すぐ川へと飛び込みたいくらいだ。


「どうしてこれくらいのことで私を呼び出したんです? ただの石を運ぶくらいなら芳楼さんひとりでも出来たでしょうに」


 腕まくりをしながら訊いた。

 確かに暑さのせいで体力はかなり消耗したけれど、それは私が長袖を着ているからだ。Tシャツにパンツというラフな格好をしている芳楼さんなら、それこそ片手間で終わる仕事だろう。


「だってそろそろ仕事を与えないと菜々ちゃんが怒るだろ? じゃないと完全歩合制の君は一向に給料を貰えないわけだし」

「ってことはお情け案件ですか、これは」

「そんなことないよ。最初から大きな仕事を任せるのも可哀想だから僕はただタイミングを伺っていただけさ。そして今回みたいな初心者の君でも十分にこなせる仕事が舞い込んできたもんでようやく呼んだ次第だよ」

「研修みたいなもんですね」

「そういうこと」


 芳楼さんはそう言ってニカっと笑う。

 改めて明るい太陽の下でこの人を見たけれど、もしかすると結構なイケメンなのかもしれない。目鼻立ちもそれなりに整ってやがる。なんか悔しい。

 私が芳楼さん恋心を抱くなんて展開は絶対に! 絶対に! ありえないが。


「なんで二回も言うんだよ」

「大事なことなので念を押したんです」

「ちぇ、性格悪いなぁ。そんな釣れない態度をとるんだったら給料を少しばかり引いてやってもいいんだぜ?」

「芳楼さん、本当にあなたはカッコいいですね。ジャニーズかと思いましたよ、まったく」


 前言撤回。

 芳楼さんはとてもイケメンだ。すこぶるイケメンだ。もう凄いレベルのイケメンだ。知的で話も面白く、その上で性格も優しい紳士と来たもんだ。その非の打ち所のなさはきっと現世の聖人君子なのかもしれないぞ。

 そんな人と一緒に働ける私はなんて幸せ者なんだろう! 彼に痺れる憧れるゥ!


「くっくっく、本当に菜々ちゃんは面白いなぁ。その切り替えの早さは武器だね。現金のことになると途端にゲンキンになるんだから」

「私で遊ばないでください。一種のパワハラですよ、これ」

「ごめんごめん。でもやめられそうにないや」

「…………」


 芳楼仗助。

 やっぱりこの人は私に天文学的な額の借金を背負わせただけあって、その本質はただの性悪なのかもしれない。

 さっさと家に帰るとしよう。貴重な休日をこんな放浪男と共にしていたら花の女子大生の名が泣いてしまうからな。


「ところで期待はしてませんけど、今回の給料はいくらくらいなんです? 参考程度に教えてくださいよ」

「正確な数字は今ここで判断しかねるかな。今日の報酬から借金の一部を返済にあてて差し引いた分が給料になるからね。でも差し引く前の報酬だけでいいなら──これくらい?」

「……その指の単位って百円ですか?」

「んにゃ、その一万倍」

「百万円!?」


 目が飛び出そうになった。

 金絡みのやらしい話になるので芳楼さんが何本の指を立てたかは伏せさせてもらう。しかしその話が本当なら、今回の給料だけでちょっとした人の年収にも相当するだろう。

 かような大金も芳楼さんへの借金返済のいち部分に当てられてしまい、私の手元に残るのはごく僅かな金額になってしまうのだが、それでも今の極貧生活が激変することに変わりない。これでやっと人並み程度の文化的な暮らしにありつける!


「今回は付喪つくも式のモノノ怪だったからね。残穢物ざんえぶつがとあるルートに流すと高値で売れるんだ。それだからちょっとだけ色をつけておくよ」

「付喪式?」

「モノノ怪は大きく分けていくつかのタイプに分類できるんだよ。例えばくらや巳や隠し山羊やぎのように、それ自体でモノノ怪として成立しているタイプを完結式と言う。そしてさっき菜々ちゃんが導いた奴のように、何らかの物に取り憑いて初めてモノノ怪として成立するのが付喪式だね」


 わかりやすく言えば付喪神つくもがみのようなものかな。

 まだまだモノノ怪に対して知識の浅い私に、芳楼さんはそう説明してくれる。


「そういった付喪式のモノノ怪が取り憑いていた物は残穢物として残るんだけど、それを好んで集めるマニアに高く売れるんだ。だから菜々ちゃんにさっきの額を振り込んでも僕の取り分は十分ある」

「じゃあ今回はこの石が……」

「そういうこと。でもこのルートを持っているのは僕だけだから、菜々ちゃんがその石を持っていても宝の持ち腐れだよ。残念だったね」

「まあ、あれだけの額がもらえるなら文句は言いませんよ」


 私もそこまで守銭奴ではない。

 むしろ働きぶりに対して報酬が莫大すぎるくらいだ。それ以上は気が引けてしまう。


「そういうわけだから、もし君が付喪式のモノノ怪に出会ったら教えてくれよな。割のいい仕事なんだから」

「そう都合よく出会いませんよ。というか、そんな簡単にモノノ怪に出会ってたまるもんですか!」

「そうかい? 僕はもうすでに出会ってると思うけどね」

「?」


 首をかしげる私。

 はて、何かあっただろうか──最近の出来事に心当たりはないけれど。

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