鍛治鞘

013


 この世に生を授かるとき、人は誰しも男として生まれるか女として生まれるかという二択を迫られる。最近はセンスティブな時代になったもので、必ずしも選択肢がこの限りではない場合もあるけれど。

 そしてこの選択にもちろん正解なんて存在しないのだが、果たして私のように後者を選んでしまうとこのような事態に巻き込まれやすくなってしまう。


「へい、そこのお姉ちゃん! ここら辺の大学生?」


 芳楼ほうろうさんにホテルへ呼び出された晩から二週間が過ぎた晩のことだ。欲しいものがあって深夜にも関わらず向かったコンビニの帰り、私はその駐車場で治安の悪そうな輩に声をかけられた。

 反射で足を止めてしまう。四月の頭に芳楼さんと初めて会ったときの後悔から何も学べていない私だった。


「こんな夜中に出歩いて何してんのさ。俺と遊ぼうよ」

「……結構です」 

「釣れないこと言うなよ。寂しくなっちゃうだろ」


 輩は見るからにチャラついていた。

 安っぽいサングラスと第二ボタンまで開けられた開襟シャツがその印象を加速させる。プリンのような金髪には不潔感すらあった。


「せっかくの華金なんだぜ。今夜を楽しまない手はないだろ?」

「……ほんとに結構ですって。彼氏もいますし」

「えぇ、嘘だろ!? そんな独り身っぽい見た目しといて!?」

「なっ……!?」

「絶対に彼氏持ちじゃないっしょ!」


 いや、うん。確かに今のはお前を追っ払うための嘘だよ?

 だけどそんな決め付けするなよ! シンプルに傷つくじゃないか!


「つーか、その服装は明らかに誘ってるじゃんか。そんなに足出しちゃってさ」

「誘ってないですよ!? これはコンビニに行くだけだったので部屋着のままなだけですから!」


 この輩といい芳楼さんといい、ただ短パンを履いてるだけでどうしてそんな思考に陥ってしまうのか分からない。

 脳みそがバグっちゃてるんだろうか。もしくは誤ってカニ味噌が詰められているのかもしれない。

 

「もちろん奢るぜ。飲みたい酒があれば買ってくるからよ」

「いや、そもそも私未成年なんでお酒は飲めないですし」

「とか言ってほんとは飲んでんだろ? 大学生ってそういう生き物じゃんか」

「偏見ですよ……」


 まあ、同い年のしぐれがサークルの飲み会とかで飲んでるらしいのでその認識があながち間違ってるとも思わないけど。

 この前なんて二日酔いで中間テスト休んでたし。

 

「ともかく私は成人するまで飲まないと決めているので」

「考え方が固いよ! どうせ皆んな飲んでるんだから良いじゃん」

「そんなの法律を破る理由になりませんから!」


 言うまでもなく未成年飲酒は違法だ。

 どんな理由があろうと、それを破っていい道理はない。


「お姉ちゃんはアルコールの楽しさを知らないからそんなことが言えるんだ。これを機に俺が教えてやるよ!」

「ケッコーです!」

「ハハハ、ニワトリみたい! コケコッコー!」

「…………っ!」


 輩の足元をよく見ると缶チューハイの空き缶が転がっていた。どうやら私が来るまでにも一人で飲んでいたらしい。

 酔っ払いの相手をこれ以上してられるか。ついにシビレを切らした私は、それからもニワトリの鳴き真似をしていたトリ頭を無視して立ち去ろうとする。ところがそれを許さない輩が立ち上がって私の腕を掴んできた。


「やめてくださいっ! 警察呼びますよ!?」

「呼べるもんなら呼んでみろって。こんくらいじゃあ警察も取り合ってくれないよ。ただのコミュニケーションだもん」

「腕掴みから始めるコミュニケーションって何ですか!? コミュ障でももっとマシなコミュニケーションしますよ!」

「ハハっ、お姉ちゃんったら面白いね。最高。仲良くしようぜ」

「無理ですよ!? 勘弁してください!」


 そもそもニキビだらけで気持ち悪いその顔面が生理的に受け付けないんだ。せめて最低限の清潔感を得てからにしてくれ!

 しかし私が抵抗をすればするほど、輩の掴む力は強くなっていく。誰かに助けを求めなくちゃ本格的にやばい。大声を出そうとした──そのときだ。


「そいつは嫌がってんだろうがっ! くどいんだよ、ボケェ!」

「ぼがぁ!?」


 骨の砕ける音がした。一瞬、何が起きたのかわからない。

 視界の外からいきなりの殴打を顔面に喰らった輩は勢いよく鼻血を出しながら吹き飛び、かけていたサングラスが宙を舞う。そのまま輩は数メートルの空中浮遊を経験したのち、ドサリと音を立てて無様に背中からアスファルトに落下した。

 腕を掴まれていた私も引っ張れた反動でバランスを崩したけれど転倒するには至らない。直前でなんとか踏み止まることができた。


「大丈夫か、お前」

「あっ、いや……はい」

「ここらは変な奴が多いからよ。夜中に女がひとりで外出するなら用心しろよな」


 どうやらこのガタイのいい人物が窮地の私を救ってくれたらしい。

 拳骨で人がふき飛ばすってどんな威力だ。おっかなびっくりしてしまう。そんなえげつない拳をモロに喰らった輩はすっかり伸びており白目を向いていた。


「とりあえず逃げるぞ。これ以上の厄介事はごめんだからな」

「え、ちょ──!?」


 言いながら走り出す彼にまたもや腕を掴まれた。

 釣られて私も走り出す。今日は腕が掴まれやすい日なのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る