009


 夕凪の扉が消え、私たちは店の外へ出る唯一の経路を絶たれてしまった。

 に関して知識はからっきしの私だったけれど、まだ記憶に新しかった苦い経験から直感する──ああ、モノノの仕業だなと。


「どうしよう、菜々なな! 私たち閉じ込められちゃったよ!?」

「しぐれ、落ち着いて。きっと大丈夫だから」


 扉の跡形もない消失。

 そんなありえない事態を目の当たりにして慌てふためくしぐれを、そのような現象に多少の耐性があった私が背中をさすりながらなだめる。

 言うまでもなく、ひとりでに扉が消えるなんてあり得ないことだ。しかし、そのに変えてしまう存在を私は知っている。


「くそっ、ダメだ。どうやっても窓ガラスは開けられないよ」


 緊急の脱出経路として窓ガラスも挙げられたが、鍵が経年劣化によって完全に錆付いておりビクともしなかった。体当たりをしてみてもそれは同じで、割ることすら出来そうにない。鉄が如くの頑丈さだ。

 更に異変はもう一つある。さっきまで透明だったはずの窓ガラスが、今はスモークを貼ったかのように曇っていたのだ。そのせいで外の様子は全く伺えない。

 以上のことから超常的な力が働いてるのは明白であり、モノノ怪の仕業であるのは間違いないと思った。


「……うう、このまま一生出られなかったどうしよぉ。バイト先で死ぬとか絶対に嫌だぁ」


 しぐれは早くも精神的に追い詰められていた。声は涙まじりになっている。

 友達のこんな姿は見ていたくない。思った私は決断し、ポケットからスマホを取り出した。電話帳を開き、登録したばかりの連絡先に電話をかける。

 頼む、繋がってくれ。もはや異空間となっているかもしれない夕凪において、外界からの電波は届いていないかもしれないと思った──が、それは杞憂だったらしい。

 すぐに電話の奥から呼び出し音が聞こえた。

 コールが三回が繰り返されたのち、あの人に繋がる。


『もしもし、僕だけど。芳楼ほうろうだけど。仗助じょうすけだけど』

「……明らかに寝起きの声ですね」

『その声は菜々ちゃんだね? やあやあ、しばらくぶり』


 菜々ちゃんだねって。

 私からだとわかっていたからそんな適当な出方をしたんじゃないのかよ。


『どうしたんだい、現役ピチピチの女子大生から電話をかけてくるなんて。もしかしていかがわしい話の誘いかな?』


 おっと、手が滑った。

 電話を切ってしまった。


「菜々、誰に電話してるの?」

「知り合いの変態」

「なんでこんなときに変態にかけてるの!? というか、そんなのが知り合いって大丈夫!?」

「でも頼りになる変態なんだよね、多分」


 ……なるよね? 対くらやのときはカッコ良かったし。

 気を取り直して掛け直す。私に天文学的な借金を背負わせ、私の身体を狙い、私の雇い主であるモノノ怪のスペシャリスト──導師どうし、芳楼仗助に。


『その言い方は誤解を産むだろうが。僕が言った「身体で払う」はそういう意味じゃないって説明しただろ』

「それは自分の言動を恨んでください」

『菜々ちゃんは手厳しいね。ところで何の用だい?』


 芳楼さんがふざけるせいで本来の用件を忘れるとこだった。

 言われて私が今の状況を説明すると、


『あらら、それは完全にモノノ怪だね』


 と、芳楼さんが言った。

 それはとても気の抜けた声で、電話越しなのを良いことに鼻くそでもほじっているかのよう。


「こんな立て続けにモノノ怪に魅入られるなんておかしくないですか? 今までこんなことは無かったのに」

『そんなことないよ。一度モノノ怪に魅入られちゃうとね、モノノ怪に魅入られるクセがついちゃうんだ。ほら、顎って一度外れると外れやすくなるだろ。それと似たようなもんだよ』


 なんちゅう例えだ。

 しかし、その話に沿って考えれば私は今後たくさんのモノノ怪と対峙することになるのだろうか?


『そういうことになるね。でも菜々ちゃんの場合は特殊だから、別にくらや巳の件がなくてもそうなる運命だったと思うよ。あれはほんの始まりに過ぎないんだから』

「え、それってどういう意味──」

『おっと、話が逸れたね』


 尋ねようとしたところで、間髪入れずに芳楼さんが続ける。


『菜々ちゃんからの話を聞く限り、きっとそのモノノ怪の正体は隠し山羊やぎだろう』

「隠し山羊……?」

『そいつは物を隠すモノノ怪さ。ときには概念の類も隠しちゃうから厄介な場合もあるけれど、今回はたかが扉だろ? 不幸中の幸いだったね』

「いや、全くもって幸いとかじゃないんですよ!? すごい困ってますから助けに来てください!」

『そりゃ無茶な相談だ。僕は今九州にいるんだぜ? 原付でそっちに向かっても数日はかかる』

「なんでそんな遠くにいるんですか!」

『半分は仕事で半分は趣味かな。ほら、僕の趣味って放浪だからさ。芳楼が放浪癖って面白いだろう? いいキャラしてるよな』

「…………」


 この人はアホなのか!?

 名前に引っ張られて趣味を決めるなんてキャラ付けが杜撰ずさんにもほどがあるだろ!


『まぁ、今回の隠し山羊はモノノ怪の中でも獰猛さは低いからね。僕がいなくても上手くやれると思うよ──だって君は肉食系じゃないか。草食の山羊なんて敵じゃないはずだ』

「だから私は肉食系じゃないですって! 変な言い方しないでくださいよ」

『いいや、君は立派な肉食系だよ』

「じゃあもうそれでいいです!」


 変態のアホには付き合ってられない。

 これ以上取り合ってもらちがあかなさそうだったので、私は諦めることにした。


「……ところでなんですが、くらや巳といい隠し山羊といいモノノ怪の名前って誰が決めてるんですか? 何かしらの由来はあるんですよね?」


 気になって聞いてみる。

 少しはモノノ怪に詳しくなれるかもしれない。


『良い質問だね。……でも、モノノ怪の起源は伝承による古いものが大半だから誰が最初に名付けたのかは僕も答えかねるかな。まあ、由来の大体はダジャレみたいなものさ。その方が覚えやすいし、後世に語り継ぐにも都合がいい』

「ダジャレ、ですか。ああ、暗闇だからくらや巳……」

『そういうことだ』


 なるほど、確かにそれは理に適っている。

 案外モノノ怪も考えられているらしい。ちょっと感心した。


「じゃあ隠し山羊はどうして山羊なんですか?」

『山羊は英語で?』

「……goatゴート

『もうわかるだろ?』


 隠しgoat。

 隠しゴート。

 隠しごと。

 隠し事。

 ……いや、しょうもな。


「古くからの伝承とか言っている割には英語じゃないですか!」

『そりゃ超常的な存在である彼らを無理やり僕らの言葉で名付けただけだからね。実際はいい加減なところもあるし、多少の歪みはあるさ』

「感心した自分が恥ずかしいです」

『そこにはたくさんの本があるんだろ? なら執筆という意味での「書く仕事」も相まって、隠し山羊が出現しやすい条件にあったんだろうね』

「…………」


 大喜利みたいなことを言う芳楼さん。

 モノノ怪に恐れおののいていた自分が馬鹿らしくさえ思える。


『ちなみにもう一つ、そこに隠し山羊が出現した決定的な要因があるんだけど教えて欲しい?』

「……結構です。言われなくてもわかるので」


 答えは聞くまでもなかった。

 山羊といえばやつらが何を好むのか、そのイメージさえあれば小学生だって解ける問題だ。


「夕凪にはたくさんの本が──紙があるから、でしょ」

『正解』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る