五月雨

007


「それにしても菜々の部屋ってなんか寂しいよね。最低限のものしか無いって感じで殺風景だよ。テレビすらないし」


 私が芳楼ほうろうさんのもとで働くことになって一週間が経った。幸か不幸か芳楼さんから仕事の連絡が来る気配は一切なく、相変わらず貧しい日々を送っているものの平穏に過ごしている。

 今だって大学の帰りにしぐれが私の家にやってきて、こいつのバイトの時間まで適当に話し相手をしてやってるくらいだ。


「ミニマリストと言ってよね。私は部屋が散らからないように敢えて物を少なくしてるの。それにもともとテレビは見ない人間だから必要ない」

「だとしてもだよ。なんかもっとこう、生活感ってのが欲しいよ。これが一人暮らしをしている女子大生の部屋とは思えないね。化粧台もないじゃん」

「そんなの要らないよ。私はめんどくさいからメイクなんてしないし」

「それでも外に出れる顔だからずるいよね、菜々は。今の言葉は世間の女子から顰蹙ひんしゅくを買うよ」


 それを売ったらお金になるのか?

 もしそうなら是非とも大量購入していただきたいものだ。少しでも借金の返済に当てたいからな。


「だけど別にしぐれだってそこまでメイクしてないじゃん。いつも軽くリップ塗ってるだけだし」

「まあ私は可愛いからね。それで十分だよ」

「お、おう……」


 確かにお前は可愛い顔してるもんな。

 大学でもたまにしぐれの話をしている男子たちを見かけるし。


「でも菜々のことを可愛いって言ってる人もいるよ。私の入ってるサークルの先輩なんだけどね」

「その先輩って石油王だったりしない? もしくは財閥のご子息だったり」

「いや全然違うけど……」

「じゃあいいや、興味ない」

「凄く感じの悪い女になってるけど大丈夫そ!?」


 もしお金持ちだったら一度ご飯にでも思ったが、そうじゃないなら用はない。

 もちろん私だって年頃の女の子だ。それなりに彼氏を欲しいと思う気持ちもある。けれども事情が事情なので今は色恋沙汰に時間を割いている暇はないんだ。

 

「まあ、また落ち着いたらその先輩は紹介してもらうよ」

「そんな悠長でいいの? 先輩はイケメンだからその頃までに彼女がいない保証はないからね?」

「とりあえず今はいいの。私も忙しいし」

「ははーん。菜々ってばそんな感じだから今まで一度も彼氏が出来たことないんじゃないの? ダメだよ、チャンスを逃してばかりじゃ」

「うるさいなあ!」


 当たってるけどさ!


「でも何がそんなに忙しいの? 中間テストの時期も終わったことだし、バイトしてない菜々はずっと暇でしょうに」

「そうだけど……」

「あれ? もしかしてバイト始めたの?」


 ぎくり。

 しぐれは変なところで勘が鋭い。


「ああっ、その反応は絶対にそうでしょ! 隠そうとしたって無駄だよ、私にはわかるからね!」

「ソ、ソンナコトナイヨッ」

「嘘だ! もう目が泳いでるもん! 眼球が平泳ぎしてるもん!」

「比喩でもそんな気持ち悪い例えはやめてくれ!」

「私たちの間で隠しごとなんて水臭いよ。それに菜々はちょっと汗臭いよ」


 後半は余計だ!

 そりゃ最近は気温も高くなってきたし、少し汗ばんでるかもしれないけどさ!

 くそ、ケチってクーラーを付けてなかったのが仇となった。


「もしかして私に言えないようなヤラシイ系なの? うん、でも確かに。菜々のおっぱいがあれば需要ありそうだもんね」

「勝手に納得するなよ、断じて違うからな! おいこら、合点がいったように頷くな!」

「ならさっさと教えてよね。勿体ぶらずにさ」

「そ、そう言われましても……」


 言えるはずがない。モノノ怪に関する仕事だなんて。

 雲の上を歩き、虹を掴むような話だ。信じてもらえないことはもとより、馬鹿正直に話しても頭がおかしくなったと思われるのが関の山だろう。

 そんな体裁を気にすると共に、無関係のしぐれを巻き込みたくないという懸念もあった。不用意に話していいことではないと思うし。

 私は考えた末、親戚の手伝いだと誤魔化すことにした。不本意にも騙すような形になってしまったが致し方ない。嘘も方便という言葉があって助かった。


「……そうなんだね。叔父さんの仕事の手伝いをしてるんだ。何はともあれ菜々がやっとバイトを始たようで安心したよ。私はずっと心配していたんだから」

「あんたは私の親なのか?」

「ううん、しゅうとめ。しかも小姑こじゅうとね」


 そりゃあ世話焼きなのも頷ける。

 誰とも結婚した覚えはないけれど。


「ともかくようやくこれでパンの耳生活から脱却だね」

「なんでそのことを知ってるんだ!? 恥ずかしくて言ってなかったのに!」

「だって冷蔵庫にその袋しか入ってなかったもん。さっき見たときはびっくりしたよ」

「勝手に漁るなよ……」


 私がトイレに行ってる隙に小腹を満たそうとしたらしい。迂闊に目を離す暇すらくれない奴だ。

 けれどもしぐれが言うように極貧生活とおさらば出来たかと言えば、現実はそんなに甘くない。冒頭にも言ったが芳楼さんからの連絡は全くなく、それは私が働けていないことを意味している。だから歩合制の私はこの一週間で一円も稼げておらず、寂しい懐事情は依然として寂しいままなのだ。

 このままだとパンの耳すら食べられなくなってしまうのは時間の問題である。


「そうだ、菜々も無事にバイトを始められたわけだしお祝いしようよ!」

「お祝い? たかがバイトごときで大げさな」

「そんなことないって。ちょうど今から私はバイトだしさ、一緒に来てくれるならそこでサービスするよ。どうせこのあと暇なんでしょ?」

「勝手に私を暇人と決めつけるのはやめてもらおうか! まあ暇だけども!」


 ……が、それは悪くない話だった。

 しぐれのバイト先は夕凪ゆうなぎという小さな喫茶店である。前に何度か行ったことがあるが、そこは私のお気に入りスポットだったりするのだ。

 最近は贅沢にお金を使う余裕がなくてめっきり行けてなかったことだし、サービスをしてくれると言うのならお言葉に甘えてもいいかもしれない。


「でもやっぱりお金がなぁ……」


 私は少し悩んだが、結局この誘惑には勝てなかった。

 たまにはガス抜きも必要だろう。こうも毎日切り詰めていたら肉体よりも先に精神が参ってしまうかもしれないのだから。そうなったら元も子もない。


「じゃあ決まりだね。そろそろ時間もいいくらいだし行こうか」


 言いながらしぐれが立ち上がり、それに私も続いた。

 久しぶりの夕凪はちょっと楽しみだ。自然とテンションも上がってしまう。


「しぐれ、ところで小腹はもういいわけ? 今からバイトならお腹が空いてるのはまずいんじゃない? 途中でコンビニに寄ってもいいけど」

「それなら心配ないよ。しっかりご馳走になったから」

「まさかお前──!」


 嫌な予感がした私は慌てて冷蔵庫の扉を開ける。

 そこにはパンの耳が入った袋すらない、空っぽの空間が広がっていた。


「おい、私の命よりも大事なパンの耳をよくも!」

「大袈裟だよ、菜々。夕凪でちゃんとしたの食べさせてあげるから怒らないで」

「絶対だからな! 最低でも揚げたパンの耳に砂糖をまぶした奴だぞ!」

「……まずパンの耳から離れなさいよ」


 そうしてアパートを出発した私たちは夕凪へと向かう。

 そこで新たなモノノ怪に魅入られてしまうことも知らずに。

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