006
「家まで結構かかるんだろ? 送ってあげるよ」
果てしない借金を背負わされて途方に暮れ、人生お先真っ暗になった私に
ここから家まで歩いて一時間以上はかかる。そんな距離を今の状況で帰る気にはとてもなれなかったが、芳楼さんにこれ以上の借りも作りたくなかった私は、
「大丈夫です。途中でタクシーでも拾うので」
適当にそんなことを言って断る。
もちろんそんな金はないので意地でも歩いて帰るつもりだが。
「強がるなよ。今の
「誰のせいだと思ってるんですか」
「くっくっく。さあ、誰だろうね──まあ乗りなよ。原付に二人乗りするんだ、それなりに時間もかかる。道中で今後のお話でもしよう」
「…………」
結局、甘えることにした私だった。ここまで来たらヤケだ、どうでもいい。
芳楼さんの原付は2シーターではなく1シーター。本来なら二人乗りをしていい車種じゃない。くらや巳から逃げているときはそれどころじゃなくて気にならなかったが、改めて乗ってみるとかなり乗り辛く、やはり芳楼さんにしがみつかないと振り落とされそうになる。
自然と密着度が増してしまう私たち。彼のゴツゴツとした背中に胸が当たる。
初めはその度に空間を作っていたが、そんなことも途中でどうでもよくなった。借金のアテとして私の身体はもう芳楼さんに握られてしまったのだ。なのに今さら気にしていても意味がないもの。
ため息まじりにそう思ったとき、ミラー越しに落ち込む私の顔をみた芳楼さんが口を開いた。
「なあ、もしかして菜々ちゃんは何か勘違いしてないかい?」
風を切る音が大きいせいでよく聞こえない。
何がですか、と私は大きな声で聞き返した。
「確かに菜々ちゃんの身体は魅力的だし、顔もなかなか可愛い。いち健全な男子としてはそれも悪くない条件だ」
「そりゃどうも。褒められても嬉しくないですけど」
「でも年下は趣味じゃないんだ。そうじゃないにしても僕は女の子の弱みにつけ込んで好き勝手してやろうってほど卑怯でもなければ、腐ってもないつもりさ」
「何が言いたいんです?」
尋ねた瞬間、デコボコ道を走る原付は大きく跳ねた。
思わず私は今日一番のしがみつきをしてしまう。
「初めて会ったときにも言ったろ? 菜々ちゃんには僕の仕事の手伝いをしてほしい。さっきのは言葉の綾だよ」
「──え?」
「給料はかなり弾むつもりだ。借金もそこから適宜返してくれる形でいい。自分で言うのもあれだけど、悪くない条件だと思うぜ?」
それは思いもしない話だった。
眼から鱗、もしかすると実際にコンタクトはズレたかもしれない。
「私が、芳楼さんの手伝いをですか?」
「もちろん無理強いはしないよ。
「…………」
導士はモノノ
危ないのはもとより、それを知らない人からしたら胡散臭いのは間違いない。けれどもあれだけの報酬を請求するくらいなのだから、その稼ぎが悪くないのも紛うことなき事実だろう。一日でも早く借金とおさらばしたい私にとってそれは願ってもない申し出だった。
「……でもどうして私なんですか?」
モノノ怪について私は何も知らない。つい数時間前までは、その存在すらも。
なのに私なんかを助手にしたがる芳楼さんの意図が微塵もわからない。
「界隈では稀代の天才導師と謳われるこの僕、芳楼仗助にも残念なことに身体はひとつしかない。猫の手すらお借りしたいのが現状だ」
「だとしても芳楼さんの助手がつとまる気はしないですよ」
「言ったろ、猫の手すら拝借したいんだよ。その点で菜々ちゃんは猫じゃないか。初めて見たときにピンと来たよ」
「私が、猫……?」
またわけのわからないことを言い出した。
断っておくが私は猫じゃない──上野菜々葉、人間だ。
「いいや、君は猫だよ。それもただの猫じゃなく、もっと獰猛で凶暴な──」
風の音のせいで後半は聞き取れなかった。
聞き直そうとしたけれど、どうせそこまで重要なことを言っているわけでもないと思って踏みとどまる。
どうせお得意の言葉遊びや皮肉を言ったんだろう。芳楼さんはそうやって人をおちょくるんだもん。知り合ってまだ間もないが、流石にそれくらいの性格は理解しているんだ。
「さて、どうかな。僕が連絡したときだけ来てくれればいいし、給料は歩合制になっちゃうけども額は保証しよう。菜々ちゃんが大学を卒業するまでには借金も返し切れると思うよ?」
「卒業するまでって、それ、ほんとですか!?」
「ああ、君が真面目に働けばの話だが」
いったい宝くじに何回当選すればいいのやら。
そんなことを考えてしまうくらいの金額がたった四年ちょっとで返し切れるなんて話はそうそうない。というか、これを逃したらまずあるまい。
「やりたい! やります! やらせください!」
やりたいの三段活用。
私は目の色を変えて飛びついた。それこそ胸をこれでもかと押し付けて、押しつぶして──初めて自分の肉体を有用に使った瞬間かもしれない。
「おいおい、暴れるなって。ただでさえ二人乗りは安定しないんだから」
「すいません! 私の人生にも一縷の希望の光が見えたもんでつい……」
「くっくっく、君も大袈裟だなぁ。まあこれから宜しく頼むよ」
芳楼さんがミラー越しに笑う。
ともかく首の皮一枚は繋がったのだ。それを喜ばずにいられるだろうか。
「そうと決まれば今から一仕事行きましょう!」
「馬鹿言うなよ。仕事は僕の呼び出しがあったときだけって言ったろ。……つーか、いきなり元気だな。良いことだけどさ」
「それっていつなんですか」
「モノノ怪は何処にでもいて何処にもいないんだ。次の仕事がいつなのかは僕にもわからないよ」
「え、それで私の稼ぎは大丈夫なんですか?」
つまり呼び出されない限り私の給料はずっとゼロということで。
極端な話、仕事がなければ借金は永遠に減らないということだろ?
「それが嫌なら菜々ちゃんが仕事を持ってくることだな」
「そんな都合よくモノノ怪を見つけられるわけないでしょうに。そうじゃなくても今日みたいなことはしばらく御免ですよ」
「どうだろうね。またすぐに君はモノノ怪と出会うことになると僕は思うけど」
この期に及んで不穏なことを言う芳楼さんだった。
そんな予言は当たらないことを願うばかりである反面、稼がなきゃならないという意味ではそうも言ってられないのだが。
話をしている内に私たちを乗せた原付はアパートの近所まで来ていた。家の前まで行くには細い路地裏を通ることになる。これ以上の迷惑はかけられないと思った私は、目と鼻の先にあったコンビニの駐車場で降ろしてもらうことにした。
「わざわざすいません」
「それはこっちのセリフだよ。今日のことは僕としても
「?」
それは例の猫の手を見つけられたという意味だろうか。それとも良いカモを見つけたという意味だろうか。
……うーん、後者な気がする。
「ところで連絡先を交換しといてもいいかな。電話だけは不便だろうし」
「そうですね、ちょっと待ってください」
言われて私はポケットからスマホを取り出し、LINEを起動する。
そのままマイQRコードの画面を表示させた。
「読み取ってもらってもいいですか?」
「…………」
私のスマホを見つめたまま黙ってしまう芳楼さん。
「どうかしました?」
「……あのね、僕ガラケーなんだよ」
どうやらモノノ怪のスペシャリストである導師は前時代的な職業らしい。
芳楼さんが取り出したケータイは、最近だと中々お目にかかれない昔懐かしの立派な二つ折りだったのだ。
「赤外線でもいいかな?」
「い、いいですけど……」
両手でガラケーを操作する芳楼さんの姿を見て、初めて彼に人間味を感じた私だった。
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