002


「……いかん、このままだとお腹と背中がくっついてしまう」


 格安で売られていたパンの耳をかじり、十分な家具も揃っていない殺風景なアパートの一室で私はうなだれる。

 こんな物をいくら食べたとて腹が満たされる気がしない。

 覚えているだけでもここ一週間の食事はこんな具合だ。まだ公園の鳩のが良い物を食べてるんじゃないかとさえ思う。


「うう、こんなことならやっぱりしぐれに千円くらい借りればよかったぁ」


 とは言ったものの、もはや後の祭り。お金は借りないと大見得を切った手前、今頃しぐれにせびるのは格好がつかない。

 空腹を睡眠で誤魔化そうともしたけれど、お腹が鳴りすぎて寝付けなかった。


「くそぅ!」


 パンの耳が詰まった袋を投げ捨てておもむろに立ち上がる。それから玄関に向かってスニーカーを履いた。

 このまま家にいてもらちが明かない。

 ……というか気が狂って壁にかじり付いてしまいそうだ。何かをして気を紛らわさないと。

 思った私は散歩をすることにしたのだった。


「──ない、ここもない。おかしいな、十円くらい落ちてそうなもんだけど」


 誤解される前に言っておくが、こうして自販機の下と釣り銭口を見て回っているのは私が落ちている金をネコババしようとしているからじゃない。私はそんな浅ましい女ではないんだ。

 ただ、やはりこの街に向こう四年間住まわせて頂く身としてのパトロール、ひいてはご近所周辺の安全を確認しているだけである。

 ……だから勘違いしないで欲しい。


「この銀色の輝きは百円玉!?」


 おっと、思わず声を上げてしまったが悪しからず。

 別に他意はないんだ。私は生まれつき銀色の物を目にすると興奮するタチなだけだからね。


「……なんだ、メダルか」


 それはメダルゲームのメダルだった。

 紛らわしい見た目にデザインするのはやめて欲しい。一瞬でも期待しちゃったじゃないか。

 何となく私はそのメダルをジャージのポケットに仕舞い、次の自販機を求めて再び歩みを進める。

 これまでも近所の散歩はよくしていたけれど、こんなに遠くまで来たのは初めてかもしれない。気付けばアパートからかなり離れたところまで来ており、そこで一社の神社を見つけた。

 時刻は二十三時を回っている。そのせいもあってひと気は全くと言っていいほどない。


「……まあ、せっかくここまで来たんだもんね」


 この神社を見つけたのも何かの縁だ。信じる者は救われると言うし、神に救いを求めたらバイト先が見つかるかもしれない。

 藁にもすがる思いで試してみよう。

 ダメで元々、お願いするのはタダなんだから。

 そんな不謹慎な考えを胸に鳥居をくぐった。


「不気味なくらい静かだな」


 敷地に一歩を踏み入れた瞬間、周囲がより一層静かに感じる。

 さすが神域、鳥居の内と外ではまるでそれぞれが別空間のようだ。

 そこに人工的な明かりはなく、月明かりのみが頼りになる。今日がいつもより明るい満月で助かった。

 スマホのライトで足元を照らしながら本殿へと続く一本道を歩いていく。


「やば、そういえば小銭持ってないじゃん」


 本殿に着いたとき、そこに設置された賽銭箱を見て気付く。

 地獄の沙汰も金次第。

 神もタダでは振り向いてくれないらしい。


「こちとらお金がないから神頼みしようとしてるんですけど!? お賽銭に使うお金があったらとっくにコンビニでおにぎり買ってるわ!」

 

 そんな悲痛の叫びもきっと神様には届くまい。

 とうとう私は神様にも見放されたのか……。


「ん、待てよ? そう言えばさっき拾ったメダルがあったような……」


 言いながらポケットをまさぐり、そこから一枚のメダルを取り出した。

 それを見つめて葛藤する私。

 もちろん今からやろうとしていることが当たりなのは重々承知だ──が、メダルであれお賽銭を納める気持ちがあればセーフな気もする。


「ごめんなさい、神様! これが今の私が出来る最大限のお気持ちなんで!」


 神様ならきっと器の広さも底知れないに違いない。

 私は一か八かその可能性に賭け、メダルを賽銭箱へと投げ込んだ。

 すかさず二礼二拍手一礼、ペコペコパンパンペコ。


「このままだと私はです。どうか私をお救いください」


 ……それと今日のご無礼をお許しください。

 無事にバイト先が見つかった暁には、絶対にちゃんとした日本通貨を持って出直しますので!

 深い深いお辞儀をしてゆっくりと顔をあげた──そして。


「……え?」


 本殿の奥から突如現れた大蛇を前に私は凍りついた。

 見えている部分だけでも数メートルをゆうに超えており、その太さは本殿の入口を覆い尽くさんとしている。体表はこの世のどんな黒よりも黒く、吸い込まれてしまいそうなほどの漆黒の鱗は神秘的なそれを感じてしまうくらい美しい。

 そんな大蛇の青白く不気味に光る双眸そうぼうが私の方を向いた。

 息を呑んだ。

 呼吸が止まった。


「いやいや嘘でしょ……? が当たるにしても早すぎだって」


 蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだ。

 恐怖で体は固まってしまい背筋が凍る。足は地面に縫い付けられてしまったのかというくらい動かなかった。

 次の瞬間、大蛇は人ひとり余裕で丸呑み出来るほどの大きな口を開け、その場に立ちすくむしかできない私に襲いかかってきた──そのときだ。


「くっくっく。やってんねぇ」


 背後からエンジン音と共にどこか聞き覚えのある声がした。

 思わず振り向くと一台の原付がこちらをめがけて猛スピードで走ってきている。ライトが眩しい。

 そのまま原付は私の頭上を飛び越え、襲いくる大蛇と正面からぶつかった。

 衝撃で大蛇はひるがえり、反動を受けた原付も乗っていた人もろとも数メートルは吹っ飛んだ。


「大丈夫ですか!?」

「おいおい、僕の心配をするとは君も余裕じゃないか。僕は生まれてこのかた怪我をしたことがないんだぜ」


 聞いたことのあるフレーズである。

 原付は地面に横転していたが、よく見るとヘルメットを被ったその人は受け身を取っていたようで怪我は負ってないらしい。

 服についた土埃を払い落としてから彼はすくりと立ち上がった。


「君は優秀な人材だ。このレベルのモノノ相手に失うわけにはいかないからね──助けにきたよ、菜々葉ななはちゃん」

「ほ、芳楼さんですか!?」

「よく覚えてたね。君みたいな可愛い子に名前を覚えてもらえて光栄だよ」


 ヘルメットを脱ぎながらそう言う彼は、四月の初め、あの路地裏で私に声をかけてきた芳楼仗助その人で間違いなかった。

 あのときはフードを深く被っていたせいで顔を見れずにいたが、当時のことが印象的すぎたこともあり、その飄々とした雰囲気と声だけは鮮明に覚えていた私にはすぐにわかったのだ。


「菜々葉ちゃんとの再会を祝して乾杯したいところだけど、今はそれどころじゃないよな。というか君はまだ未成年なんだっけ?」


 芳楼さんは横転していた原付を起こし、それを私のとこまで押して来た。

 いつのまにかヘルメットは被り直したらしい。

 

「奴が怯んでいる内に逃げよう。ほら、僕の後ろに乗って」


  原付にまたがった芳楼さんが手を伸ばす。

  言われるがままその手を掴んだ私は芳楼さんの背中にしがみついた。


「お、悪くない感触だ。Dカップくらい?」

「この状況で何を言ってるんですか!?」

「この状況だからこそだよ。僕にとっては昼下がりの優雅なティータイムと同じようなもんさ。だから大船に乗った気でいろよ。まあ、この原付はオンボロだがね」

「…………」


 助かるなら何だっていい。

 今はこの人を信じるしかないと思った私は再び芳楼さんにしがみつく。


「やっぱりE?」

「早く発進してくださいっ!」


 ……ほんとに大丈夫か?

 芳楼さんへの不信感がイマイチ拭えないまま、果たして私たち二人を乗せた原付は本殿前から走り出した。

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