18 項垂れた後輩
俺がそこから見ている事数分後、どうやら話は終わったらしく、父親と思しき男は公園の横に止めてあった車に乗り込む。
中からもう一人ピシッとスーツを着こなした男が出てきて後ろのドアを開ける。
恐らくは秘書か何かなのだろう。
いつもの白宮から溢れ出していたあの上品さ、そしてあの全てにおいて他の追随を許さないほどの圧倒的才能。そして技術。
前々から察してはいたが、どうやら白宮はかなりのお偉いさんのご令嬢と言ったところなのだろう。
先ほどよりも勢いを増したその雨は傘を持たない彼女に容赦なく打ちつけている。
いつものような笑顔がまるで嘘のように今は下を俯いている。
自分の家庭事情に首を突っ込まれるのは嫌なので、他人の家庭事情にも首を突っ込まないようにしている俺だが、いつもとは全く違う白宮の様子に少し動揺が隠せないでいる。
一体どんな話をしたらあの白宮があんな風になるのか?
それがとても気になってしまう。が、今はそんなことよりも大事なことがある。
走り出した車が曲がって見えなくなったところで俺は白宮に歩き寄っていく。
彼女を打ち付ける雨を遮るように傘を彼女の頭上まで持っていく。
途端、雨が遮られたことで不思議そうに俺の顔を見上げる白宮。
その顔はまるで作り物めいていて、その細い体も、今見ると凄く心配になって来る。
「……せ、んぱい……?」
「お前、こんなところで傘も無しに……風邪ひくだろ?」
「すみ、ま、せん……」
すると白宮は俺に対して謝る。
しかし、その顔には謝意よりも、もっと別の感情が渦巻いている。
取り敢えず、ここにいるのだけはまずい。このままだとこいつは本当に風を引いてしまうだろう。というか、何ならもう既に引いていてもおかしくない。
そこで彼女に尋ねる。
「このマンションがお前の家か?」
「……はい」
以前白宮を送った時は途中で良いと言われてそのまま途中までしか送らなかったが、どうやらここがそうらしい。
しかし今はそんなことよりも大事な事を聞かなければいけない。
「お前の家に俺が上がるのと、俺の家に来るの、どっちがいい?」
「え……あの、別に、大丈夫です……」
「そんな状態で大丈夫なわけあるか?いいのか?お前の家に入るぞ?」
「あ、えっと……じゃあ、先輩の家で」
「分かった。じゃあ、ほら」
俺は後ろ向きになって下に屈む。
持っていた傘を白宮に渡して、俺は後ろに手を回す。
それを不思議そうな顔で見ている白宮。
「そんな顔してないで、早く乗れ。本当にお前、このままだと風邪ひくだろ!?」
「で、でも……そんな迷惑は、自分で歩けます……」
「乗せてやるって言ってんだから乗っとけ。早くしろ。ここでもたもたしてお前が体調崩す方が心配だろ?」
「!!……そ、そうですか……じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って俺の背に体を預ける白宮。
それを両手でしっかりと支える。
思った通りの細く、華奢な体。少し力を加えたらすぐにでも崩れてしまいそうなほどだ。
「しっかり捕まってろよ?俺あんまり力ないから。いくらお前が軽すぎるとはいえ、それでも気を抜くと落としかねないからな」
「はい……」
さっきからその声音は震えていて、彼女の心が不安定なのが窺える。さっき見た表情からも、本当はもう泣き叫んでもおかしくないだろうに、それを恐らく必死にこらえている。
俺には今は何も出来ない。なので、せめて家に向かうその足取りを速くするのだった。
家に着き、すぐさま彼女を服を着たまま浴室へ放り込む。
客間から下着やらなにやら、を適当に籠に入れて彼女と一緒に放り込んで扉を閉める。
「ちゃんとお湯に浸かれよ?じゃないと本当に危ないからな?」
「……はい。ありがとうございます」
中からかなり小さくではあったがそんな声が聞こえたので一先ずリビングに戻る。
料理をしようか?とも思ったが、あんな顔を見せられては食欲も失せてしまった。
それよりも今はあの白宮の父親であろう人物が気になって、冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注ぎ一気飲みする。
白宮の家庭環境がどんなものなのかは分からない。それでも、実の娘であろう彼女にあんな顔をさせるのは、正直理解できない。それは、俺が恵まれすぎていたからだろうか?
「いいや、違うだろ。流石に、あれは……」
あれは娘とか、そう言うのに関わらずさせていい顔ではないはずだ。
あんな、今にも泣き叫んでしまいたいのを堪えて、必死に我慢して、
「あんなの、いつか……」
壊れてしまう。そう思った。心当たりがあった。そうなった。そうなって生きている人物を、俺は一人知っている。壊れた心を、必死に取り繕って、それで今も答えが見えずにどこに向かうべきかもわからない。そんな人物を一人見たことがあるからだ。
白宮はいつも、どこか少しおかしかったり、違和感があったりというのはあった。
うちに来てからもどこか悲しそうな、それでいて悔しそうな顔をしているのは少し見たこともある。
それが家庭の事情だというのも少しだけ彼女から聞いていた。
ただ、だからこそ、それだけにあそこまで酷いとは思いもしなかった。
さっき、俺が偶然通りかからなければ、きっと彼女はあそこでずっと座り込んでいただろう。
多分、あそこで通りかかったのが俺じゃなくて、彼女をどうにかしようとする変な輩だったら、きっと彼女は抵抗も出来なかっただろう。
それほどまでに、さっきの瞳には力が無かった。
と、そこでガラガラと扉が開く音がして、中から彼女が出てきたのだった。
さっきよりも幾分かマシになったとはいえ、それでもその表情はあまり変わらない。
「あ、えっと……よく温まったか?」
「……はい。ありがとうございます」
「いや、別に。流石にあそこであんな風にしてたら、な」
彼女の家の事を聞きたい気持ちはある。それでも聞いていいのか分からなくて、
「えっと、私は……」
「さっきの男の人、あれは父親か?」
「はい……」
「いや、分かった。それならいいんだ。別に話したくないなら無理に話させるつもりは無いから」
「すみません。折角助けてもらったのに、何も話せなくて」
その声音はまだ少し落ち込んでいる。
それでも、白宮がまだ話したがらないなら、俺が踏み込むべきではないのだろう。むしろそれが普通だ。何なら今もこうして世話を焼いている方がおかしいのだろう。
それでも流石にあのまま放っておくことは出来ないから、
少しずつでも、彼女が話すのを待っていよう。結果話さないとしても、それは俺がどうにかしていい事ではないから、
「ゆっくりでいい。何ならこの先も話さなくていい」
「え?」
「でも、せめて……」
そこで言葉に詰まる。
いつもなら絶対に言わない言葉。
前まで、数か月前、初めてあった頃には絶対に言わなかった言葉。
あの教室からいろんなことが変わって、あの教室から俺は初めて彼女を知ろうとした。
そんな少し奇妙な縁。あそこで俺が原稿を置いて行っていなければ、あそこで彼女が俺の机の中を漁っていなければ、きっと始まらなかった名前も知らない変な関係。
それでも、俺は今の関係が心地いいから。
少し、ほんの少し、以前よりも、先週よりも昨日よりも、彼女の事を知っていきたいと思ったから。
彼女はなんでも出来そうでその実、結構弱い普通の女子高生だと、あの公園で見た彼女の表情から分かったから。
時間をかけて、関係を続けて、お互いを知って……
そうしたいと、そうするのが今までそこまで苦じゃなかったと、寧ろなんだかんだで楽しかったと思っているから。
だから、
「辛かったら言ってくれ。多分、少しだけだけど、それでも力になれるようにするから」
「あ、の……」
白宮の、少しまだ暖かく心なしか少し湿っているようにも感じるその頭に手を置く。
「俺だけで無理なら、きっと柾や秋葉も手伝ってくれる。だから、ゆっくりでいい。ゆっくり、そのうち話せるようになったら良いな」
その言葉は予想外だったのだろう。大きく目を見開いて驚いた表情をする白宮。
彼女が今までどんな風に生きてきたのかはまだ分からない。
だが、それでも良い。話したくなるまで待っていれば、話せるくらいに関係が深くなれば、
(まあ、とりあえずは秋葉ぐらいの距離感を目指してみるか?)
それから俺たちは少し遅めの夕食を取り、白宮はうちに泊まることになった。
(さて、それじゃあ俺は久しぶりに仕事でもしますかね)
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