09 『理想の後輩』は訳ありだそうで?

 なんだか少し甘い匂いがする。

 そう言えば、俺は………

 

 ウトウトと微睡みの中で、それでもこうして眠る前の事を思い出す。

 あの教室で、俺は白宮に押し倒されて、それから……


 「ん、んー」


 まだ体は怠い。流石にあの暑さで何も飲まずに走り続ければ熱中症気味で倒れるのも無理は無いか?

 というか、あまりにも最近寝てなさ過ぎて体が悲鳴を上げていたのは分かっている。幾ら俺でも限界に近い事くらいは理解していた。

 とは言うものの、やはり倒れた原因は俺が寝ぼけて学校に原稿を持って行ったせいだろう。もしそんなことをしていなければわざわざ学校まで全力で走ることも、倒れることも無かった。


 「はぁはぁ、ん……」


 まだ息は結構荒い。体中なんか強張って痛いし、凄い暑い。朝から少し怠かったし、家に一度帰ってきたときもかなり熱があった気がする。

 まあ、あれだけ不規則な生活してればそうなるか。


 幸い、家に帰ってきたことは知っている。

 確か、柾が俺を背負って帰ってきたはず。そのあと一応水分も取ったから脱水症状も収まっているはずだ。いつも外に出ないから家にはスポドリやら経口補水液やらが買いだめしてある。何かあった時用だ。この前柾を家に入れた時もあらかた家の事は伝えてあるのでスムーズに色々やってくれたのだろう。


 「学校行ったら、礼言わないとな」


 と、そこでようやく思考が戻ってきていた。

 俺が急に倒れた原因。それについての記憶がよみがえってくる。


 「そうだ、原稿!?」

 「もう、先輩って仕事の事しか頭に無いんですか?」


 原稿のことについて考えていたら、横から少し不満そうな声が聞こえてきた。この声の主が今どんな表情をしているのかも見当がつく。


 「なんでお前がここにいるんだ?」

 「それは、その……」


 ごにゅごにゅと何かを喋っている白宮。

 そんなごにゅごにゅ言われても少し困る。この弱った体に、耐性も少し無くなっている。そのしゃべり方と良い、何から何までが女子にあまり免疫のない俺からすると少しドキドキしてしまう。健全な男の子なわけですし。


 「そ、その。あんまり口ごもって話すな」

 「先輩が悪いんですよ?あんなところで急に倒れるなんて……」

 「で、原稿は?……まさか本当に!?」

 

 まさかこいつは本当に学校中にあの原稿を!? 

 と、思ったものの部屋の扉が開いて、外から飲み物を持ってきた田中さんと目が合う。


 「先生、起きたんですね。良かったです」

 「あ、えっとすみません田中さん。原稿が……」

 「原稿ならさっき頂きましたので大丈夫です。まさか本当に書き上げてるなんて微塵も思ってなかったので、これからホテルにでも突っ込んで監禁してやろうかと思いましたが、大丈夫なようですね」

 「そんなこと考えてたんですか?」

 

 いつもの様な元気なツッコミは出来ないものの、それでも一応はツッコんでおく。

 

 「ていうか原稿を?」

 「はい。先ほど白宮さんから渡されました」

 「どういうことだ?」


 なぜ白宮が?と本人に疑惑の視線を向ける。


 「別に、言っておきますけど私は何もしてないですよ。本当に。学校にばら撒くなんてするわけないじゃないですか」

 「教室でのお前はどんな手段も厭わない!みたいな感じだったけどな?」

 「別に、私にだってちゃんとモラルはあります。そんな酷い事はしませんよ」

 

 いつものぷくっと頬を膨らませている顔が目の前にある。さっきまでさんざん振り回されて、危うく学校に行けなくなるところだったのに、その表情になぜか凄く安心して、


 「それでは私は原稿を持ってゆっくりと仕事をしようと思いますので、そろそろ帰りますね」

 「そうですか。なんかすみません。色々と迷惑かけました」

 「いえ、私は何も。謝罪と礼は先生を運んでくれた方と、そこの白宮さんに言ってあげてください。また次もお早い仕事を期待してますよ」

 「それはまた頑張らないとですね」


 最後に珍しく優しい笑みを浮かべて部屋を出た田中さん。

 

 「田中さんでもあんな優しく笑うんだよなぁ」

 「先輩、なんか顔が気持ち悪いですよ?」

 「キモいのはいつもだから触れないでくれ。意外とコンプレックスなんだ」

 「え?あ、その、そう言うつもりじゃ……すみません」

 「なんで謝るんだよ?それにお前、そんな素直な奴だったっけ?」

 

 あまり元気が無いように見える白宮は今もどこか俯いた印象を覚える。

 いつもなら上品ながらも少し冗談を言ってきたりするが、今日はなんだかとても儚くて、どこか寂しそうで、悲しそうだ。


 「まさか、悪いとか思ってるのか?」

 「……はい」

 「あー。そう言う事か。いいか?別にお前のせいであそこまで疲弊しきってたわけじゃないし、それにお前よりも執筆の方が大変だったんだ。確かに少し鬱陶しくはあったけど、それで体調に問題が出たわけじゃない。だから、その、お前が気にすることじゃない」

 「でも、私が教室で……その」

 「教室で押し倒して俺が恥ずかしすぎて倒れたってか?それもあるけど、そうじゃねー!ていうか別にあれは元々熱があったからで、お前が思い悩むことじゃない」

 

 そう言ってから今自分が何を言っっていしまったのかに気づく。

 しかし、気づいた時には遅く、最初は驚いた顔を浮かべていた白宮はやがていつもの可愛らしい悪戯顔を浮かべる。

 

 「先輩、あれ恥ずかしかったんですか?」

 「べ、別に恥ずかしくなんて、」

 「すっごい今も顔真っ赤になってますけど?」

 「こ、これは!その、」

 

 自分の顔の赤さを指摘されて思考が羞恥で染まっていく。

 が、そこで俺もとあるものに気が付いて、


 「そ、そう言うお前こそ、耳真っ赤になってるけどな!」

 「あ!こ、違うんです!そう!少しあっついなぁーと思ってたんですよ!」

 「べ、別に隠さなくてもいいんじゃないか?もうお互い様だろ?こうなったらお互いの羞恥に染まった顔をじっくりと見合おうじゃないか?」

 「そう、ですね。先輩がその気なら……」


 俺たちは物凄い羞恥で顔を互いに真っ赤にしながら相手をじっと見つめる。

 (なんか勢いで言ったけど、これどんな羞恥プレイだよ!?)と心の中で叫びながら、今更目線を逸らすことが出来ない。ここで白宮より先に目を逸らしたら、まるで俺が負けたみたいで癪だからだ。

 それでもしばらくして恥ずかしさがこみあげて来る。


 「なあ、そろそろ休戦と行かないか?」

 「そうですね。ちょっと……ですし」

 「そうか、じゃあ」

 

 その瞬間急いで後ろへと顔を逸らす俺。

 (やばい、すげー可愛かった。いや、別に可愛いからどうこうとかじゃないけど……でも、可愛すぎんだろ!?)

 流石は学校一の美少女と言われるだけはある。見つめてるこっちが恥ずかしくて死にそうになる。今までこいつに心を開いてこなかったのは、こういうのが少し怖かったからだ。なんだか心を開いた瞬間、負けたみたいだからだ。


 「なあ、白宮。なんで教室で、俺を……その、どうしてだ?」

 「!?……先輩、私の事今まで全然意識しませんでしたよね?」

 「え?まあ、そうだな」

 「私、実は入学式の日に、一度先輩と話してるんです。先輩、覚えてないかもしれませんけど」


 入学式。今から約2か月前の事だ。学校行事なんて俺にとってはどうでもよくて、だから入学式の事も何も記憶にない。記憶にとどめるほどの事をしていないからだ。

 でも、美少女に話しかけられれば別、とも思ったが俺は結構前からこんな感じだから結局白宮の事は覚えていないだろう。


 「入学式の日。色々終わって、学校中の先輩や同級生が、皆私の周りに集まって写真とか、連絡先とか聞いてるのに、そんな私に目もくれない先輩が目に入ったんです。

 最初は彼女とかいるのかな?とも思ったんですけど。それにしては少し暗いからなんでだろうと思って」

 

 入学式の日を、まるで遠い昔を懐かしむ様に話す白宮。

 俺はあの日、何をしていただろうか?そうだ、何もせずに、学校の敷地に咲いた桜をぼんやりと、ただぼんやりと眺めていた。それだけだった。


 「不思議だったんです。自分で言うのもなんですけど、私結構見た目には自信ありますし、多分男の人なら皆大好きな理想の女の子?みたいなのも演じてたんです。先輩が言う通り、私、魔女なんです」

 

 舌を出して少し作り笑いを浮かべる白宮。でも、そこには本当の笑顔が無いのだと、当人は今言い切

った。


 「それなのに、先輩は私なんて見てもいないようで、私がどんなに人だかりを作ってもそれに集まってくることも無くて。それが少し、そうですね。悔しかったんだと思います」

 「悔しい?」

 

 意外な言葉に俺はつい聞き返す。

 いまならば数か月間付き纏ってきているので、それで意識されなくて悔しいのは分かる。なのに、それ以前から悔しい?


 「それって、お前の容姿に靡かないから、とかか?」

 「まあ、それもあったんだと思います。でも、そうじゃないんです。先輩、あの日、ずっと一人でしたよね?」

 「あ、ああ。」

 「そこですよ」

 「一人でいる事か?」

 「そうです」


 なんとも意外な言葉だ。でも、その瞳はまるで何かを羨望するようで、とても儚げだ。


 「こんなに努力して、容姿を磨いて、人を惹きつける術を身に着けて、多分完璧に近い人間に近づいて、でもそんな私でも、いえ、そんな私だからこそ自分の思うように生きれなかった」

 

 どこか悔しそうで、泣きそうな顔を浮かべる。

 否、それは本当に雫となって彼女の瞳から零れて行く。

 

 「あれ、なんで私……」

 「まあ、なんだ?お前も、苦労したってのは分かったよ」

 「止ま、らない?なんで、なんで?こんなんじゃ泣かないって、」

 「……はぁー。仕方ねーな。ほら、ティッシュで拭けよ。それともハンカチか?とにかく何かで優しく拭けよ?跡が残ったら大変だろ?」

 「先輩って、優しいのか分からなくなりますね」


 俺が差し出したティッシュに首を振って自分のハンカチを取り出す。

 まあ、ティッシュだと少し肌を傷付けやすいから当然の判断だ。


 「ま、お前の話の先は少し気になるけど、もう遅いしそろそろ帰らないとだろ」

 「そう、ですね」

 「今は……ってもう9時じゃねーか!?お前家は大丈夫なのか?家族は?親は?」

 「私は一人暮らしなので大丈夫です。親は、その……」

 「あーいや、言わなくても良いぞ。その顔で訳アリなのはわかったから」


 とは言ってもでは、どう帰らせるか?

 

 「俺が、送るか?」

 「駄目ですよ!先輩は病人なんですから。明日も休んでもらわないと」

 

 明日は金曜日。明日も休んだら実質四連休なのだが、たまには良いかと、とも思う。

 しかし、じゃあどうするか?このままだと、こいつ一人で変えるとか言い出すだろうし。


 「大丈夫です。一人で帰れます。まあ、少し不安ですけど。先輩に迷惑かけた身ですしね」

 「それとこれとは別だろ。とにかく一人で帰るのは却下だ。お前の場合は普通に襲われるか連れ去られる」

 「でも……」


 そこで一人、都合のいい相手を思い出す。

 信用出来て、俺を背負ってここまで来れるくらいの力はある。そのうえ彼女持ちだから白宮には手を出すこともない。


 俺はその人物に連絡をするためにスマホを持って番号を入れる。

 

 数秒後、頼みの綱の親友に電話は、通話時間1秒という画面を残して即切りされる。


 「あいつ、俺だと分かって切りやがった!?」


 親友(くそ野郎)のその行動に、俺は頭を抱えながらとある策を思いつき、白宮にスマホを出すことを要求した。

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