第135話 刃こぼれ
会議室から出た百合花は、歩いていく樹の姿を見て駆け寄っていった。
「樹。今、少しいいかな?」
「んー? いいよ」
「ありがとう。じゃあ、少し場所を変えよう」
半ば無理やりに手を引き、人気のない場所へと樹を連れて行く。
先ほどまでの様子からは想像もできない百合花の様子に樹は戸惑うが、大人しく従い連れられるままに足を動かした。
心配になった静香が追いかけてこようとしているのが見えるが、それは彩花が察して止めてくれているために心の中で感謝を送る。
通路を抜け、屋外の建物裏。人が来ない場所にまで樹を連れてくる。
「ここならカメラもないし、いいかな」
「どうしたの? 密談なんて百合花らしくもない」
ふふっと笑う樹。
だが、百合花には分かる。気丈に振る舞い、普段と変わらないように見せかけていても、樹の表情には陰りがあることを。
作戦前に消化不良を起こしていては、後々致命的なミスに繋がるかもしれない。憂いは早急に断っておかねばならなかった。
そのために百合花は真剣な眼差しで樹に近付くと、無言で優しく抱きしめた。
「えぇ!? ちょっとどうしたの? いやまぁ嬉しいけどさぁ」
「樹。ここには私しかいないよ。だからもう我慢しなくても大丈夫」
「ねえ、さっきから何を言ってるの?」
笑う樹をさらに強く抱きしめる。
「樹、私に言ってくれたじゃない。辛いことも苦しいことも一緒に背負うのが友達だって。私にも背負わせてよ。一人で苦しまないでよ」
「や、やだなぁ。あたしはそんな苦しんでなんか……」
「嘘だよね。千代ちゃんを喪って、本当はずっと苦しんでいるんでしょ?」
「……それ、は……」
「ねぇ。私は友達じゃないの? 今度は私が樹を助けるから。だから……樹のすべてを聞かせてよ。我慢しないでよ」
染みこむような優しい声。
しばらく無言を続けている樹。しかし、しばらくすると肩がわずかに上下へと震え始めた。
百合花の服に温かな感触があり、腕を掴む力が強くなる。
「千代……あたしとずっと一緒だって……約束したのにぃ……」
涙が混じる震えた声がようやく吐き出された。
百合花の胸に顔を埋め、腰に手を回して抱きつくようにして泣く。
「パフェ……奢るって……なんで……なんで……っ!」
心に空いた大きな穴。
樹にとって、千代は百合花とはまた違う意味で必要不可欠な存在だ。そんな彼女を喪って、どれだけ強くあろうとしても隠しきれない悲しみは大きい。
今までは現状を打開するための行動を探すことでどうにか取り繕うことができた。が、わずかでも安心した今、抱え込んだ悲しみが一挙に押し寄せる。
辛い現実から目を背けるように、ただ百合花の姿で世界が見えなくなるように泣き続けるしかできない。
「お願い百合花……百合花は絶対……いなくならないで……っ」
「樹……」
「何でもするから……一人にしないで……」
縋り付くような樹の手を優しく包む。
千代の代わりになれるなど死んでも思わない。口が裂けても言えない。千代と樹の関係に百合花が立ち入る隙などない。
しかし、それとは別にして樹と百合花だけの特別な繋がりはある。憔悴した樹にとって、それは唯一と言っても過言ではない大切な関係だ。同様に、百合花にとってもかけがえのない大切な関係。
二人が紡いだこの繋がりだけは絶対に断ち切らせはしないと心に誓う。
「約束する。樹を置いていなくなったりしないよ」
「……っ! ありがとう百合花……!」
再び胸で泣く樹の頭を優しく撫でる。
しばらく撫でて、唐突に樹が自分の頬を叩いて頭を振った。
「……うん、もう大丈夫」
「本当に?」
「うん。今はもう平気。この戦いが終わったら、その時は千代に今までの感謝を伝えないと。それに……」
涙を拭い、強い目の笑顔を見せる。
「いつまでも泣いているんじゃ、千代にがっかりされちゃう。自分はあの女を命を張って守ったんだって、自慢できるような姿を見せてあげないとね」
「樹……そうだね」
樹がアサルトのコアを取り出し、そっと口づけをした。
唇が触れた箇所がわずかに輝く。
「見ててね千代。パンドゥーラは必ず、あたしたちが滅ぼす。仇は討つから」
百合花もゆっくりと頷いた。
咲き誇る花を手折られても、戦意までは挫けない。
一層研ぎ澄まされた樹の決意からは、そのようなワルキューレの芯の強さが感じられた。
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