第129話 死別
そこは、地獄というとどれだけ可愛らしい表現だろうか。
怒号と悲鳴、泣き声が断続的に飛び交う悲惨な状態。至る所で医療機器が警告を示すアラート音を響かせている。
「先生! こちらの処置をお願いします!」
「バイタル報告! 早く!」
「非常に微弱です。右腕の切断面はどうにか止血に成功しましたが……」
「なら後で診る! 今はこっちを優先しないと!」
「誰かAEDを! 心肺停止状態です!!」
「新たに二名搬入! 止血だけでもお願いしますッ!」
「御姉様っ! 目を開けてくださいっ! いやああぁぁぁぁぁっ!!」
「頑張れ! 可愛い後輩ちゃんを残して逝くんじゃないッ!!」
台東区及び墨田区からほど近い医療施設。決死救助隊の帰還ルートにあって一番近いこの場所には、緊急を要する負傷者ばかりが搬送されていた。
それでも、どれだけ手を尽くしてもこぼれ落ちる命は多い。
動かなくなった愛しい人を前に泣き崩れる多くの人たちから目を背けるようにしながら、彩花は唇を結んで歩いていく。
悲痛な叫びに混じり、机を叩く音や怒鳴り散らす声も響く。
「忌々しいあの化け物めッ!!」
「我が校のワルキューレたちはどこだ!? ここじゃないのか!?」
「淡路海風の部隊ならとっくに全滅してるよ!! 自衛隊が連れて帰ってこなかったらそういうことだ!」
「遺体の損壊が激しく、置き去りにするしかないケースが多いと聞いた……」
「ふざけんなよ……ふざけんなよくそがぁぁぁぁぁぁッ!!」
頭がおかしくなりそうだった。気が狂いそうだった。
必死に心を鎮め、無理やりにでも気持ちを落ち着かせてとある病室の扉を開く。
「あ……お帰りお姉ちゃん」
「彩葉……」
ベッドに腰掛ける彩葉の姿を見て、自然と涙が流れてくる。
いきなり泣き出した彩花を見て戸惑う彩葉が慌てて立ち上がると、彩花は正面から抱きついていく。
「お、お姉ちゃん? どうしたの?」
「彩葉……生きててくれて……ありがとう……っ!」
「っ! お姉ちゃんこそ……」
パンドゥーラの攻撃をほぼ直撃で受け、姉妹揃ってこうして言葉を交わせている時点で奇跡だ。お互いが生きていてくれたことに感謝する。
だが、当然彩花たちみたいな者ばかりではない。
彩葉のベッドの隣で咲が膝を抱えて蹲っていた。心配そうに宮子が付き添っているが、いつものような覇気が言葉からは感じられなかった。
「咲さん……」
「……何よ。どうせ私のこと笑いたいんでしょ。エインへリアルよりも弱い私のこと」
「そんなことないですよ。ただ、心配なんです」
「心配? ……はっ。やっぱりエインへリアルは化け物よね! こんな……大勢が……見知った連中まで死んだのにそんな風に平気でいられるんだから……っ!」
最後には耐えられずに泣き出してしまう。
近くには砕けたアサルトの残骸が二つ置かれていた。どちらにも血がべっとりこびりつき、手の形がくっきりと焼き付けられている。
「メル様も心愛も死んだ。瑞菜たちだってどんな状況になってるか……っ!」
「……先ほど、高天原の被害が確認されましたよ」
「……え?」
「私と咲さん、瑞菜さんの三人を除き、墨田区とその周辺地域で戦闘に参加していた総勢二十四名、全員の死亡が確認されました。身元が判別できる遺体ばかりだったのはまだよかったです。とても顔が判別できるような状態ではない遺体も多いと聞きます。他校でも行方不明として必死に連絡を取ろうとしている人もいるようですし」
「そっか……望様や翼様たちも死んだんだ……」
壊れたように乾いた笑いが咲の口から漏れた。
自分でもどういった感情なのか理解できていないのだろう。笑いながら泣き止むために目元を強く擦っている。
それでも自分を制御できず、頭を押さえて大声で泣き始めてしまう。
そんな咲の姿を見ながら、彩花が泣きそうになるのを我慢して懐に手を入れた。
「……これは、とてもじゃないけど樹ちゃんに……」
布にくるまれたアサルトの制御コア。
救助される前に意識を取り戻していた彩花は、近くで倒れていた樹と、樹を守るようにして亡くなっていた遺体を見つけていた。
遺体は完全に焼け焦げており、体の大部分も欠損してそれが誰だったのか到底判別できない状態だった。そのため、こうしてどうにかアサルトの制御コアだけを取り出して持ち帰ることに成功したのだ。
だが、コアを見るより前にアサルトの形状で遺体が誰なのか彩花は分かっていた。そもそも、樹を最期まで守ろうとする者など一人しか考えられない。
コアを見て彩葉も誰が亡くなったのか理解して目を伏せた。
「千代ちゃん……そんな……」
「彼女、最期まで立派だったよ。だって……」
「千代が守ってくれたから、あたしはどうにか生きていられるんですから」
ふと聞こえた声に二人がハッとした表情を見せる。
いつの間にかそこにいた樹が、涙を堪えるように強い瞳でコアを見つめていた。
「樹ちゃん……」
「彩花様。そのコア、あたしにもらえますか? 千代は常にあたしと一緒にいたんです」
「……もちろんだよ。これは、樹ちゃんにしか持たせちゃいけないものだ」
彩花から千代のアサルトのコアを受け取った樹は、優しく、そして力強く抱きしめる。
「……大丈夫?」
「……大丈夫なんかじゃないです。辛いですよ。でも……」
あえて咲に向き直り、厳しい口調で話す。
「それでも、あたしは止まれない。あたしたちが折れてしまったら、それこそすべてが終わってしまう」
「樹ちゃん……」
「……何よ、嫌味? 大切なものを失う悲しみもわからな……あ……」
「そうだよ。あたしは千代という支えを失った。でも諦めずに前を向く。……別に、咲さんが戦えないならそれは仕方ない。けどね、貴女が目の敵にする御三家はこれで挫けるような弱い存在じゃないの。憎しみでも憧れでも、御三家を超えたいと言うのならまだ諦めないで」
大事にコアを鞄に仕舞い、アサルトを取り出して軽く動作チェックを行う。
異常がないことを確認し、踵を返して病室から出て行く。
「樹ちゃん、少し休んだらどう?」
「ありがとうございます彩花様。けど、あたしは行きます。……きっと百合花はまだ生きてる。皆もやれることをやろうとしている。なら、あたしもまだ止まらない。まだ、この心で研ぎ澄まされた刃は錆び付いていない」
涙を浮かべる目で力強い一歩を踏み出す。
どれだけ闇が深くても、わずかな光を掴むために今一人一人がやれることをする。樹の決意はしっかりと心で燃え上がっていた。
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