第四章 虚無を討ち払う絆の花束

第128話 敗戦

 爽やかな香りを感じて百合花がゆっくりと目を開く。

 まず最初に見えたのは白い天井だった。そして、点滴のような器具と心電図の機械が目にとまる。


「ここは……病室……?」

「っ! よかった……目が覚めたのね」


 ベッド脇から声が掛けられ、そちらに目を向ける。

 お見舞いの品なのか、フルーツが入った籠からオレンジを取り出してナイフで器用に剥いている女性。

 彼女が誰なのか百合花は知っている。


「三奈様……」

「はい三奈です。記憶喪失とかベタな展開にはなってなさそうね」


 小暮三奈こぐれみな

 百合花の姉、神子を補助する自衛隊のワルキューレ部隊副隊長の女性だ。

 神子が隊長になって以来、度々訓練の相手をしてもらっていることもありそれなりに親しい仲となっている。

 見知った顔が近くにいることに安心しつつ、それでも心のどこかで恐怖を感じていた。意識を失う前の様子を思い出す。

 核爆発をあれだけの間近で受けてよく生きていたなと自分を褒めたいが、同じ奇跡を何人が起こしたのか分からない。

 あの場にいた何人が生きているのか恐ろしくて尋ねることはできなかった。

 それでも、前に進むためには非情な現実を受け入れるしかないと意を決する。


「三奈様。……お姉ちゃんはどこですか? 誰が残りましたか?」

「……神子はその……もう……」


 残念そうな顔を見せ、三奈は椅子の下に置いていた布を持ち上げる。

 布を外して三奈が見せたのは、破損したアサルトの制御コアだった。その形と色合いから、すぐに神子が使っていたアサルトのものだと理解する。

 それを三奈が持っているということは、と考えて呼吸が速くなる。ワルキューレの命とも言えるアサルトの心臓に当たる制御コアがここにある意味は……。


「……お姉ちゃん……そんな……! うそだ……」

「……神子は頑張った。寝かせてあげましょう」

「お姉ちゃん……おねぇぇちゃぁぁぁぁんっ」

「――私に何か恨みでもあるのか三奈。勝手に殺さないでくれる?」


 聞こえた声に百合花が顔を上げた。

 病室の入り口から、松葉杖をついた神子がゆっくりと百合花のベッド横まで歩いてくる。三奈が小さく舌を出し、自分の頭を小突いて椅子を譲った。

 どういうことかと目を白黒させる百合花に三奈が笑う。


「ごめんなさいね。不謹慎な悪戯でした」

「三奈、あんた状況を考えなさいよ」

「三奈様? え、だってお姉ちゃんは死んだんじゃ……」

「複数箇所骨折だから寝かせてあげてってこと。本人は無事だけどアサルトが大破しちゃったからもうしばらく戦闘には参加できないよって意味だよ」


 種明かしをされて、無性に三奈のことを叩きたくなった。

 だが、体は痛むし何より最初に聞いた言葉から自分のことをずっと心配してくれていたことは分かるので今回はお咎めなしということにする。尤も、神子はどうするつもりかは知らないが。

 ただし、と、安心するような素振りを見せる百合花に神子が鋭い目を向ける。


「あの攻撃はほぼ直撃に近いものだった。誰が死んでいてもおかしくはないから、覚悟だけはしなさい」

「うん。……状況、教えてくれる?」

「三奈、お願い」

「分かった。じゃあ、百合花ちゃんが眠っていたこの三日間の動向を伝えるね」


 そんなにも眠っていたのかと驚くが、百合花は黙って三奈の話に耳を傾けた。


「二回目の核攻撃の後、台東区と墨田区に私たち自衛隊で結成した決死救助隊で突入して、百合花ちゃんたちまだ息がある負傷者を救助、医療施設に搬送したわ」

「そうだったんですか。ありがとうございます」

「それが私たちの仕事だから気にしないの。……で、肝心のあの超大型ホロゥ――特級接触禁忌指定特異種……特例認定禍神は、今もスカイツリーで活動を停止している」

「パンドゥーラ……」

「国連がそう呼称したの。絶望の権化、それでもまだ希望は残されていると信じるためにパンドラの箱の逸話から名前を取ってね」

「パンドラの箱って、結局箱に残ったものも絶望でそれを知らないから希望になったっていう話じゃなかった?」

「神子はどうして心をへし折りにいくかなぁ~?」

「あはは……って、ちょっと待ってください。私、三日間眠っていたんですよね?」

「そうよ」

「なのに、パンドゥーラは健在なんですか!?」


 百合花の疑問に、三奈が困ったように頭を掻く。

 神子も露骨に舌打ちをして嫌悪感をあらわにした。


「そのとおり。パンドゥーラは、史上初の活動限界が存在しない個体と推測されているわ。どうにか撃滅するしかあの脅威を取り除く手段はないんだけど……」

「黒い雪のせいでアサルトによる近接戦を仕掛けるのは超困難。飛翔能力もあり正確な狙撃も不可能。仮に命中したとしてミサイル程度で仕留められるかは怪しい。かといってより威力の高いエネルギー攻撃ではリフレクトシールドに弾かれゲームオーバー。どうしろと」

「神子の言うとおりで、現状有効的とされる対策が、その……」


 口ごもる三奈。

 対抗手段はある。だが、それが最善かどうか図りかねている。

 そんな様子だった。

 百合花も覚悟して尋ねる。


「どういう作戦が立案されているんですか?」

「……二十四時間で関東撤退戦を実施、作戦終了後に世界中から核ミサイルを撃ってパンドゥーラを消滅させるという作戦書が安保理で審議にかけられている。アメリカを中心に中国ロシアも決行を主張しているから決議までそう長くないはず」

「大陸間飛行の可能性もあるってイズモ機関が震えながらレポートを出したらしいからね。日本がやられたら次は自分だと思ったんでしょう」

「本気……なんですか?」

「アメリカ国連大使曰く、『もしそこがニューヨークであっても、我々は同じ選択をする』だそうよ」


 関東撤退戦は、そのまま関東地方の放棄を意味する。

 日本という国で考えると、あまりに大きな被害だった。


「東京の都市機能と交通機関は完全に麻痺してるし、ホロゥの勢いも増しているから撤退戦も一筋縄ではいかないかもね」

「そこはもう海上と航空にも人員を総動員してもらうしかないじゃない」

「現時点で死者行方不明者は推定三百万人強。琵琶湖血戦なんて比じゃないこのかつてない緊急事態にそこまでスムーズな対応ができるかしら」


 最悪という言葉が生ぬるい現状。

 未曾有の危機に、百合花たちは頭を悩ませるしかなかった。

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