サミュエルと神秘の泉

「どこだ、ここは」


「分からない。イルカーダじゃないのは確かだ」


 二人は静かに近付き背中を合わせる。

 天に輝く太陽と月。雲を貫く螺旋状の植物。他にも形容しがたい物や常識から逸脱した光景があった。

 とりあえず危険は無い。ユーリはそう考えて剣を鞘に戻し、ゆっくりと首を回して世界の全貌を眼に収める。


「不思議な所だ」


「警戒しろ。もしかしたら奴の仕業かも知れん」


 奴と聞いてユーリは白衣姿の男を思い浮かべた。

 確かに、龍人ならこんなことも出来そうだ。山を消したり、海を割ったり、人の領域から外れた現象を気軽に行ってもおかしくない。

 けど、不思議と頷けなかった。龍人は変だけど、この世界の変とは釣り合わない気がして、ユーリは喉に何かがつっかえた気分で腰に両手を当てた。


「龍人の仕業なのかな」


「決まってる。原因は奴が寄越した本だろう」


「本? ああ」


 酔い潰れたガイオンのいる部屋に向かう途中、廊下に銀色の本が落ちていた。拾って埃を払い、ガイオンの両親に届けようと踵を返した時。


「手が勝手に本を開いて……。あれ? 先が思い出せない」


「……少なくとも、夢じゃないようだな」


 鞘に剣を戻しつつサミュエルが呟く。記憶は正しいようだ。

 長髪が揺らめいた。


「来い。これが奴の仕業ならどこかで俺達を見てるだろう。そこにきっと出口もある」


 龍人の仕業だと思い切れないけど、ここでじっとしてるよりマシだと思い、黒い背中を追った。


 □■□■□


 森に足を踏み入れた二人。小鳥の鳴き声がすると「待ってろ」とサミュエルがユーリを待機させ追いかけていった。

 休むのにちょうどいい切り株を発見して腰を下ろす。頬杖をつきながら、自分達がなぜここに来たのかを考えて時間を過ごした。

 結局、どこから入って来たかなんて分からない。途方に暮れた面持ちで木の葉の数を数えていると、近くの茂みが微かに揺れた。

 瞬時に柄に手を添えて鈍く光る刀身を覗かせる。


「ここだったか」


「サミュエル!」


 外套の葉や虫を払うサミュエルに近付き、どうだったと結果を尋ねた。

 青年は、眉間に深く皺を刻む。


「小鳥を介して見たが、まるで分からない。日の差す高原が見えたと思えば、途端に暗い沼地が現れたり、かと思えばでかい城が現れたり、無茶苦茶だ」


「城? それって街があるってことだろ! そこに行けば――」


「無駄だ」


 一蹴される。


「城までの間に怪物を見た。異形な奴らだった。それに風向きも天気もデタラメで辿り着く前に力尽きる」


「じゃあどうすれば」


「ヒホ! お困りかい?」


 それを一瞥するなり二人は後方に跳んで距離を空け、即座に剣を抜いた。

 ゆらりくらりという風に歩むそいつは、カボチャを頭に被っていた。


「おいおい、親切に訊いてやってるのに刃を向けるってどういうことだ。オレっちはただ道案内してやろうと思っただけだぜ」


「道案内?」


「信用するな。薄ら笑いを浮かべて話しかける奴にろくなのはいない」


 一体龍人に何をされたんだ。

 そう思う程に露骨な警戒っぷりだ。


「ヒホホ。シエラっちとは違って頭固そうだな。オレっちを見ろ! 頭空っぽだと楽しいぜ」


「……おい待て、貴様なんて言った」


「シエラ、今シエラって言ったのか!」


 ヒホホ、ふわりと浮かんで腰を曲げ足を組むカボチャ。くり抜かれた笑顔が不気味さを増していく。


「言ったぜ」


「フンッ!」


「おっと!」


 間髪入れずに抜刀した剣を下方から上方へと振り上げたサミュエル。

 けれど、剣の軌道は一点に留まった。

 カボチャの腕輪が奇妙に点滅する。


「フヒヒ。お前がサミュっちか。想像通り照らしがいのある顔してるぜ」


「シエラはどこだ! どこにいる!」


 腕輪で刃を迎え、止まった剣先を握るカボチャはサミュエルの鬼気迫る迫力とは別の不敵さを醸し出しつつ、ゆらり、と後方へ動いた。


「案内してやるから追いかけてみろよ。ヒホホ!」


「待てッ!」


 黒い外套が翻り、長身の影が森の奥へと消える。ユーリは驚きつつも、その背中を追って茂みに突っ込んだ。



 ■□■□■


「わぁ〜、食べ物がたくさん……むにゃ」


 透き通る青い髪を乱しながら、少女は寝返りを打つ。だらしなくよだれを垂れていて照明が反射して光っていた。

 影が少女を覆うまでは。


「ん、うーん」


 つんつんと、柔らかい頬が沈む。くすぐったそうに少女は手を振り上げる。


「ん、あれ?」


 枕とは違う柔らかい感触が、宙に触れているはずの指差に残る。

 ふさふさとしていて少し固い。根深く育った雑草のように少女の力を適度に押し返す。


「ひゃあ! なに! え……」


 感触が消えて少しすると、指に湿った冷たい感触が触れて思わず飛び起きる。

 シエラは最初こそ眠たそうにそれを見たが、血の気が引いたのか、その後顔面蒼白になる。


 丸みを帯びた体に茶色い毛。ガイオンと同等かあるいはそれ以上に大きい体格。黒い瞳の下には牙があり、手足の先には黒い鉤爪が伸びている。頭から生えた丸い耳をピクピクと動かして、出っ張った鼻を少女の反応と共に引っ込めた。


「く、く、熊、だ……」


 ガクガクと震えながらシエラは熊の後ろにも二匹いるのを確認した。

 どういう訳か人間みたいに帽子や上着を羽織っていたりするけれど、そんなこと今は気にならない。


(ユーリ! サミュエル! ガイオン!)


 絶体絶命のピンチに、少女は仲間の名前を呼んだ。



 ■□■□■


「クソッ! どこに消えた!」


「見失った……」


 ユーリ達はカボチャ頭を追いかけていたが、途中で姿を見失った。

 どこに行ったか分からず歯噛みするユーリと、怒りの表情が色濃くなっていくサミュエル。未知の世界が二人を嘲笑うかのように木の葉を揺らした。


「こっちだ」


「見つけたのか!」


「勘だ。こうしていても埒が明かん。鳥は呼べない。小鳥を介して見てもこの辺り一帯の地形がまるで掴めない。早くシエラの元に向かわなければならない今、手段など選んでいられん」


 そうだけど、大丈夫か?

 青筋が浮かぶ表情を見て一抹の不安が過る。サミュエルのシエラに対する愛情はアイザックと良い勝負で、本人は認めないかもしれないが、それが強すぎるあまり周りを見失い捨て身になりがちだった。

 これも捨て身じゃないかと思ってみるものの、サミュエルの言うとおり勘でも何でも使えるものは使うべきだと思ってる自分もいた。

 シエラの身が心配なのは、サミュエルだけじゃない。


「分かった。進もう」


「ああ」


 示された道を進む。

 枝を避け、木の柱をかわし、茂みを掻い潜る。

 サミュエルが振り向いた。


「もっと早く走れるか、この森をさっさと抜けてあいつを捕まえるぞ」


「サミュエル! 前!」


「ぬっ? うおっ!?」


「サミュエル!!」


 前方が崖になっていたのを見て即座に警告したが、時すでに遅く、サミュエルは急な勾配を転がり落ちて泉へと落ちた。

 ユーリはなだらかな土の肌を滑りサミュエルが落ちた泉の側に降り立った。

 揺れる水面を見つめると、揺れ動く映像に心配顔の少年が覗き返した。


「サミュエル!!」


 返事は無かった。

 次第に水面の揺れが落ち着き、何事もなかったように静かになっていく。底が深いのか、覗いても手を突っ込んでも何も触れない。待ち人は、いまだ浮かんでこなかった。


「怪我して動けないのか。今行くからな!」


 服を急いで脱ぎ始めると、突然泉の水が揺れ始めた。同時に泉の中央に影が現れ、サミュエルか、と一点を注視しながら固唾を飲んで成り行きを見届けた。

 出てきたのは。美しい女性だった。


「は?」


「あなたは今、この泉に落とし物をしましたね」


「サミュエルは物じゃないです! 大切な友達です!」


 それを聞いた女性は、艷やかな唇を少しだけ綻ばせ、右手を水面にそっと置いた。


「あなたが落とした友人は、この方ですか?」


 尋ねると同時に黒い影が水の中から引っ張り出された。飛沫の合間から馴染みある外套と顔が見えて、思わずそうですと叫びそうになった。

 髪の色を見るまでは。


「だれ……」


 掬い上げられた青年は少年のよく知るサミュエルと酷似していたが、髪の色だけが違った。銀髪に金が入り混じり、キラキラと輝いて眩しい。

 何とか顔を見ようと目を細めると、ぱっと青年の目が開いた。

 その時、眼に入れられたという魔石の色を見て、ユーリは確信した。


「違います。この人はサミュエルじゃありません」


「では、この方ですか?」


 もう一方の手が水面を撫で、先程と同様に青年が顔を見せる。

 苦しげに呻く青年の髪は黒で、ふと開いた眼の色は、緑。


「サミュエル!」


「うっ、ここは……ユーリか?」


「その人です! その人が俺の友人です」


 少年は歓喜しながら友人を指差す。

 美しい女性がそれを聞くと、控えめに微笑んで「素晴らしい」と言って差された方の青年を地に運んだ。


「サミュエルを救ってくれてありがとうございます!」


「あなたは立派な心をお持ちですね。褒美に、こちらの友人を与えましょう」


 言うやいなや、サミュエル風の青年を地に揚げる。何で、と問いただすよりも先に女性は満足そうに泉の底に帰ってしまった。

 銀髪のサミュエルを視界に留めつつ、ユーリは友人の元に近寄った。


「サミュエル、大丈夫か」


「ああ、大丈夫だユーリ」

「あー、大丈夫さユーリ君」


 重なる声に驚いたユーリは銀髪の青年を見た。

 焦げ茶と金の双眼が、ユーリを見つめていた。

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