第四章 Fate
File 54: Oath
妹の病院に向かう道中、電車に揺られながらヒバナは考える。
エルの態度が一変した理由。そして、それにどう対処するべきか。
俯瞰的に見れば、嫌うことも嫌われることも大した問題ではない。全てが振り出しに戻っただけ。協力者はまた作ればいい。拒絶されても尚引き入れようとするのは、あまりにくどい。
だが、どうしてもエルという女性に固執してしまう自分がいた。真意が気になるというのもあるが、それ以上に嫌いたくても嫌いになれない、悶々とした感情が蟠っている。
ふとした瞬間の、何気ない談笑。こういう時間がいつまでも続けばいいのに。殺伐とした荒野の裏には、つねにそういう願いが生き潜んでいた。
だから、取るべき行動はただひとつ。全幅の信頼を置き、背中を預けるというのは未だ早いかもしれないが、着実に歩み寄っていくためには。
(とりあえず、次会ったら謝ろう)
もしかしたら気付かぬうちに、彼女の地雷を踏み抜いてしまっていたのかもしれない。無礼については謝らなければならないだろう。
そうぼんやり考えているうちに、病院の扉の前に辿り着いた。
ヒバナは息を切らしながら病室のドアをノックする。
その目は血走り、手が小刻みに震えているといった様子。本当は勢いよく開けて早く伝えたかったのだが、それが妹を驚かしてしまうのは想像に容易かったので、興奮をセーブしていた。
ドアの向こうから声がすると、ヒバナはいてもたってもいられないとばかりになだれ込み、
「チル! 手術だ! ようやく病気を治せるぞ!」
これ以上に無いほど明るい声で、ヒバナは吉報を告げる。
ベッドで上半身を起こし、こちらに視線を向けたチルはやや困惑したような表情で、
「手術……ですか……」
「そうだ、手術! リハビリを頑張れば、また自由に歩けるようになるぞ!」
「……」
こちらの期待とは裏腹に妹が浮かない顔で俯いたので、ヒバナは戸惑う。
「どうした? 嬉しくないのか?」
「……嬉しくないわけではないです。でも、兄さんもシュウヤさんも嘘つきです」
その悲嘆に暮れたような口ぶりに、妹のおおよその内情を悟った。
「いや、あれはだな。実は深いわけがあって……」
「誤魔化さないでください!」
堰を切ったような怒りの発露。チルがここまで声を荒げるのは珍しく、体に障ってしまうのではないかと心配になったが、ともあれヒバナを委縮させるには充分だった。
「兄さんの仕事は何なんですか! 何をして手術の費用を稼いだんですか!」
「そ、それは……」
「もし悪いことをして稼いだのなら、私はこの手術には反対です! そんなので命を救われても、まったく嬉しくありません!」
自分のために、人に言えないような仕事をしている。それは一種の罪悪感となって、チルの心に根差していた。考えてみれば当然だろう。たしかに悪い事をして、誰かを不幸にして得たお金で助けられてもどう捉えたらいいのか、気持ちの整理がつけづらい。
チルを納得させるためには、正直にCPAのことや超能力者のことについて話すのが簡単だが、それはどうしてもできない。彼女をこちら側に巻き込むわけにはいかないからだ。
かといって発言を更に嘘で塗り固めても見抜かれてしまう――こちらが幾ら気を回そうと、チルの不安は解消されない予感がした。シュウヤの時の二の舞は避けなければならない。
したがって、実直に向き合うことを心に決め、
「……すまない、チル。本当のことは言えないんだ」
「どうしてですか!」
「危険だからだ」
「そんな……!」
濁されたままでは、やはり不誠実だと感じるのだろう。チルは眉間に小さな皺を寄せ、糾弾するように見つめてくる。
「私は……私はッ……」
自身の無力さを痛感し、チルは唇をぎゅっと噛んだ。
その様子を見たヒバナはいたたまれない気持ちになりながらも、不安をかけまいと口角を上げるのに努める。そして、静かに抱き寄せた。
「チルは病気を治すことだけを考えてればいい。安心して、ぐっすりと眠るんだ。面倒事は全部兄ちゃんがやっておく。何も不安がることはない」
「……どうしても話すつもりは無いんですね」
「……ああ。今は無理だ。今は、な」
「? どういうことですか?」
当初のままならば、妹の手術を終えた時点で自分が超能力者を殺す理由は皆無。ここできっぱりと終わっていた。それからは妹と過ごすためだとか、そういう継続的な理由を見つけていたのかもしれないが――どうにせよここでひと段落だった。
だが、今は同時に別の目標が立っている。非情な現実を見せられて、組織の犬のままで終わるつもりは更々無かった。胸を張って妹に仕事を言えるように。超能力者と無能力者が不毛な争いをしなくて済むように。世界の構造を根本から変える。そのために行動する。両者が話し合いの席につけさあえすれば、状況は好転するに違いない。
だから、この隠し事も時間の問題だ。上手くいけば、いずれ誤解も解けるだろう。
「全てが終わったら、その時にまた話す。とにかく、それまで待ってくれ」
「ひとまずの目処がある、と」
「ああ」
「……分かりました。信用しましょう」
チルはヒバナの腕の中で目を細め、
「ですが、もし悪いことをしてお金を稼いでいたのなら、私は兄さんを一生恨みます」
ヒバナは答えなかった。答えられなかった。もし、妹が自分の仕事を知ってしまったのならば。果たしてそれを「悪いこと」だと判断するだろうか。
妹は自分がすでに後に退けない状態であることを知らない。胸に爆弾が仕込まれているなんて想像もしていないだろう。悪いことをしているのなら、今からでも足を洗うことを期待しているはずだ。そういう意味では、最後は酷な判断を任せることになる。
結局のところ、自分は嫌われる。それでも構わない。ヒバナはそう思った。どれだけ恨まれようと、チルの命が第一優先だ。このまま意地を張られて、衰弱していくのを見るよりは遥かにマシだろう。
「……とりあえず。今は治療に集中します」
「そうしてくれ。そんでもって歩けるようになったら、また向日葵を見に行こう」
「はい」
ここでようやくチルの口元に笑みが浮かぶ。黄色と青のコントラストに、どれだけ恋焦がれているかは想像に容易い。無理もないだろう。なにせ彼女からしたら、ほとんど唯一の家族の思い出だからだ。
いつか一緒に行けたらいいなという願望は、あともう少しで叶う。その日はすぐそこまで来ている。いざとなると、中々現実味の湧かない事実だった。
果たして本当に一緒に行けるかは怪しいところだが――そのための努力を尽くすのは言うまでもない。
とにもかくにも、妹の手術が確定したというのは、ヒバナに絶大な安堵と達成感を齎した。これでひとつ、頭の片隅に引っかかっていた懸念材料が取り除かれる。頑張ってきた甲斐があるというものだ。
依然、ややこしい懸念材料は沢山あるものの、ヒバナは束の間の安寧に頬を緩めた。
***
朝一、エルはCPAに赴く前に赤いポストに手紙を投函する。
外は冷え込んでおり、白い息が漏れ出た。かじかむ手を擦り合わせ、何となく季節の移り変わりを実感。
アンニュイな気分になり、家族や自分の生末について思いを馳せる。そして、おもむろに空を見上げた。
「凄い……晴れだな……」
まるで何かを暗示するかのように、空には雲ひとつ無かった。透き通る水色の地肌を曝け出し、満足げな顔をしている。
だからといって、特別言いたいこともなかったが、せめて曇っていたのならどれだけ救われていたのだろうと思う。
そこにあるのは無常。自分たち人間がどんな思いをしようと、それはちっぽけな悩みであり、世界は素知らぬという儚さだ。
空が綺麗に澄んでいることは、今のエルにとっては、そういうある種の絶望の表れだった。
***
休日明け、出勤したヒバナはミーティングの前にエルに謝ろうとしたのだが、その試みは悉く失敗に終わった。
話しかけようと近づくと、途端に距離を取られる。つまるところ、避けられているみたいだった。やはり嫌われてしまっている。そう思ったヒバナはがっくりと肩を落とし、
「まあ、なんだ、ヒバナ。生きてりゃこういうこともあるさ」
「ご愁傷さまだね。今度また美味しいものでも食べに行こうよ」
とタイキとカオルの男組に慰められる始末。
「はあ……なんだかな……」
何か理由があればまだしも、ここまで徹底的に避けられる心当たりはない。ヒバナの心はブスブスと煙を立て燻り始める。どうしたら弁明のチャンスを貰えるのか。それともこのまま諦めたほうがいいのか。煮え切らない気持ちを抱えつつ、キッカの到着を待った。
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