File 52: Mourning

 翌日。

 ヒバナは渋谷の忠犬パチ公の銅像の前で、エルと待ち合わせていた。

 約束の時間より少し前に来てしまったので、時計とにらめっこしながら暇を潰す。

 彼女は本当に来るだろうか。女性と外出した経験に乏しいヒバナは、少々不安を募らせていると、


「ヒバナくん」


 オレンジの髪の少女がふわりと姿を現す。いつもの漆黒のパンツスーツではなく、ベージュのタートルネックに、タイトな山吹色のロングスカート。大人っぽくも女の子らしい意外な装いに、ヒバナは思わずドキリとした。

 化粧もばっちりと決まっているせいか、CPAにいる時とはだいぶ印象が違う。ただ同僚と映画を見に行くだけにしては、やたらに気合いが入っているようにも思え、ここでようやくヒバナはこの状況に違和感を覚える。


(い、いや、まさかな……)


 もし仮にそうであれば。然るべき対処をしなければならないが、今はエルの真意が見えない。ここは慎重に見極める必要がある。疑心暗鬼になりつつも、ヒバナはエルの


「すみません。待ちました?」


 という問いに思考を向け、


「いえ。そんなに待ってませんよ。俺もさっき来たところです」

「そうですか、よかった。じゃあ、早速行きましょう」


 お昼時ということで、2人はとりあえずランチに向かう。評判のイタリアンが近くにあったので、見晴らしの良いテラス席でトマトのパスタやバケットを口に運びつつ、


「やっぱり渋谷って人、多いですね」

「初めてなんですか?」

「生まれも育ちも田舎なので……こっちに来てからは働き詰めでしたし」

「ああ、成程」


 そんな他愛のない会話の最中も、ヒバナはエルのことを疑っていた。不本意ながらも仕方がないことだ。しかし、いざ彼女がそういう感情にあると仮定すると、言動がいちいちそれっぽいことに気が付く。


 意識すると途端に仕草が婀娜っぽく映り、ヒバナはどぎまぎした。

 空気がミルクのように柔らかな甘さを纏ったようにも、シトラスのような弾けた瑞々しさを纏ったようにも思え、意思に反して心拍が上がっていく。


 ヒバナとて、男。異性に好意を寄せられて、嬉しくないわけではない。だが、それを諸手をあげて喜べるほど心境は単純ではなかった。

 このままでは危険だ。どうにかして向こうの気持ちを確かめなければならないが、捻りもなしに口に出すのは躊躇われた。「自分のこと好きなんですか?」と自ら切り出すのは中々ハードルが高い。


 結局はなあなあのまま、映画館に足が向く。

 観るのは流行のスプラッタホラー。もっとハートフルな話のほうが棘が立たないように思えたが、他に目立ったものもなく、思案の末にこれに決まった。

 チケットを購入し、シアタールームに入場。中に入るとライトの照り方のせいなのか、密室という特性のせいなのか、不思議と気分が高揚する。


 ヒバナとエルは隣り合わせの席に座り、放映を待った。しばらくすると照明が落ち、辺りは薄暗闇に。コーラを口に含んでいると、モニターがぱっと明るくなる。


 映画の内容は可もなく不可もなく、といったところだった。血飛沫があがり、臓物が塗れ、おおよそ男女2人で観に行くようなものではないように思ったが、映像のグロテスクさの割には軽めの作りだったのは幸いか。


 最中、一度お互いの手が触れあいそうになったが、ヒバナは反射的に引っ込めてしまった。明確な拒絶の意思、というほどではない。あくまでも自然に距離を取った。

 だが、それはエルの心に影を落とすのには充分だった。もしかしたら嫌われているのではないか。そういう迷いが生まれ、心ここにあらずといった感じでぼんやりと画面を眺めることを強いられる。


「――映画、面白かったですね」


 外に出て、チェーンの喫茶店に腰を落ち着けたところで、映画の感想を交互に口にする。特に当たり障りのない感想だ。一応ハッピーエンドだったので心象は良かったはずであるが、ヒバナの顔はどこか浮かないものだった。

 とどのつまり、どうやってエルと線を引くか。ヒバナの悩みの種はそれだ。自分は好意を向けるのに値しない存在であると、相手を傷つけずに主張するには。気まずさを出来るだけ残したくないというのもあり、その問題は困難を極めた。


 冗談を言い合って互いに笑い合う裏で、早く帰りたいという雰囲気を醸していたヒバナは、コーヒーを飲み終えると即座に立ち上がり、


「もう行くんですか?」

「……すみません。この後、妹の病院に行かなくちゃいけないので」

「あ、そうなんですか。妹さんがいるんですね。……分かりました」


 つられてエルも立ち上がる。どうやら一緒に駅まで行くつもりのようだ。このまま穏便に別れようと思っていたヒバナは、思惑が外れてやや鼻白む。


「あの、別に見送らなくても大丈夫ですよ。ゆっくりしてても」

「? どうしてですか?」

「あ、いや……そうですね……」


 これ以上正直に物を言えば相手を傷つける形になると思い、踏みとどまった。が、その見えない壁のようなものはエルには伝わってしまい、彼女は眉を顰め、


「もしかして、私のこと嫌いですか?」

「違います、違います! 決してそういうわけじゃないんですけど……」


 慌てて訂正したが、気まずい空気が変わることはなかった。結局2人足を揃えて駅へ歩き始めたものの、つまらない授業を聞いている時のような、途方もない時間の長さを味わう。


「……私、結構嫌われやすいんですよね。暗いし、頑固で。何かダメなところあったら言ってください」

「ダ、ダメだなんて! エルさんはとても素敵な人だと思います!」

「じゃあ、なんで……」

「それは……」


 ヒバナは返答に窮する。心の奥にあるものを吐き出すべきか、否か。考えるに考える。だが、どう言葉にしても傷つけてしまう恰好になるのを自覚し、最後まで口を動かせなかった。

 そうこうしているうちに駅の改札の前に着いてしまい、


「……すみません。今日のところは、これで」

「……はい」


 言い終えるやいなや、エルは振り切るようにして駆けて行ってしまった。そこでヒバナは自分の過ちに気が付き、やってしまったとばかりに手を伸ばしかける。

 答えようと、答えまいと、どちらにしても傷つけることになるのは分かっていたはずなのに。どうして自分は決断を下せず、最も狡い選択をしてしまったのだろう。これでは誰も納得しない。

 だが、捜査官という立場を考えるとこれが正解だったようにも思え、雑踏の中立ち尽くすことしかできなかった。



 ヒバナと別れたエルは、涙をこらえながら足早に人混みを進んでいく。

 正直なところ、振られるのは分かっていた。これが当たり前の反応だ。最後の我がままに付き合わせてしまって申し訳ないという気持ちと、自分の中にあるどうしても抑えきれない衝動に板挟みに合い、脳が焼き切れそうな感覚を覚える。


(意地悪だな、私……でも……)


 声をあげて泣きたかった。怒りに任せて物に当たりたかった。そうすれば解決はしないけれど、幾らかこの気持ちを抑えられる。

 だが、人目がある中でそれをするのは憚られ、全てを自分の中で消化するしかなかった。腹の底がグツグツと煮え、この世の理不尽に奥歯を噛む。


「ねえねえ、そこの可愛い子ちゃん。どうしたの? 俺らと遊ばない?」

「……」


 チャラい男の二人組にナンパされるも、エルは無視して先を行く。話しかけないでくれ。そう強く思った。口を開けば最後、どんな言葉が今の自分から飛び出るか分からない。

 が、獲物を見つけた男たちがそう簡単に引き下がるわけもなく、エルの願いに反して執拗に後をつけてきて、


「そんな無視しないでもいーじゃん。ちょっとだけだからさ」


 そうして、男の一人がエルの腕を掴む。


「い、いやっ! 離して!」

「だって、止まってくれないんだもん。こうするしかないじゃんかー」


 エルは必死に振りほどこうとするが、鍛え上げられた男の力に敵うことはない。それは怒りよりも先に、巨大な恐怖を生み出した。下卑た男たちの笑みに、喉が震えてうまく声が出ない。頭が真っ白になりそうだった。


(誰か……助けて――)


 無力感の末に、第三者の助力を乞う。些細な男女関係のもつれのようにしか映らないのか、面倒ごとに巻き込まれたくないのか、周りの人は動かない。絶望を味わったその時、


「……嫌がってるじゃないですか。離してあげてください」


 ヒバナが目の前に現れ、男の腕を強く掴んだ。

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