File 51: Requiem

 CPA内ではどこで誰に見られているか分からないということで、ヒバナとエルは少し歩いたところにある喫茶店に腰を落ち着けた。

 各々、考えるのが面倒だとばかりにオーソドックスなコーヒーを注文したところで話を始める。


「そう言えば。いいんですか、仕事抜け出して」

「あらかた終わらせてきたので、あとはもう帰るだけですし」

「成程、じゃあ安心ですね」


 相手の出方を探るように、当たり障りのない話題から切り出す。

 それからしばらく気まずい沈黙が流れたが、エルがおもむろに目を伏せたのが皮切りとなって、


「ヒバナさんは多分、自分が思っている以上に危険な状態です」

「そう……ですかね」

「はい。ヘッドは必要であれば味方も容赦なく殺します。そういう風に訓練されてきた人たちなんです」

「さすがにやらないだろ、という甘い考えは捨てるべきだと」

「……超能力者を殺せない超能力者に生きる価値は無い。実際、廃棄されてきた子を何人も見てきました」


 人を殺せなくなることはそう珍しいことではないらしい。地獄のような職場だと改めて思うとともに、すでに銃口を向けられている状態であることを認識した。


「ヒバナさんには様々な疑いがすでに沢山かけられています。今度ボロを出せばまず間違いなく命はありません」

「たしかに、慎重にならないといけませんね。俺が思っている以上に」


 今後は発言ひとつでも命取りになりかねない。ギリギリの綱渡りを常に強制されているようなものだ。想像しただけで気が滅入ってしまいそうだった。

 どうして味方であるはずのヘッドと心理戦を繰り広げなければいけないのか。信用のパラメータが下降線を辿るが、元々マイナスであったことに気が付き、どうしようもないとばかりに肩を落とす。


「どうしたんですか」

「あ、いや、別にどうってことはないんですが、最近色んなことがありすぎて頭の整理が追い付いていないっていうか。……もどかしいですね」


 自分の目指すべき目標はあくまでも超能力者と無能力者の共存。そのためにはまず突然変異のアルゴリズムの解明が必要不可欠。

 差別感情は恐怖の根本さえ取り除ければ、シュウヤの例のように段々と長い時間をかけて薄まっていくだろう。

 だが、何十年も続けている研究が何の糸口も見出せていないというのは、絶望的な事実だった。


 では、自分に今できることは何なのか。

 それは誰よりも強くなり、自身の存在価値と発言力を高めることに他ならない。

 CPAやブランといった対立する存在に、力で捻じ伏せられてしまっては元も子もないからだ。


 そして、より強くなるためには怪物の助言通り、より強い意志を抱くことが重要。

 それは言い換えれば、どれだけ命の危険を感じてきたかに依るのだろうなということは、モグリとの戦闘で薄々察し始めていた。

 ピンチになるたびに、強い意志を持って底から這い上がれば這い上がるほど、自分の能力値は本来の「怪物」に近づいていく。


 よって、高みへ上るにはより危険な状況に身を置く必要があるだろう。

 決して楽な道のりではない。一歩間違えれば地下鉄での戦いの後のように、傷が塞がらずに死に悶えることになる。

 あれの原因はおそらく精神の不安定。冷静な時は死ぬこと自体にこれといった恐怖は感じていないはずなのだが、それでも再びあのような痛みを感じたいかと言われれば首を縦に振りづらい。


 それほど死の経験というのは鮮烈なものだった。理性で考えているのとは違う、明らかに論理を飛び越えた拒絶だ。自分という存在が無となり、未知の領域に突っ込んでいく感覚は名状しがたい。今でも思い出すだけで気持ち悪くなる。

 そのリスクを背負ってまで、自ら窮地に陥ることを是とするか。ヒバナの覚悟は並々ならぬものであり、答えは結局決まり切っているのだが、瞬間二の足を踏んでしまった。


 とにかく、強くなる。そこまではいい。

 しかし、そこで引っかかってくるのは木島の発言だった。


「強さって、一体何なんでしょうか」


 強さを履き違えていると言われてしまったが、正直意味不明。そこまで認知が歪んでいる自覚は無かった。何でもいいので小さな収穫が無いかと、藁にも縋る思いでヒバナはエルに尋ね、


「強さですか? さあ、言葉通りの意味にしか捉えられませんが……」

「ですよね……」


 頭で考えても真意が全く理解できない。弱肉強食の原理は生まれてからこの方、ごく自然に身に付けてきたジレンマだが、木島の目にはどう映っているというのだろう。当たり前のことを改めて問われてしまうと、逆に答えに困ってしまった。


 運ばれてきたコーヒーの揺れる水面を徒然に眺めていると、


「よ、よし……私は覚悟を決めたんだ」


 とエルが思いつめたように独りごちる。こちらが不思議そうに首を傾げると、エルはちょっぴり照れたように慌てふためき、


「あ、今のはただの独り言っていうか、なんていうか。気にしないでください!」

「? はい。分かりました」

「ところで明日久しぶりの休日なんですけど、映画でも見に行きませんか」


 それは急な提案だった。ゆえに、ヒバナは動揺する。

 Ⅱ課は明日、揃って休暇をとることになっている。キッカの頭の中ではすでに作戦が出来上がっているようで、自分の休み明けに王手を仕掛けるつもりらしい。

 だから、このタイミングで部下を休ませても問題ないという判断なのだろう。緊急の際はⅢ課がいけるようにしているみたいなので、久方ぶりのかなり本格的な休暇だ。


 ブラック企業もびっくりなことに、人手不足が原因で一週間丸々働かされるのが普通のCPA捜査官にとっては非常にありがたい。そして、多くの人は睡眠に注力するはず。

 そこで引け目となるのは、そんな貴重な休みを自分なんかと消化しても大丈夫なのかという問題だ。エルという女性に誘われたことよりもまず、ヒバナの心を乱したのはそういう心配だった。


「映画、ですか。いいですね。でも、大丈夫なんですか。寝なくて」

「ああ、私は別に平気です。元々ショートスリーパーなので」


 必要な睡眠時間が短い体質だからといって、疲労が溜まりにくいわけでもないだろうにと突っ込みそうになったが、わざわざ揚げ足をとるのも憚られ、口の端をわずかに持ち上げるに留まった。


「ええと。にしても、どうして俺となんですか?」


 自分より、同性の友達や同僚のほうが気楽だろう。キッカやヨウカではなく、なぜ男の自分と遊びに行きたがるのか少々不可解だった。


「あ! えーと、そ、それはですね……」


 エルは顔をみるみるうちに赤に染めていく。何かやましいことでもあるのだろうか。ヒバナは隠し事をしているようなその素振りに驚いた。

 ややあって口元を手の甲で隠し、目を潤ませながら、


「秘密を共有できるのがヒバナさんしかいないから……ですかね」

「秘密?」

「私はやっぱり超能力者と無能力者が争わずに済む世界を作りたい。でも、そんな目的バレたらまずいじゃないですか」

「そ、それって……!」


 ヒバナは同志を見つけた嬉しさのあまり、声を張り上げる。が、すぐに遮るような恰好になったのに気が付き、申し訳ないという表情で、


「あ、すみません。つい……そうですね。そんな目的持ってるって知られたら、普通の人は良い顔しないでしょう」

「はい。だから、ヒバナさんならうっかり喋ってしまっても安心できるというか」


 成程、と納得する。わざわざ異性を選んだのはリスクヘッジのため。聡明な思考だ。


「でも、そうすると。これから、何かと一緒に行動することが多くなりそうですね」

「願ったり叶ったりですね」

「……?」

「な、なんでもないですっ」


 発言の意図が上手く汲み取れなかったが、とにかく嫌がられてはいそうにないことを悟り、ヒバナはほっとした。

 刹那、エルは何かを誤魔化すようにコーヒーをゴクゴクと飲み干し、


「あ、あのっ」


 と口火を切る。


「ヒバナくん……って呼んでもいいですか?」


 やや上目遣い気味に、頬に朱を差してそう言う。エルとしては急に距離を詰めた気がして、はねつけられないのか心配だったのだが、生憎ヒバナにはそこから好意を感じ取るほどの察しの良さは無い。戸惑いを含んだ微笑を浮かべつつも、


「構いませんよ」


 と間を空けずに快諾。


「……ありがとう、ヒバナくん。じゃあ、そろそろ私は戻りますね」

「……はい」


 呼称が少し変わっただけなのに、心の距離が急に縮まったような気がして、ヒバナは不思議な感覚に陥った。そもそもが遠すぎる、というのは確実にある。

 捜査官は簡単に命を落としかねない職であり、皆が皆無意識のうちにバリアーを張っているのだ。深く知りすぎると、その分いざという時に辛くなる。だから、和気あいあいと冗談を言い合ったりしている中でも、つねにギスギスしたものがあった。


 だが、今のやり取りで「武本ヒバナ」という人格に踏み入れられたような錯覚を覚える。何か一線を超えてしまった。今後は捜査官としてではなく、一人の人間として彼女と接することになるだろう。

 それは危険なことだと理解しつつも、自分の目的を理解してくれる人ができたことに対する喜びのほうが勝っていた。容易く無碍にすることはできない。よって、ヒバナの心は総じて明るく晴れやかなものだった。



 一方のエルはCPAに戻るまでの道中、ふと立ち止まり空を見上げた。

 白い太陽はどこか儚さを帯びていて。

 悲哀を滲ませたような瞳で、ぽつりと呟く。


「世界が、もっとシンプルだったらよかったのにな……」

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