File 32: Pain
青白いLEDが照らす、無機質な通路。
意味深な絵画が飾られており、あまり来たことのない道であるのも相まって、にわかに不安を駆り立てた。
A級超能力者が事件を起こした。
前代未聞の状況に、もれなく胃がキリキリとする。不気味であることこの上ない。
わざわざ新宿を出てきた理由は何なのか。
会議の中ではたしか抗争の関係と言っていたが、初出の単語が多く、うまく掴めなかった。
よって定例会議の後、デスクルームに戻る途中で、ヒバナはキッカに尋ねる。
「あの、会議の中に出てた『シヴァ』と『PRESENT』って何なんですか」
難しいことを色々と言い合っていたが、その中でもよく分からなかったのはこの2つの単語だ。
「新宿には超能力者集団が無数にあるが――その中でも3大勢力というのがあってな。それが『シヴァ』、『PRESENT』、『ハチノス』の3つだ」
なるほど、と合点がいった。
3大勢力のうち、2つが抗争を始めようとしているとなれば、治安が悪化するのも頷ける。
「ええと、それがどうカズとモグリに関係を?」
「あの義兄弟はシヴァの構成員。外に出てきた理由はおおよそ想像がつく」
「最終的にはCPAとの対峙、ですかね」
「ああ」
少し知識のある超能力者であれば、CPAを憎むのは当然の流れだろう。
集団と化しているなら尚更だ。
「というか、あの2人義兄弟なんですね」
「生まれてからずっと新宿にいるような輩だ。何考えているか分かったものじゃない」
そこまで卑下するつもりは無かったものの、何を考えているか分からないという点に関しては完全に同意だった。
そもそも、なぜこのタイミングで出てくるのか。シヴァ全体の意思なのか、彼らの独断なのか判別がつかない。
危険であることには間違いないだろうが――。
「七海」
そんなことを考えていると、背後から声が。
振り向き、声の主を確認する。そこには和服美人、如月レンが立っていた。
「如月さん、どうしたんですか」
キッカがそう首を傾げると、如月は上品な笑みを浮かべ、こちらを一瞥。
「すまない、ヒバナくん。席を外してくれないだろうか」
「え、あ、はい」
特に逆らう必要は無い。
ヒバナは軽い会釈をし、先にデスクルームに戻っていく。
その後ろ姿が小さくなっていくのを見て、如月はようやく口を開き、
「忙しいところ呼び止めて申し訳ない。これには訳があってね。単刀直入に言うと、私の部下を貸し出す提案をしに来たのだけれど」
「空きがあるんですか」
「うん、1人だけね」
「ありがとうございます」
如月の率いるIII課は追跡系の能力者が多い。
カズの能力とA級という危険度の高さを鑑みて、II課の戦力だけでは心許ないと思ったのだろう。
どうにせよ、キッカとしてはかなり心強い提案だった。
「それだけですか」
「? どういうこと?」
「失礼かもしれませんが、顔にはまだ言い足りないことがあると書いてあります」
「……さすが。新人の頃から変わらない洞察力の高さね」
「恐縮です」
キッカはかつて、如月の下で働いていた。
だから、他のヘッドより特別な尊敬を抱いているのは間違いない。
憧れの人といっても過言ではないのだが、それが逆にキッカにとっては不安の種だった。
わざわざ口に出して言うようなことではないこと。
アドバイスというよりは、おそらく忠告に近いだろう。
秘めたままでいられるのも気持ち悪いので、覚悟の上で促したが、怖いものは怖い。
内心びくびくしていると、如月はそれを見透かすような柔らかい口調で、
「――七海、貴女はもう少しヘッドの仕事に徹しなさい」
と言い放つ。
「執行権のことですか」
「そう。私たちの本来の仕事は超能力者を管理し、見張ること。そして、危険だと判断したら執行する。決して動き回って、トドメを刺すことではない」
「ですが、それでは……」
「戦力が落ちるって? 真面目過ぎよ、貴女。いい? 私たちはつねに安全なところにいなければいけないの」
如月の言いたいことは、キッカにとって耳の痛い話ではあった。
自分でも危険を冒しがちな節があると自覚している。
それは部下とできるだけフェアな立場でいたいという気持ちの表れなのだが、一方の如月は捜査官を『道具』としか見なしていないのは薄々感じていた。
「超能力者はいくらでも替えがきく。だけど、ヘッドはそう数はいない。まして、貴女みたいな優秀な人間はね」
「……一理あると思いますが、承服しかねます」
「どうして?」
「群れのリーダーが後ろでふんぞり返っていれば、いずれ痛い目を見るでしょう」
黒髪の麗人は目を細めて嘆息し、
「……忠告はしたわよ。とりあえず、死なないようにね」
そう言って、踵を返す。
その場にぽつんと残されたキッカは、どちらの考えが正しいかをひとまず決めざるをえなかった。
敵の超能力者が嫌がるのはどちらか。
どちらが自分の目標に近づくのか。
だが、いくら考えてもそれらしい答えには辿り着かない。
おそらくそんなものはどこにも無いのだろう。
どちらにもそれなりのリスクが存在する。
「私は――」
結局は、自分の信条に従うしか無い。
***
「ヨウカヨウカヨウカ〜」
「なんやねん暑苦しい! こっちは忙しいんや!」
「え〜。これ解いてよ〜」
「うっさい、んなもんあとあと! もうちょいやねんから」
デスクルームではヒバナ、タイキ、ヨウカの3人が必死で書類作業を片付けていた。
あと少しで昼時だ。
それまでにある程度終わらせておかなければならない。
だが、その状況は小学生のカオルにとって当然つまらないものであり、ゲームの攻略をヨウカに突っぱねられて頬を膨らませた。
「むぅ、なんだいなんだい。ひっきりなしに働いてさ。つまんないの」
「カオル、ちょっと黙っててくれ」
「あっタイキ、そんなこと言っていいのかな? この前、休憩室でグラビア見てたことバラしちゃうよ?」
「おまっ! ……ったく、隠すつもりないだろ」
タイキは頬を仄かに赤く染め、呆れた。
その後しばらくはキーボードとペンの音だけが部屋に響き、時計の針はようやく正午を回る。
「だーっ! 終わったー! さ、飯や飯ー!」
大量の仕事からひとまず解放されたヨウカは、両手を伸ばして歓喜にうちひしがれる。
ヒバナとタイキも各々伸びをして、一息ついた。
「んで、そういやさ。定例会議どうだったのよ」
タイキがふとヒバナに尋ねる。
「あー、えーっと、A級超能力者をII課が受け持つとか何とか」
「A級か……急にまた厄介なものを回されたな」
「やっぱり強いんですか?」
「危険度が分類されてる奴らってのは、過去に相応の事件を起こしてる。つまりはそういうことだ」
CPAでも捕縛できなかった相手となると、やはり危険には違いないのだろう。
何より、性格が凶暴と見えた。
「しかも、新宿の奴らはこちらの手札をある程度知っている。嘘発見器も、捜査官も、情報規制も、かいくぐられる可能性が高い」
「なるほど……」
今まで戦ってきた手合いとは要領が違う。
一方的に詰めるというよりは、戦うことが前提。
姿を見つけたら、即臨戦状態に入れないとつけ入られてしまう。
できるだけ街中での戦闘は避けたいものだが、そうはいかない場合も多いのかもしれない。
懸念を感じていると、デスクルームの扉が開く。
「午前の就業、ご苦労様。皆、こちらが今回の捜査に協力してくれる黒田エル捜査官だ」
キッカに促され、1人の女性が進み出る。
オレンジのショートヘアと感情の読みづらい挙動。
その首には瞳のタトゥーが入っていて、どこかサブカルのような雰囲気も感じる。
「……黒田エルです。よろしくお願いします」
エルはぺこりと頭を下げた。
各々軽く自己紹介を済ませると、
「何となく察しはついてると思うが、今回II課はA級の抹消を受け持つことになった。昼休みの後にミーティングを始める。以上」
キッカはそれだけ言い残して、デスクルームを速やかに後にする。どうやら忙しいようだ。
残された捜査官たちは半ば呆気にとられつつも、やがて思い出したように行動を始め、
「あ、買ってきた弁当その辺にあります」
「おー、ありがとうヒバナ」
そうして、好きな弁当を各自取っていく。
ヒバナは自分の席についたところで、エルの表情が曇っていることに気が付いた。
「どうしたんですか?」
「あの、私、お肉食べれなくて……」
「あ、そうなんですか。よかったら交換します?」
ヒバナは自分の手元にあるサンドウィッチに肉が入ってないことを確認すると、快くそれを手渡した。
すると、少しエルの表情が和らぐ。
「ありがとうございます」
「うん」
そんなやり取りをしていると、トコトコとカオルが近づいてきて、無神経に尋ねた。
「ねえ、どうしてお肉嫌いなの?」
「カオルくん、そういうのは……誰にでも嫌いなものってあるだろうし」
「でも気になるじゃん。お肉美味しいのに」
エルは一瞬困ったような素振りを見せ、
「なんていうか、当事者になりたくないんだと思います」
「当事者?」
「命の価値は平等じゃない。強いものが弱いものにラベルを貼って、虐げ、選別している。それをあたかも悪いことではないかのように正当化して、見えにくくしている構図が嫌いで」
「あっ、ちょっと分かります」
平等だの何だのはあくまで理想でしかない。このお肉だって、人間という強者が豚という弱者を虐げた結果だ。
どんなに綺麗事で見繕おうと、その事実は変わらないだろう。
「でも、それならエルだって野菜の命を軽視してるよね?」
「……そうかもしれません。まあ、結局どこで自分が納得できるかだと。ようするに自己満足の領域です」
「ふーん。なるほどねー」
納得したようなしてないような生返事をすると、カオルはソファに転がった。
どうやら話が難しくて飽きたらしい。
(うーん。だけどなあ……)
ヒバナとしては、一部理解できるところはあるものの、エルの主張は身勝手な詭弁だと思わざるをえなかった。
命を選別したくなかったら、極論、死ぬしか方法は無い。
生きるということは、誰かを虐げるということだ。
それをあからさまに言うのも憚られるが、潔癖であろうとするのも何か違和感を伴う。
つまりは、一貫性が無い。
そんなことを考えていると、
「自分がされて嫌なことを、平気で相手にしたくない。ただ、それだけなので」
こちらの心境を察したのか、エルは独りごちるようにそう言った。
その言葉は、心という画用紙に水滴を垂らしたように、ジワジワと滲み広がっていく。
超能力者、捜査官、無能力者――奥底で思い悩んでいること全てに通じており、心臓をなぞられたような気持ち悪さを感じた。
(命の価値は平等じゃない、か)
胸が詰まりそうになっても、焼いた豚肉は相変わらず美味い。
そのことが余計説得力を持たせているように思えて、少しだけ箸が止まった。
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