File 4: Daily

 目覚まし時計が朝を告げる。ヒバナは難しい顔でそれを止めた。

 早く支度をして、学校に行かなければ。眠たい目をこすりながら、体を起こす。昨日はキッカに家まで送ってもらい、そのまま泥のように寝てしまった。家のことはあまりできていない。トーストを焼いている間に軽くシャワーを浴び、あがるやいなやテレビを点ける。黒い板の向こうではアナウンサーが淡々とニュースを述べていた。


「本日未明、空条市で謎の爆発があり……」

「空条……すぐそこだ」


 ヒバナは少し焦げ付いたトーストをかじりながら、爆発事件についての報道をぼうっと眺める。

 空条市で原因不明の爆発事故。幸い怪我人は出なかったものの、物損が激しく、被害は決して小さくない。特に気になったのは、それらしい爆発物が周辺に無かったという点。ガス類に引火したのではという憶測は容易に立つが、それにしては不可解な部分が多かった。


「物騒だな」


 最後の一かけらを口に放り込み、ヒバナは食器をシンクに運ぶ。そして、身支度を終えると飛び出すようにして家を出た。

 


 爽やかな朝だ。空は青く、小鳥がさえずっている。だが、ヒバナの心情はそれとは対照的に幾分曇りがあった。

 捜査官。超能力者を殺す仕事。果たして自分にその役目が務まるのだろうか。これは能力的な問題ではなく、覚悟の問題だ。だから、くよくよ悩んだところで答えなど出るはずもない。そのことに薄々気づいてはいたものの、どうしても踏み切れずにいた。

 もし殺した超能力者に家族がいたら。当然、その家族は悲しみに暮れるだろう。誰のせいで? 紛れもない自分のせいで。想像するだけで罪悪感に苛まれそうだ。

 

 本気で捜査官になるのならば、自殺をする必要がある。

 もちろん字面通りの意味ではない。あくまでも比喩ではあるが、要は今までの自分の生き方を真っ向から否定しなければならなかった。丹念に積み上げてきた砂山を、突然崩せと命令されたようなものだ。一度やってしまえば引き返すことは絶対にできない。それを押しのけるだけの覚悟を以て、仕事に臨めるかはやはり怪しいものがあった。


「だからといって、できないとも言えないしなあ……」

 

 と溜息混じりに独り言ちると、


「何ができないんだ?」

「うわっ!?」

 

 完全に自分の世界に入っていたので、後ろから急に話しかけられて心臓が飛び出そうになった。

 まじまじと相手を見つめ、既知の人物であることを確認するとほっと胸を撫で下ろす。


「シュウヤ……急に話しかけてくるなよ、びっくりするだろ」

「あはは。悪い悪い」


 悪びれる様子もなく、からからと笑う男子高校生。巫シュウヤ。ヒバナのクラスメイトであり、そのがたいのよさから「熊」という異名を持つ。今日もアホ毛の調子は絶好調らしく、元気よくびよんとはね散らかしていた。


「で、何ができないって?」

「シュウヤには関係ねえ」

「またまた~。すぐそういうことを言う。ちょっと当ててやろうか。……さしずめ、色恋沙汰と見た」

「ふん。恋愛なんて俺には無縁だね」

「はああ? お前、鏡を見て来いよ。覇気は無いが、結構イケてるぜ?」

「いや別に……そんなことねえだろ。普通だよ、普通」

 

 自覚は無い。シャウヤ以外に特別そういうことを言われた経験も無かったので、適当に相槌を打つ。


「……で、そのアイドルがさあ。って、聞いてるか?」

「あ、ああ。ごめん、ぼうっとしてた」


 シャウヤの大好きなアイドルの話を聞き流していると、嫌でも様々なことが頭をよぎり、集中力を欠いた。それを見たシュウヤは首を傾げ、

 

「様子おかしいぜ。やっぱなんかあったのか?」

「そ、そうかあ?」


 図星をつかれてヒバナは誤魔化す。

 元気が無いのは事実だ。どうしてこうも鋭いのだろう。この際だ。いっそのこと一切合切を吐き出して、楽になりたい気持ちが湧いてくる。だが、理由を言えるわけもなかった。そもそも自分が超能力者だと言ったところで信じてもらえないだろう。


 超能力者。そうだ、超能力者。能力を発現して以来、無意識のうちにそのことをひた隠して生きてきた。半ば忘れていたと言ってもいい。異能を持っていることは罪。今考えれば、そういう風潮を子供ながらにうっすらと感じていたのだろう。だが、それは果たして死に値することなのだろうか。面と向かって人に問うたことはなく、だからこそどうしても確かめたくなった。


「なあ、超能力者ってどう思う?」


 さりげなく隣で歩くシュウヤに尋ねる。


「超能力者? 何だいきなりだな。特に考えたことないけど……とにかく危険な人たちっていう印象だ。大災害のこともあるし」

「大災害……やっぱりそれがネックか」

「? 当たり前じゃね?」

 

 シュウヤは不思議そうに首を傾げる。

 大災害。二十年前、新宿で起こった超能力者による大量虐殺。詳しいことは知らないが、やはりそれが一般のイメージに色濃く残っている。

 昨日の捜査官は言っていた。超能力者は時限爆弾であると。つまり、その誰しもが大災害を引き起こしうる。死に値するかどうかはここをどう捉えるかによるだろう。


(ちょっと待て。あの時は必死だったから忘れていたが、超能力者を捜査官として生かしておくのは矛盾していないか?)


 危険だというなら、一人残らず抹殺すべき。そうじゃないと筋が通らない。捜査を進めている間に突然変異を起こす可能性だって大いにありうる。一体どういうつもりなのだろうか。超能力者の立場からしたらありがたいとはいえ、何か裏があるように思えた。


(本当に信頼していいのか?)


 決意が揺らぐ。

 騙されているのではという疑念がひょっこりと首を出す。漠然とした不安が悶々と蔓延り出し、胸を塞がれたみたいに苦しくなった。


「……悪い、シュウヤ。俺今日学校休むわ」

「えっ? ここまで来て?」

「ああ。ちょっと体調が優れなくてな」

「まあ、止めはしないけど」

「じゃあ、そういうことで。また明日」

「おう、またな」


 怪訝な表情を浮かべながら見送るシュウヤに軽く手を振り、別れを告げる。

 そのまま行く当てもなく、徒然に歩き始めた。



 まるで迷宮に迷い込んだ気分だった。

 自分に対し、躊躇なく引き金をひいた相手をほいほいと信用していいものなのだろうか。考えれば考えるほど泥濘にはまるようで、答えが出ない。

 しまいには面倒になって、逃げだしたいという衝動に駆られた。

 だが、それはできない。体の何処かにGPSが接着されているからだ。逃げ出したら最後、命の保証はないだろう。自分は何も悪いことはしていない。ただ必死に毎日を過ごしていただけ。それなのにこの仕打ちはあまりにもひどい。大体、どこで超能力者とバレたんだ。ヘマというヘマをした覚えはない。優秀な捜査を拍手で称えたくなる。一方で、その執念深さをもっと別のことに活かせばいいのにと筋の通らない愚痴が頭に浮かび、そして消えていった。


「世知辛いニャア」


 時間があり余ったので、適当な駐車場で野良猫と戯れる。

 頭を搔いてやると気持ち良さそうな声を出し、目を瞑った。

 

 猫はいいな、と漠然と思う。

 難しい悩み事などとは無縁であり、食べたいときに食べ、寝たいときに寝て、非常に自由だ。それに比べて人間はどうだろう。地上を支配したとはいえ。余計なしがらみに足を取られる時間が多いような気もする。


「人殺しになんてなりたくないニャア」


 真昼間からぼそぼそと猫に喋りかけるヒバナを見て通行人は奇異の目を向けてくるが、そんなのは彼にとって些細なことだった。

 殺さなければ殺されるという極限状態に陥っているためか、精神が図太くなっている。喜ぶべきものではないだろうが、その状況の悲惨さに少し笑ってしまった。


「あ」


 顎の下を撫でようとするとひらりとかわされ、猫はそのまま塀の向こうに走り去っていく。

 ぽつんとその場に取り残されたヒバナはおもむろに空を見上げ、鼻息ひとつ。暗澹たる己の行く末を憂いた。

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