File 2: Monster

 人を殺した。重大なことだ。

 だが、キッカの認識は正確には「人を」ではなく、あくまでも「超能力者を」であった。人を殺すのは許されないこと。超能力者を殺すのは当たり前のこと。

 それは彼女にとって朝一に顔を洗うのと同じくらい慣れた行為であり、特別苦悩したりすることはない。今までも幾度となく、この狩場で超能力者を葬ってきた。その度に感じたのはわずかな憐憫のみ。即ち、「超能力者に生まれて可哀想だ」という気持ちだ。

 私は悪くない。悪いのは超能力者。彼女にはそういう思想に誇りさえ持てど、疑いなどは微塵も持ち合わせていなかった。


 とはいえ、不自然なまでの落ち着きぶりにはまた別の理由がある。動かなくなったヒバナに対し、キッカは銃身を下げ、


「おい。そろそろ起きたらどうなんだ」

 

 と声かける。物言わぬ死体。本来なら返事があるはずもない。だが、


「……あーあ」


 という気だるげな返答が。

 打ち込まれた三つの弾丸が体外に押し出され、床に音を立てて落下する。うねる血肉。傷はみるみるうちに塞がり、まるで何事もなかったかのようにヒバナは蘇生した。


 そして、その姿は刹那のうちに変貌する。

 ナイフのような鋭利な爪と、ぎょろりとした金色の眼。左腕から顔面にかけて魚の鱗のような硬い皮膚が覆い、半身が人外の形を成した。恐ろしく、威圧的な風貌。それを見たキッカは冷めた口調で


「グロテスクだ。まさに怪物モンスター、といったところか」


 と感想を口にする。


「なんでバレちゃったのかな、俺が超能力者だって」


 先程までとは異なる、鐘のような重低音の声。

 怪物の姿となり正体を現したヒバナは、自分に落ち度がなかったことを頭の中で繰り返し確認する。最後にこの姿になったのはもう何年も前。容易にバレるようなやらかしはしていない。捜査官は「超能力者であるかどうかを確かめに来た」と言っていたのでついさっきまで確信には至ってないようにみえたが――直感にしてはリスクが大きすぎる。何かからくりがあるはずとヒバナは踏んだ。


「まあ、下調べは入念にしたからな。ある程度はアタリがついていた。加えて、実はこの腕時計は嘘発見器ポリグラフなんだ。波長や気温の変化を感知して、発言の真偽を調べることが出来る」

 

 なるほど、と合点がいった。

 それならばたしかに引き金をひく充分な動機になりうるだろう。命乞いをして、まんまと墓穴を掘ってしまったわけだ。しかしこうなった以上、ヒバナとしてはこの場所に居続ける意味はない。逃亡のことが頭をよぎり、


(少なくとも今の家にはもういられないな)


 地の果てまで追ってきそうな勢いの相手にげんなりしながら、ヒバナはじっと機を窺う。

 捜査官は微動だにしない。いかにも余裕綽々といった体で、こちらの出方を見定めていた。拳銃が効果が無いと分かって諦めているのだろうか。あまりにアクションが無いので底知れぬ不気味さを感じ、じりと後退する。


(この女性を殺せば……いや、それだけは無しだ。悪党に成り下がる意味はない)


 怪物のような見てくれで今更良心を問うのは滑稽でしかなかったが、ヒバナに積極的に悪さをするという選択肢は無かった。

 超能力者であるとはいえ、人並みの常識や良心を失ったわけではない。どんな状況であれ、罪を犯すのは御免だ。今までだってそんなことは絶対的に避けてきた。だからこそ生きているだけで命を狙われているこの状況に納得がいくはずもなく。しかし超能力者を恐れる人間の気持ちも理解できて、胸中は複雑ではあった。


(まあ、我が身可愛さに嘘吐いた奴が何言ってんだって感じだが)


 この世の理不尽さに少しだけ苦笑し、


(とにかく、俺は妹を守らないといけない。ここから逃げて、それから……)


 先のことを考えれば考えるほど憂鬱になりそうだった。

 裏でどれだけの捜査網が敷かれているのか。見当もつかない。不安で圧し潰されそうになりながらも、光明がゼロなわけではなかった。


 自分は超能力者。圧倒的な再生能力と鋼鉄のような皮膚、そして高い身体能力を併せ持っている。対して相手はただの人間。ちょっとやそっとの方法では捕まえることはできまい。また大々的な捜査をしていないことを鑑みれば、向こうの打てる手数が限られているのは明白だ。 

 

 やれる。覚悟を決めたヒバナ。

 一瞬揺らめいたかと思うと、そのまま猛スピードで逃亡を始めた。

 人体では到底有り得ない速度。耳をつんざくような轟音が遅れて聴こえてくる。地面を抉り、鉄扉を突き破るその迫力はまるで重戦車のようだった。


「和泉」


 倉庫に残されたキッカは小型のマイクで通信し、誰かの名前を呼ぶ。

 その向こうで「あいあい。了解やー」という返事があった。緊張感に欠けており、ともすればおちょくっているようにも聞こえるが、当人に自覚は無い。キッカはいちいち諫める気にもなれず、小さな溜息をこぼした。

 

 一方のヒバナは外に出ると、軽い身のこなしでコンテナの森を駆け回る。

 ひとまず高い場所を目指した。膨れ上がった筋肉の重量と衝撃で天を衝くクレーンを弾ませながらよじ登り、そこで辺りを見回す。


 右に黒い海、左に点々と灯るビル群の光。

 おおよその方角を把握すると、一息ついた。とりあえず、人目のつかない所に行って時間をやり過ごそう。血で赤く染まったシャツは目立ちすぎる。上裸になるとしても、深夜に動いたほうが賢明。怪物の姿のまま闇夜を駆けるのは憚られるので、人間の姿での移動が堅実な選択肢だろう。


(帰るのに何時間かかるか分かったもんじゃないな。幸いバッグはある。始発の電車に乗るのが最短か?)


 スクールバッグを持った自分が上裸で改札を抜け、電車に揺られるところを想像して眉をひそめる。コンビニかどこかでシャツを買ったほうがいいだろうか。


 ある程度の目算がつき、方向転換したその時――ヒバナの肩が弾き飛ばされる。

 一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 

 遠くから何かが飛んできた。

 紫色の光線レーザー。もしくは、電撃。そうとしか形容できないものが続けざまに襲ってくる。鋼鉄をいとも容易く溶かす破壊力と、ミリ単位で調節できる精度。とても現実のものとは思えない。


「何が起こってやがる……!」

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