エピローグ

 話はまだ終わらないんだ。


 三月といえばどこの学校でも恒例の行事がある。最近の流行らしく、卒業式は今年から私服でもOKになった。無論むろん男子はスーツだが。まかり間違って紋付もんつきハカマなんて着てくるやつがいるかもしれない。


 俺はハルヒを誘って朝比奈あさひなさんに会いに行った。三年生の教室に行く途中で鶴屋つるやさんに遭遇そうぐうした。

「これはこれは、キョン君とハルにゃんじゃないのさ。みくるに用かいっ?」

「ご卒業、おめでとうございます鶴屋つるやさん。お似合いですよ」

「鶴ちゃんおめでとう!着物がきれいね」

「あはは~っ。おばあちゃんのお下がりにちょいとショールを羽織はおっただけなんだけどね」

ピンクに桜の柄がよくお似合いですよ。短く結い上げた髪も美しい。

「あら、キョン君と涼宮すずみやさん」

二尺袖にしゃくそでにハカマの朝比奈あさひなさんを見るのははじめてだった。赤い花の髪飾りがれた。

「みくるちゃん、ハカマも似合うわね。あたしとしたことが気が付かなかったわ」

「巫女姿もよかったですけど、実によく似合ってますよ」

「これ、借りたの」

ちょっと頬を赤くした朝比奈あさひなさんはかわいい。

「キョン君、こんにちわ」

呼ばれて振り返ると、清楚せいそ喜緑きみどり江美里えみりさんがすらりとした姿で立っていた。純和服だった。

「ご卒業おめでとうございます。キモノがお似合いですね」

「ありがとうございます。和服ははじめてなので、着付けがうまくできてるかどうか」

薄い藤色の生地に白抜きの花模様だった。髪のウェーブをうまく結い上げて、おっとり感を出している。ほかの三年生よりずっと大人の感じがした。

喜緑きみどりさんは進学されたんですか」

「ええ」

喜緑きみどりさんはにっこり笑って、意味ありげにハルヒを見た。ハルヒの進学先に先回りして入ったのかもしれない。

 俺はハルヒの命令で、美しいやまとなでしこ三人と、どうでもいいセーラー服のハルヒを横に並べて写真を撮った。それからハルヒにカメラを持たせ、俺も並んで撮ってもらった。


 俺たち一般生徒は卒業式の会場には入らなかった。在校生は一部だけ出席、あとはPTAやら来賓らいひんやらで埋め尽くされた。俺は出る幕じゃない。教師とクラス委員の一部がいない教室で、俺はぼんやり窓の外を見ていた。

「来年は俺たちの番だよな」

そんな言葉がつい口をついて出た。

「そうね」

後ろでハルヒが答えた。たぶん俺と同じく、SOS団の残りのメンツの卒業シーンを妄想しているのだろう。


 式が終わったらしく、俺たちは正門で卒業生が出てくるのを待った。ハルヒがどこからか花束を持ってきた。

「キョン、これみくるちゃんに渡して。あたしは鶴ちゃんに渡すから」

どこに隠してたんだ、こんな大きな花束。できれば喜緑きみどりさんの分もほしいんだがなと思っていると、長門ながとが花束を抱えて持ってきた。

 ぞろぞろと歩いてくる卒業生の列から、卒業証書の丸筒を持った朝比奈あさひなさんが現れた。

朝比奈あさひなさん、三年間、ごくろうさまでした」

俺は花束を渡した。

「ありがとう。キョン君……もう会えないんですね」

「きっとまた会えますよ」

同じ大学受けるんだし。

「ううん、違うの。私は未来に帰るの」

「え、そうなんですか」

突然の引退宣言に俺は驚いた。いつかこの日がやってくるとは思っていたが。

「私の任務は高校生までなの」

「でも、ときどきは会えますよね」

朝比奈あさひなさん(大)になって。

「分かりません……」

朝比奈あさひなさんは声に詰まって顔を押さえた。押さえた指の間から涙が伝っていく。人前で女の子に泣かれたことがない俺は、どうしたらいいのか分からずただオロオロしてるだけだった。

「ちょっとキョン、なにぼーっとつったってんのよ!。こういうときは抱きしめてあげなさい」

「な……」

俺はドンと背中を押されて、おずおずと朝比奈あさひなさんの肩を抱いた。鶴屋つるやさんがニヤニヤ笑っている。見ていた男子生徒にはやし立てられたが、不思議と気にはならなかった。だってこれがあの、全校の男子生徒の憧れだった朝比奈あさひなさんだからな。夢にまで見た瞬間が実現し、今このときになって俺は実感がかずぼーっとしていた。部室で朝比奈あさひなさん(大)に抱きつかれたときも、気絶した朝比奈あさひなさん(小)に寄りかかられたときも、指一本触れなかった俺が。

 俺は気が付いた。そう、この人への気持ちは憧れだったんだな。小刻みに震える朝比奈あさひなさんをなでながら、それが分かった。

「キョン、いつまで抱いてんのよ。湿っぽいのはもう終わりにしなさい」

ハッと我に返ってあわてて手を解いて、ポケットからハンカチを出して渡した。

「キョン君、ありがとう」

朝比奈あさひなさんが下を向いたままつぶやいた。

「いえいえ。こんなことしかできませんが」

俺はいつまでもガキのままだな。


「そうだわ。今日みくるちゃんの卒業パーティをしましょう」

「そんな……いいですよ、私なんかのために」

「いいからいいから。有希ゆき古泉こいずみ君は買い物についてきて。キョン、あんたは場所を確保」

「いくらなんでも急すぎんだろ!」

いや、急でもないのか。確かに言われていた。こういうときは古泉こいずみに頼んで、機関の財力でなんとかしてもらおうか。俺は新川あらかわ執事しつじもりメイドによるケイタリングを妄想した。古泉こいずみを見ると、いつでもどうぞ、と余裕のポーズを取った。こいつに頼むのもなんだかしゃくだな。

 ええと、主賓しゅひん朝比奈あさひなさん、鶴屋つるやさん、喜緑きみどりさんだな。それからSOS団の四人と、この際谷口たにぐち国木田くにきだも呼んでやる。ついでだから部長氏とコンピ研の連中も呼んでやるか。うちの妹も行くと言い出すかもしれんな。今から頼んで場所を貸してくれそうな店は……と。って、近隣の高校の卒業式が重なる当日に、団体席を確保できるような庶民しょみん的値段な店があったら教えてくれ。

「……うちでやればいい」

長門ながとが俺のそでを引いて言った。そうだな。それが手っ取り早くていい。妹をこきつかって部屋の飾り付けをさせよう。七夕みたいになるだろうが。


 まだ肌寒い季節の風が卒業生たちの髪をなびかせた。朝比奈あさひなさんがほつれた髪をなで上げた。その仕草に朝比奈あさひなさん(大)の面影を感じ、俺は思った。この二年間は彼女にとってサナギのような季節だったのだろう。やがてそれが羽化し、羽を広げ、大人の朝比奈あさひなさんになる。時空を超えて飛び回るクジャクチョウのように。

 朝比奈あさひなさんは校門で幾度も振り返りながら頭を下げた。俺たちはそのたびに手を振った。俺の心をかすめ去るように時間平面を通り過ぎていったこの小さな天使は、もう二度と戻ってこない。朝比奈あさひなさんの後姿は、季節には少し早い、ゆるやかに散っていく桜の花びらと共にゆっくりと消えていった。


END

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