五 章
「まだ寝てたほうがいいぞ。あれだけのケガだ」
「……大丈夫、八十パーセント程度は回復した。今は急を要する」
「なにをするんだ?」
「……向こうからの
そんなことが可能なのだろうか。某猫型ロボットの空間転移ドアの出現先を封じ込めるようなものだ。
「広い場所が必要ですわね」
「わたしも手伝うわ。もう、向こうには戻れないから」
このあたりで広い場所といえば、中学校のグラウンドがいちばん近い。でもあそこまで
「
「まだふらついてますが、なんとか回復したみたいです」
「そりゃよかった」
血にまみれるほどの大ケガをしてたなんてとても言えなかった。
「
「いいよ。どこ行くの?」
「中学校のグラウンドまでお願いしたんですが」
「いいけど。中に入るの?」
「ええ。広い場所がいるとかで」
「警備会社に見つからないようにしてね」
五分くらいして中学校に着いた。正門から入るのははばかられたので、脇のほうにまわってもらった。
「もしものときのために、僕はここで待機しておくよ。エンジンかけっぱなしにしておくから」
「そうですか、お手数かけます。じゃあ早速行ってきます」
人目がないことを確かめて忍び込み、グラウンドに向かった。三人は協力して大きな絵文字を描いた。俺は
それから三人は絵文字の上に立った。互いに三十メートルくらい離れ、正三角形の頂点にそれぞれがいる。やがてタイミングを合わせたように同時に右手を上げた。俺から近い位置にいる
三人の右手から、地表に沿って緑色のレーザーのようなものがまっすぐに伸びた。正三角形の中心で交差している。それから三人の腕が少しずつ角度を上げてゆき、緑色の光はピラミッド状に持ち上がった。レーザーは
それで作業は終わったらしく、二人が
「済んだのか」
「……終わった。百五十パーセク程度はこのシールドで守られる」
それがどれくらいの距離なのか俺には見当もつかないが。
俺たちはお屋敷に戻った。
「順調にいきましたか。こちらからも緑色の光が見えましたが」
「ああ。この三人が地球を守ってくれてる」
「……彼らが転移しようとしている」
夜空に、白く光る線が流れて
「こっちの
いくつもの流れる白い線は、まるで闇の中からこっちの様子をうかがっているようだった。その線の先の、見えない向こう側の世界にあいつらがいるのだということを考えると背筋が寒くなった。
「あれ、なにかしら」
後ろで声がした。しまった、ハルヒに見られた。いやいや、ハルヒどころではないぞ。西宮市民、いや兵庫県民がこれを見ているだろう。昨日ハルヒが
「ふたご座の流星雨でしょう。今がちょうど時期ですから」
「へえ、
しばらく見ていたが白い線の発生は止まらない。俺はαの姿を思い出して不安にかられた。
「大丈夫なんだろうな」
「……この
じっと見守っていた
「これがどれくらい持つかしら」
「……シールドの外に転移して、空間移動でこちらに接近するまでの時間」
「それまで、あまり長くはなさそうですわ」
「……二十四時間体勢で、監視に入る」
「分かりましたわ。適度な時間で交代しましょう」
こういうとき俺ができることといえば、黙って彼女たちの邪魔をしないことくらいか。なんて自分の無力さを感じていると、
「キョン君、心配しないで。あとのことはわたしたちに任せて」
夜中に目が覚め、俺は布団を抜け出した。寝息を立てている
軽くノックして引き戸を開けてみるが、中に
「
「縁側にいますわ」
「
「……ありがとう」
湯気の立つコーヒーを差し出すと、両手で包むように受け取った。カップを渡すとき少しだけ触れた指先が冷たかった。俺は
廊下に人影が見えた。
「
「……二百四十光年のところまで来た」
「じゃあ、到着するのは二百四十年後か」
「……おそらくあと数時間。彼らはタキオンフィールドを使っている」
ええとつまり。
「光速を超えているってこと」
「接近されたら防御できるのか?」
「……分からない。相手の数による」
「ここでの
「……」
「
「……分かった」
「……」
フードの下からかすかに
俺もそのまま部屋に引き上げようとした。
「寝るの?」
「ああ。今日は疲れたからな」
「そう。おやすみなさい」
自分でも、あからさまにそっけない態度だとは分かっていた。
俺はふと台所に寄って、空いてるカップにコーヒーを注いだ。
「
「あら、気が利くのね」
自分でもなぜこんなまねをするのか分からないが、
「俺たちの
「ええ。あなたを殺そうとしたんですってね」
「ああ」
「ごめんね……」
「いいんだ。お前が悪いわけじゃないし」
二人とも黙り込んだ。それ以上話が続かなかった。
「αってどんなやつなんだ?」
「そうね。人間的に言えば、好奇心
「
好奇心はあるのかもしれないが、石橋を叩いて渡るほうだろう。
「むかし
「無茶なやつだ。かっこつけすぎたんだろう」
「そうね。αはずっとみんなに頼られる存在だった。誰かに助けを求めるってことがなかったわ」
「だろうな。自己主張が強すぎると思う」
「
誰のことだろう。
「キョン君、起きて、
夜が明ける前、
「
「彼女とひとりで戦うつもりなの」
俺は上着を着て離れに向かった。
「
「……彼女と、対決する」
「ひとりで戦えるのか」
「……わたしならαを止められる」
「勝算はあるのか」
「……説得に応じなければ戦う。最悪でも
「
「わたしと彼女は同じエネルギーから生まれた、粒子と
「
「
「わたしの使命は、あなたと
「じゃあ俺も連れて行け」
「……それはできない。負ければ、死ぬ」
「たとえそうでも、俺はお前をひとりにしたりしない」
俺は
「俺は約束を守るぞ」
「……分かった」
「わたしも同行しますわ」
「……彼女には、あなたの保護を頼む」
もしや、俺が無理についていくといったばっかりに
「そんなに気負うことはありませんわ。相手が多いようですし、わたしもいたほうがいいと思います」
そのほうが
「わたしはどうすればいいかしら」
「……あなたはここにいて。
「そう……、分かったわ」
「
「
「……
つまりハルヒのイライラを待つってことか。俺がちょっとおいたして怒らせてみようかなどと考えたのだが、殺されかねんのでやめとこう。
「今こっちに接近してるあいつらはどうするんだ」
「……彼らがこっちに現れる前の時間平面に
時間差で先手を打つわけだな。
その前に関係者を集めて状況を説明しておかなければならない。俺は
「
まさか決闘に行くとは言えなかったが。
「なぜ人間であるあなたが同行するんです?」
俺は答えに詰まった。
「
適当にごまかした俺だったが、
「分かりました。絶対に死なないでください」
俺がそう簡単に死ぬもんか。だてにハルヒに付き合ってるわけじゃないぞ。
「
「分かった。どうも誰かに作品を書き換えられているような、妙な感覚はするんだけど」
「キョン君、無理しないでくださいね」
「大丈夫ですよ、
うるうるした目で俺を見つめていた
ここでハルヒに別れの
「ハルヒ、風邪ひくなよな」
「なによそれ。まるであたしが風邪をひかないみたいじゃないの」
い、いやそういう意味じゃないんだが。俺たちがこれからやろうとしている狂気じみた行動を知ってか知らずか、ハルヒのひと言が重く響いた。
「キョン、あんまり無茶しちゃだめよ。生きててモノダネだからね」
それから数時間、待機状態が続いた。
「そんなに張り詰めていては体に悪いですよ。休んでいてください、
「すまんな。じゃあ寝るわ」
ようやく俺がうとうとしはじめたところへ
「……これより決行する」
「
「僕たちがよく知っている場所ですよ」
「じゃあ行ってきます。
「分かりました……。キョン君、無事帰ってきてね」
消え入りそうなくらい小さな声が聞こえた。かわいそうに、今まで泣いていたのだろう。目が真っ赤だ。大丈夫ですよ。今までだってなんとかなってきたじゃないですか。
「幸運を」
タクシーで高速道路を飛ばした。いつかと同じように景色が後ろに流れてゆき、車の波に運ばれた。俺の横に乗っているのは
俺たちは大阪駅前に到着した。この場所はかつて俺が
「……はじめる」
俺はてっきり、このまま歩いて入り込むのかと思っていた。だがこれから行くのは
「ここは?」
「……
「誰もいないのか」
俺がそういい終わらないうちに、地響きのような音が聞こえてきた。音が震動に変わり、雨に濡れ
「そっちから再び現れるとはご苦労だな」
「……交渉、決着に来た」
「いまさらなにを交渉するのだ」
「……わたしの世界で共存して。それなりの地位を保証する」
「笑わせるでない。お前の世界でお客様として暮らせというのか」
「……客人ではない。あなたは、わたしたちの家族」
「いまさら虫が良すぎる。わたしを見捨てたのはお前たちだぞ」
「……わたしたちはあなたの帰りを四億年待っていた。そして今も待っている」
「わたしの家族は、今やこいつらだ」
「……なぜ、この世界に
「これがわたし自身の作った世界だからだ」
俺にはお前が哀れな
「そいつは何だ、なぜ連れてきた。お前のペットか」αが俺を見て言った。
「俺がペットだとぉ、この野郎」俺はコブシを握った。
「……」
「……この世界に、未来はない」
「では、お前の未来を奪うしかない」
「この中にいてくださいね」
オレンジの球体が散弾のようにいくつも分離した。小さな球が光の
それを見たαが地面に手をかざし、右に、左に振りつづけている。地面からいくつもの煙が立ち昇った。
「ありゃいったいなんだ!?」
「……あれは、
気が付くと隣に
「ハルヒは死んだんじゃなかったのか」
「……そのはず。彼らはそのエネルギーの
振り向くと、もう
こんなのアリか。これに比べりゃ俺の知ってる
ほかの
二人が戦っているまわりでわらわらと
一体が青い球体を手中に捕らえた。オレンジの球体がその
俺が心配して見ていると、地面を
「キョン君、大丈夫?」
「俺より、二人とも大丈夫なんですか」
「ええ。大丈夫だと思いますわ、たぶん」
「
「俺もです。
「たぶん、あなたの存在がそうさせているのだと思いますわ」
「え……」
その意味を考えようとしたが、眼下で起こっていることが俺の思考を制した。今の爆風で消えたはずの
青い球体の
その時だ。熱気が湧き上がるクレーターの中心に、青いスクリーンのような物体が現れた。半透明な青がときどき緑や黄色に変化していたが、やがて人の形をしたものがゆっくりと立ち上がった。俺の知る、青い
「あれ、
「あれは
「俺たちのハルヒのですか?」
「ええ。次元を超えているようです」
俺たちのハルヒが、イライラの真っ最中なのか。青い
「イライラというよりも、あれは意図して動かしていますね」
ハルヒの青い
青い
どうやら勝負ついたな、などと考えていると、赤い
「抵抗するならこいつの命は保証しない」
腹の底から響くような大声が聞こえた。こいつ、αだったのか。ミシミシと音がして球の壁に
「
「……待って」
「そいつは邪魔だ」
αが青い
「……彼を、放して」
「では、わたしと融合しろ」
「……」
「……わたしが負けたら、そうする」
「よかろう」
俺を捕まえていた
「キョン君、大丈夫ですか」
「ええ。少し暑いですが。さっき消えたやつらは全員死んでしまったんですか」
「いいえ、
ハルヒにそんなことができるとは。
頭上で雷が鳴った。立ち上る煙にまじって大きな雨粒が降り始めた。シールドを解いた
「どうした。もうへたばったのか」
αがビルの前でうろうろしていると、ドンという衝撃とともに窓ガラスが割れて降り注いだ。ビル半分が折れてαの上に
「雷ごときの静電気でやられるか」
αは
「お前とわたしはひとつだった。同じ記憶、同じ感情を共有した。だがなぜだ、なぜそこまで違うものに変わった」
αは
「……あなたと共に生まれたわたしは、あなたとは違う時間を過ごし、違うものを得た」
「体は二つだったが心はひとつだった。なぜ自分を捨てたのだ」
「……自分だけの未来を切り開く。これが、本当の進化」
覚えている。
「進化などクソ喰らえだ」
αは叫んで、血の混じった唾を吐き捨てた。αは両手を合わせて紫色の球体を発生させた。その中に入るのではなく、球体をそのまま
αは傾いた道路の上に舞い降り、
「き、
「大丈夫。生きてます」
地響きとともに道路の塊が震えだした。何百トンもありそうな
αは
αは倒れている
「もう一度聞く。情報融合しろ」
「……断る」
「なぜ抵抗する。個体の境界線など無意味だ。わたしたちは元々ひとつだったではないか」
「……今のわたしには、守るものが……ある」
「お前の負けだ」
αが手に力をこめた。
「……あなたも、道連れにする」
そのとき、周囲百キロ四方にとどろく雷のような
「あんたたち!やめなさい、今すぐ!」
俺はそこにいるはずのないものを見た。ハルヒだ。どしゃ降りの中、
「
「そうなの。もう
「キョン、全部聞いたわよ。あたしに黙って抜け駆けは許さないわ」
なんてこった。このややこしい事態に輪をかけてややこしいやつが、ことさらややこしい登場の仕方をしやがった。
「誰だ」αの声がした。
「あたしはSOS団団長、
「お前か。では、お前の持つ力を使わせてもらう」
αはハルヒに向かって人差し指を動かした。
「黙りなさい。今すぐあんたの力を消し去ることもできるんだからね」
それでもαはやめようとはしなかった。ハルヒの眉毛がぴくりと動いた。
──なにも起こらない。αはもう一度、人差し指をハルヒに向けた。αは信じられないものを見るかのように自分の両手を見つめた。
「まさか……そんな。わたしの力が消えた」
「馬鹿な
「よもや世界を維持できない。ビックフリーズに
αの顔が青ざめ、
「銀河が分解しはじめたわ」
皆にその声は聞こえていたはずだった。雨の中、ずぶ濡れになるのも構わず、全員がじっとたたずんでいた。今や失われつつある世界の、その消えていく名残を確かめようとするかのように。
「終わったな」
αは肩を落とした。もう、思いつめた瞳も、厳しい表情も消えていた。
「
「……わたしたちの世界に帰って」
「分からないのか、我々の目的は
「残り三分もないわ」
「……あなたの力を、貸して」
「あたしが何をするの?」
「……両手を出して」
ハルヒは黙ったまま、指先を上に向けて両手を差し出した。
「……念じて」
ハルヒは、理解したというように軽くうなずいた。二人はゆっくりと手を離し、ハルヒは手のひらでなにかを包むように両手を合わせた。開いた両手から青白い光の球が生まれた。やがて球は光を失って少しずつ小さくなり、最後に透明になってハルヒの手の上に降りた。
ハルヒはαにそれを渡した。
「こんなことをして何になるのだ。いまや世界は終わる」
「……」
「いいえ、世界は何度でも生まれるわ。そこにあたしがいる限りね」
空が少しずつ光を失い始めた。辺りが暗闇に包まれていく。
「皆さん、早く」
「ハルヒ、急げ」
俺はハルヒの腕をつかんだ。αがハルヒに向かって叫んだ。
「
「いいのよ。あんたもあたしの
「わたしの世界はここだから残るわ。ありがとう、
「……そう。αのことを頼む」
「分かったわ」
終幕を飾るように、白く輝く球体が俺たちを包んだ。徐々に消えていく光を見つめつつ、数秒後、
「やれやれね。最初からあたしを連れて行けばよかったのよ」
「ハルヒ。あの玉、何だったんだ?」
「ああ、あれ?ただのビー玉よ」
まじか。そんなんでよかったのか。
「あのビー玉にはひとつだけ願いが入ってるのよ」
── いつの日か、あたしが生まれること。
「それで十分じゃない?」
ハルヒはそう言って笑った。
俺は晴れ渡る空を見上げた。どこか遠く、俺たちの知らない世界で、インフレーションとビッグバンが起こる。そこからたくさんの粒子が生まれ、銀河が生まれ、星たちが生まれる。限りなく広がりを続ける空間。そして九十億年ほどした頃、たぶん地球に似た惑星が生まれるんだろう。その星に最初の生命が誕生し、進化し、人になる。そこに
「ということは、ここからもうひとつの世界がはじまるわけだな」
「……そう。この世界も、そうやって生まれた」
「わたしたちの生きている時間は、もっと大きな流れのなかの一部に過ぎない」
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