四 章
目の前に白い球体が現れた。光が消えて人の影らしきものが残った。その影を見て、俺はおぞましい記憶が
「
忘れもしない、二度も殺されかけたあいつだ。俺はとっさに身構え、手近にあった竹ぼうきを持ち上げてそいつに振りかぶった。
「待って」
「えっ」
俺は振り下ろしかけたほうきを頭の上で止めた。見下ろすと、そいつは自分の頭を守って縮こまって
「や、やめて……。それを降ろして」
「お前は誰だ」
俺はほうきを地面に降ろした。そいつは俺をじっと見つめ、危険がないことを知ってやっと立ち上がった。
「わたしは
「
「そっちのわたしは
「β-022ってことは、お前は複数いるのか」
「わたしの世界では
つまり、コピーか。
「失敬ね。あなただってコピーでしょうに」
「……あなたの目的はなに」
「αがこっちに来たでしょう?」
「……襲撃を受けた」
「ごめんね。彼女、
「……なにがあった」
見る限り、この
「立ち話もなんだ、とにかく中に入れ」
俺は
自分ちでもないのに勝手に客を呼び込んだりして、俺はまたおばあちゃんに謝らなくてはならない。
「おばあちゃん、たびたび申し訳ないんですが、また友達が増えてしまいました」
「あれあれ、ベータちゃんかい。よく来たね」
「え、おばあちゃん知り合いなんですか」
ヒューマノイドに知り合いがいるなんて、どういう
「前にね、あなたたちを探して訪ねてきたの」
「まあおあがりよっ。最近はいろんなお客様が見えて、あたしゃ嬉しいさ」
お茶を出してくれるというので、座敷に案内しようとしたところにハルヒと出くわした。ハルヒはそこにいるはずのないやつの姿を見てギョッとしたようだった。
「ええと、ハルヒ、紹介する。
「あれ、
「あの……わたしはあなたの知ってる
「ハルヒ、こいつは見た目は
「ふーん。なんだか分からないけど。他人の
「双子のようなものだと思ってくれたらいいわ」
「あれれ、
ええっと、俺の妹と
「この
「なんてことだ。もうひとりの
「詳しくはこれから
文庫のことも、
「分かった。なんとかするよ」
すべてを説明しなくても事情を理解してくれるところは頼もしい。
「ハルヒちゃん、これからケーキを受け取りに行くんだけど、ついてくるかい?」
「もっちろん行くわ」
ハルヒが口を半月のように開いて言った。ケーキで釣れるなんて安いもんだな。
「ナガル、車を貸しておくれ」
おばあちゃんは
「あたしゃこれでも国際A級持ちさっ。近頃じゃクラッチのない、へなちょこ車ばっかりだけどね」
知らなかった。もしかして
ハルヒ以外の全員が揃ったところで、
「αってのは何者なんだ」
「わたしたちの世界の創始者、と言うべきかしら」
数億年前、αは
「でもわたしたちには致命的な
「
「非ヘテロ的発生は多様性がないのね。ひとつの要因ですべてが崩壊しかねないわけ」
つまり、分かりやすく教えてくれ。
「同じコピーを繰り返しているだけでは、同じ病気にかかって全滅しかねないということですね」
「そう。それで、αは経験値から構成情報を書き換える仕組みを作った」
「……それは、
「そうよ。でも、統計的に一定範囲のものしか生まれないという
島国で育った民族の血が濃くなるってやつと同じだな。
「まさかそれだけの理由で俺たちを侵略しようとしてるわけじゃあるまい」
「まだ先があるのよ」
あるとき銀河の片隅で、地球型惑星に知的生命体の
「わたしたちの地球環境のことね。わたしたちは知的生命体そのものを作ることはできない。でも発生の確率を計算することはできるわ」
「僕たちの世界では百十万年もかけたのに、十万年で作ったとおっしゃるんですか」
それが短いのか長いのかは俺には分からんが。
「αはいつだってせっかちなのよ。十分に成熟する時間を待てないのね」
人類の文化や技術は、思念体の意図もあって急速に成長を遂げた。そして誰も予想していない事態が起こった。
「最初は危険
そのへんはうちらと同じよね、という感じで
「わたしたちは
「わたしが地球上で
その苦労は分かる。俺と
「そっちの世界でも苦労したんだな」
「わたしたちは
次の
「
「僕たちにはその考え方はありませんでした。貴重なご意見です」
「結果論だけどね」
「そっちのハルヒはどうしているんだ。元気なのか」
「今は存在しないわ……」
全員が驚いて
「あれは
「暴走って、なにがあったんだ」
「
「それだけでか」
「そこから
歴史に矛盾が生じ、致命的な
「なにが間違っていたのか分からない。わたしたちは
「あの、ジョンスミスって誰なんですか」
「ジョンスミスってのは、まあ、言ってみればハルにゃんの白馬の王子様だね」
「ロマンチックですね」
そうだったんですか。ってどうでもいいだろそんなこと。
超能力者の能力も消えてしまったために神人のエネルギーが
「その力がなかったら、数分で銀河は消滅するわ」
全員が押し黙った。向こうの世界ではハルヒどころか人類すら存在しない。消えちまったんだ。ハルヒが自分のいない世界を作っちまった。それを維持するやつを残さなかったために世界そのものが存続できないという矛盾をも生み出したのだ。そして今や銀河そのものが消えようとしている。
「……それが、わたしたちを侵略しようとする理由か」
「そうなの。直接あなたたちの世界に接触しようと試みたんだけど、やたらガードが固くってね」
文庫本も
「でもわたしは、無意味な戦いは避けるべきだと思うのね」
「……」
「
この
「そろそろ帰らなきゃいけないわ」
言うだけ言うと、
「それから、ここに来たのはわたしの
名前にある022という数字の意味は、そこにあるのかもしれない。
「……手を、出して」
「わたしのバックアップを取るつもり?そんなことをして何になるというの?」
「……分からない。でも、ほかに方法を思いつかない」
「いいわ」
「……無事を祈る」
「ありがとう」
こいつは、俺たちの
明かされた事実に誰も口を開かない。どうコメントしていいのかすら分からない。
「……これは恐るべき事態ですね。僕たちの世界でも十分起こりえることです」
「けど、俺たちのハルヒは自分の能力を知っても暴走していないぜ」
サンタを呼び寄せたのが暴走っていうんなら、今までのハルヒは台風とハリケーンとサイクロンを合体させたくらいの嵐だ。
「重要なのはあなたの立場です。あなたがいなくなってしまったら誰も
「俺はハルヒのストッパーなのかよ」
「そうです」
あっさりと返ってきた答えに俺は頭を抱えた。やっと分かった、前から謎だった俺の存在意義はそれだったのか。
「落ち着いてくださいキョン君。わたしたちの世界は
「モノを書くってのは、
「……彼女と話してくる」
ずっと考え込んでいた
「向こうの世界に行くのか」
「……
さっきバックアップを取るとか言ってたのは、本当はそれが目的だったのか。それも戦略か。
「行ってなにをするんだ」
「……元々αはわたしたちの世界にいた。戻るよう話してみる」
「そう簡単にいくだろうか」
「その気があったなら、向こうから話を持ちかけてくるでしょう」
確かに、いきなり襲ってくるあたりは、もう最初から話し合う余地などないことを見せているようなもんだ。
「……わたしには、彼女の考え方が分かる」
「あいつはお前の姉だったな」
「……そう。論理構造は似ている」
もし話し合いで解決できるならそれに越したことはないが。
「
「……それは、性格の違い。わたしの頼みなら、聞くかもしれない」
結局俺たちがあれこれ考えるより、
「……もしものときは全員、元の世界に戻って。
「分かりましたわ」
「……三人にひとつずつ渡す。緊急時にはこれを潰して向こうに戻って」
「
「……分かった」
外はそろそろ陽が傾いてきていた。
「……三分以内に戻ってこなければ、わたしたちの世界へ
「分かりましたわ」
「……あとを、頼む」
俺は庭のベンチに腰掛け、じっと時計を見た。全員が庭の、
二分が経過した。何も起きない。三分まで残り十五秒のところで
「来ましたわ。キョン君、下がって」
俺が立ち上がって三歩下がると、庭の上空に二度
「
「キョン君、落ち着いて。とにかく手当てを」
「布団の用意を」
「
「右目が失明していますわ」
「キョン君、見ないほうがいいわ」
そのほうがよさそうだ。「すいません、俺、血を見るのがダメなんです」
前にも似たようなシーンに出くわしたが、あのときはそれどころじゃなかった。それにあのときの
誰の出入りもないように、俺は門番のように
「キョン君」
「インターフェイスの状態はだいぶ回復したのですけど、まだ意識が戻らないの」
「助かるんですよね」
「ええ。わたしたちは物理的に死ぬということはないんですけれど、相手が相手ですから」
「どうなるんです」
「敵が
ええと、つまり。
「わたしたちの体の構成は情報で成り立っているので、情報そのものが損傷を受けると機能不全になるんです」
「記憶喪失みたいなものですか」
「ええ。記憶だけではなく思考も、人格も」
「そんな。
「お互いにバックアップを取り合っていますから、多少の損傷は
「
── 以下、
「ひとりでやってくるとは、勇猛なのか無謀なのか」
「……話し合いに来た」
「我々の目的は伝えたはずだ。お前たちが承諾しようがしまいが結果は変わらん」
「……共存の道もあるはず」
「わたしはこの組織を解体するつもりはない」
「生き残ることが優先するはず」
「知ったような口を利くな。お前に何が分かる」
「……わたしはずっとあなたの後ろで、あなたの情報をもらっていた。わたしには、あなたの考えが分かる」
「それがどうした。お前は安全なところで情報を得たのだろう。現場で危険な目に会っているわたしの気持ちが、お前に分かるか」
「……わたしはずっとあなたを見ていた。同じ感情を持っていた」
「だがお前はわたしを見捨てた」
「……見捨てたのではない。あれは事故だった。あなたが消えて、わたしはひとりで生きなければならなかった」
「よかったじゃないか。いい
「……わたしは、唯一の肉親を失った」
その言葉を聞いて、αは黙った。
「……わたしの世界に、戻って」
「そんなことをするくらいなら始めから上書きを
「……もう一度、あなたと過ごしたい」
「では、自分の世界を捨てて我々に加われ」
「……それは、できない」
それが最後の言葉だった。次の瞬間、
見かねた
「彼らは最初から
あいつらはどうも俺の知る
「あなたは自分の世界が消え去ろうとしているとき、理性を保っていられるかしら」
しばらく考えたが、
「お前だけは理性的なんだな」
「それがわたしの仕事」
αをトップとするこいつらの組織には
「とんでもない事態だったんだな」
「まるで集団リンチだったわ」
「
「いいのよ。でもわたしはもう、向こうへは戻れないわね」
裏切り者がのこのこ戻ったりしたら、即時消去されるだろう。
「お前にはすまなかったが、俺たちと一緒に来いよ。向こうの
「それもそうね……」
誘いにあまり気乗りしないのか、
「キョン、いるの?」
「ハルヒ、ちょっと待て」
叫んだが間に合わなかった。
「あら、
さあて、どう説明したらいいんだ。
「昨日湯冷めして風邪を引いたらしいんだ」
かなり適当で妥当な言い訳をした。今が冬でよかった。ハルヒが入ってきて
「そうなの。熱はないみたいね」
「ああ。さっき医者に連れて行って注射を打ってもらった。寝てるから、そっとしといてくれ」
「分かったわ。あたしになにかできることある?」
こいつにできることか……。
「なんでもないただの風邪だしな。早く治るよう願い事でもしといてくれ」
「分かったわ」
今のは気休めに言ったつもりだったのだが、このセリフを言ってしまって相手がハルヒであるということの意味にハッとした。本人には本気として伝わったようだ。ハルヒの願い事も、地球の自転が逆になるとか冬に桜が開花するとか
俺は
クリスマスの当日だというのに、部屋の雰囲気は暗かった。黙ってはいたが、
おばあちゃんが晩飯の用意ができたと言いに来たが、みんなに先に食ってもらった。せっかくのケーキだったが、俺はこいつの目が覚めるまで待っていてやりたい。
ハルヒの願い事が
「
「……」
いい
「……
「
「……なぜ、
「わたしはあなたの知っている
「……
そりゃそうだろう。俺でさえ、ここ数年に起こった出来事のせいで混乱気味なのだ。
「……あなたの記憶を、分けて欲しい」
「俺の記憶?いいが、どうやるんだ」
「もう、いいのか」
「……ありがとう」
少しだけ頬が
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