三 章
その日の午後、ハルヒは俺の知らない間に
俺たちは喫茶ドリームに向かい、
「まったくといっていいほど似てますね」
「それは分かっていますが、なんとなく不思議というか、別の意味で違和感を感じてしまうというか」
言いたいことは分かる。見た目はよく知ってる街のはずが、どこか違っていてどうしても自分が住んでる街だとは思いがたい何か。
「こっちの世界では時間移動する人はいないんですか?」
「どうでしょうね。ひょっとしたらいるかもしれませんが、
「時間移動はどの世界でも
「なんでしたら未来に行かれてみては。時間移動管理局なる
「そうですね……。いえ、やっぱりやめておきます。未来のことは知らないほうがいいです」
こういうところは
「あとで
あそこは
「いいですよ。
路地を歩いていてドリームが見えてきた付近で、道のまんなかに見覚えのある人影が立っていた。小柄な、制服にカーディガンを来た女子生徒。だが、どうも様子が違う。第一、
「
もしかしたら四年前の七夕の
「わたしはそのような名前ではない」
遠くからでも聞こえそうなくらい声には
「じゃあお前はいったい誰だ!?」
「わたしの名前は
そいつは俺たちを指さして宣言した。
「お前たちを上書きする」
周囲の風景がガラリと変わった。空もまわりの建物の色もペンキで塗ったようにぺったりとした灰色になった。前にも同じようなことがあったぞ。
「ほう。お前は他の二人とは違うようだな」
「
「いいえ、戦います。あなた方を守るのが僕の使命です」
かっこうつけてる場合じゃないんだよ。こいつは
「
「ここは僕に任せてください」
赤い球体となった
「
「大丈夫ですよ」
「まあ見ていてください」
そいつの両腕が
フンモッフと叫ぶ
「そんなものか。所詮は人間だな」
ニヤリと笑うそいつの表情は、とても
「
俺が言うが早いか、
「おい、いったい何が目的なんだ。俺たちをなぶり殺しにするつもりか」俺は叫んだ。
「殺すつもりはない。情報を上書きするだけだ」
「
「……」
「……あなたは、わたしの同位体か」
「やっとお出ましか。その通り、かつてはそうだった」
「……」
「思念体はお前ひとりか」
「……」
「そっちのわたしはえらく無口なのだな。もっと意思表示したほうがいいぞ」
「……」
二人の間に
「……右腕を、
「ありがとうございます。僕は大丈夫です」
「……骨折を修復する」
「……あなたの目的は、なに」
「命令する。わたしと融合しろ」
「……断る。あなたとは意思を
「では、お前を上書きする」
そのセリフと同時に
「
俺は
「逃げるってどこへですか?」
「過去へ」
「やれ」
あいつ、仲間を呼んだのか。思わぬ敵の増援に
ちょうど俺たちと
「今です!」
気が付くと、俺たちは森の中にいた。どこかで鳥がさえずっている。
「大丈夫ですか
「……問題ない」
俺は
「あいつ、追いかけてこないだろうか」
「……
「
「
「……骨の結合部が完治するまで、動かさないほうがいい」
「
「さっきの時間から二百年くらい
ということは、ええと幕末ですか。
「
「……分からない」
「あの感じだと、お前のほうが一枚上手だったように見えたが」
「……さっきのは異空間内部での、
「非侵食性、なんだって?」
「……つまり、彼女の作った異空間内にわたしが作った異空間」
「ややこしいことしたんだな」
毎度ながら、
「……でも通常空間で戦った場合、戦力は未知数。勝てないかもしれない」
「あいつ、自分を
「……彼女は、わたしの
「今はちがうのか」
「……数億年前、わたしと
それから
「……わたしは、彼女のバックアップコピー」
焚き火でもしようと
「誰かマッチかライターを持ってないか?」
「こんなことしかできませんが」
「ケガしてるのにすまんな」
自分の能力は暖房器具じゃないと言ったわりには、こういう役に立つことが嬉しそうだった。
燃え盛る焚き火を囲んで本来なら楽しいビバークのはずなのだが、状況が状況だけに歌など歌いだすやつはいなかった。鳥のさえずりだけが聞こえる静かな森の中で、
「彼女とは記憶の大部分を共有している。わたしが
「思念体には個人を識別するものはないのか?」
「
いまいちよく分からんのだが。つまり、常時テレパシーで
「……二人は同じ情報構造を持つ。わたしは彼女の写し」
「理屈ではそうかもしれんが、お前はお前だ。俺の知る、ユニークな
「……ありがとう」
自分の説明がやや足りないと思ったのか、
「……人間的に表現するなら、彼女は双子の姉のようなもの」
──
『いつまでも、このままでいよう』
そう誓い合った。わたしたちは同じ記憶を持ち、同じ経験をし、同じ感情を共有した。
── わたしと彼女が探査に向かったとき、彼女は
『エージェントごときに新世界への第一歩を奪われたくない』
自ら飛び込み、そして断層が消え、彼女は二度と戻らなかった。
「……それから数億年が経った。わたしも同行するべきだったのか、今でも分からない」
「そうか……。お前は一度、身内を失ったんだな」
「でもなぜ俺たちを襲う必要があるんだ」
「……おそらく、侵略が目的」
「俺たちの世界をか」
「……そう」
宇宙規模の乗っ取りか。またスケールのでかい話になってきたな。
「最初から明らかに敵意を持って接触してきたようですが、あの文庫本はやっぱり罠だったのでしょうか」
「……今や確実にそうなった。出方によっては、思念体同士の争いになりかねない」
「
「……そうなると地球上にも被害が及ぶ」
俺は銀河に広がる、飛び交う火の玉、星の爆発を思い浮かべた。こいつらがまともに戦ったら地球クラスの惑星なんぞ、ひとたまりもあるまい。
「俺たちの世界も守りを固めるべきなんじゃないか」
「……思念体が安易に戦いを仕掛けるとも思えない。わたしたちの歴史にはいくつもの戦争があり、互いに何のメリットもないことを理解しているはず」
戦争にはあんまりメリットデメリットみたいな論理的な考え方はないと思うぞ。人間は未だに戦争してるしな。それが終わるたびに、今度こそは平和な世界を、と宣言するんだ。
「……それも、一理」
「それで、どうするんだ」
「……わたしひとりでは手に負えない」
「それ、なんだ?」
「……
来る前に捕まえていたあれか。ずいぶんコンパクトになったんだな。あれからテクノロジーも進んだと見える。
「……
「ここから呼べるのか」
「……時空の座標と
「皆さん、こんにちわ」
「お忙しいところ呼び立ててすいません」
呼び出すのがこういう非常時ばかりで申し訳ない気がする。
「皆さんお疲れでしょう。お茶を用意しましたわ」
見ると、
「わぁ、ありがとうございます。おなかすいてたんです」
それまでその辺の切り株やら石に座っていた全員は、
「静かないいところですわね」
この状況だ、そうですねとは誰も言わなかったが。日本画に出てきそうなヤマトナデシコ的
「お口に合うかどうか……」
これ、お手製だったんですか。一口で食っちゃいました、味わって食べればよかったのにもったいない。
「お茶、まだありますから」
「わざわざ用意して持ってきてくださったんですね。ありがとうございます」
「戦いの前には、まず腹ごしらえですからね」
「さて、今後のことですが」
全員が
「まず、先方の意図を正確に見極める必要があります。交渉の余地があるのか、救援を欲しているのか、あるいは単に侵略が目的なのか」
「それから、できるだけ目立つ行動は控えてください。
二人は黙ってうなずいた。
「それからキョン君。あなたは
それができれば苦労はないんですが、と言いかけたが、
「では、いったん元の時間に戻りましょう」
「……分かった。三人とも、手を出して」
俺たちはインフルエンザの予防接種を受ける小学生のように並んで左腕を差し出した。
「うわ、なんですかこれ」
俺と
「……
「彼女からは見えないってことですか」
「
ということは
「では、
「あ、はいはい」
「元の時間から十五分後にお願いします。それからすぐ、その十分前に戻ります」
「はい?二回移動するんですか?」
「ええ。お願いします」
全員が
映像が止まり、俺たちはドリーム前に現れた。それからすぐコマ送りのように映像が動いて、再び止まった。十分前くらいだからほとんど何も変わりはない。
「皆さん、下がっていてください」
なにが起るのかと俺たちはあとずさった。
それから二十分くらい過ぎたとき、突然白い光が
「死んだのか」ふと口をついて出た。
「いいえ。逃げられましたわ」
「……ダメージは、与えたはず」
つまり、元の時間から十五分後に到着した俺たちはフェイントだったのだ。あいつがそれを検知してここに来たときには俺たちは十分前の過去に飛んでいる。そして十分の間に用意していた
「次からは、いきなり現れて襲ってくることはないでしょう」
やれやれ、この二人がいなかったらどうなっていたことか。俺は
「あれ。ってことは、あいつはこの時間軸にはいないんですか」
十分前に飛んだとき現れなかったということは、それより過去にいなかったということで、そうなるよな。
「ええ。こことは別の次元から来ているようですわ」
もうひとつ、別の世界ですか。そこに時間もからめて、またややこしい。
「……周辺分子の構成情報を修正する」
俺たちはとぼとぼと、徒歩で
「あれっ、あれなんでしょう?」
お屋敷が見えてきたところで
門を入ると、この時期よく見かける腹の出た赤服爺さんが立っていた。どっかのデパートからやってきたバイトのあんちゃんにしては年季が入りすぎている。このモフモフ動いている白いヒゲは本物じゃないのか。
「とうとうやりましたね」
「おいハルヒ、なんでサンタクロースがいるんだ」
「あんたまさか、サンタクロースの存在を疑ってるの」
ハルヒは俺を信じられないといった目で見た。
「いや俺が言ってるのはそういう問題じゃなくてだな」
ハルヒは満面の笑顔を浮かべてサンタクロースの腕を取った。
「見て見て本物のサンタよ、国際サンタクロース協会のシニアサンタクロースよ」
「わざわざグリーンランドから呼び寄せたのか!」
「何固いこと言ってるの、クリスマスでしょ」
「だからって
「なによ、ちょっと願い事をしてみただけでしょ」
ヒゲ面の赤服じいさんはイライラと足を踏み鳴らしている。このクソ忙しい時に呼び立てやがってと、額に油性マジックで書いてありそうだ。
「は、ハロー。ウェルカムツー、なんだっけ、ニシノミヤ」
俺は壊れまくっている英語に、壊れまくって引きつっている愛想笑いでなんとかごまかそうとした。爺さんがなにごとか
「God dag. Mit navn er Yuki Nagato」
「なんて言ってるんだ?」
「……いきなり呼びつけられて迷惑している、と」
「すまんが、かわりに謝っておいてくれ」
「……年に一度のイベントで忙しいのに、八時間を無駄にした、と」
どうやらタダで帰すわけにはいかないようだ。このイライラのまま帰して日本のイメージが悪くなりでもしたら、子供たちにプレゼントをくれないかもしれない。
「部屋に案内してくれ。お茶でも出してもらうから」
俺は先に屋敷に入っておばあちゃんを呼んだ。
「おばあちゃん、申し訳ないんですが緊急にお客様が見えました」
「へえ、誰だい?」
「おばあちゃんもよく知ってる人です」
帽子を脱ぐと意外にも背の高い赤服爺さんが、ブーツを脱いで入ってきた。
「おんやまあ!」おばあちゃんが
「コンニーチワ」
おばあちゃんの手をとってうやうやしく口付けをした。このサンタ、日本語の
「この人って本物なのかい?」
「ええ。グリーンランドから来た本物のサンタクロースです」
「そいつぁまた
おばあちゃんは手ぬぐいで顔を隠した。
「ハルヒ、おばあちゃんを手伝ってお茶をお出ししろ。
「分かったわよ」
「……ニコラウス氏がトナカイにエサをやってほしいと言っている」
俺は鹿の世話か。まああとのことはこいつらに頼んどこう。トナカイの気持ちなら多少は分かるかもしれない。ええっと牧草ってどこで手に入れればいいんだ。庭の芝生でも食わせとけばいいか。
ところが騒ぎはそれだけではなかった。庭のほうからなにやら動物園のような叫び声というかわめき声というか、遺伝子がうずきだしそうな原始的な鳴き声がする。いや、していたというべきか、サンタの襲来のせいでそれどころではなかったのだ。庭に行ってみるとそこには
屋敷の前に車が止まった。
「
二、三度
「こんな
そりゃそうだ。絶滅種ばかりの動物園なんて、世界中どこを探してもあるまい。そもそも生きていたら絶滅種とは言わん。
「キョン君、こいつらの名前言えるかい?」
自慢じゃありませんが、小学生の頃に古代生物の図鑑を暗記するくらい読みましたから。
「あれれ、
松の木の枝にとまっている、鳥みたいなトカゲもどきみたいなやつがいた。噛みつかれないよう気をつけてくださいよ。そいつは小さいけど鋭い歯と
「
俺は台所にいた二人を呼んだ。
「
「お手数なんですが、こいつらを元の時空に戻してもらえませんか」
「おやすい御用ですわ」
ニコラウス氏は
「いろいろ試してたんだけど、ひとつだけかなわない願いがあるのよね……なぜかしら」
ハルヒがブツブツ言っていた。そんなことは俺の知ったことじゃない。お前、魔法はやたら使うもんじゃないとか説教垂れてなかったか。
「ハルヒ、願い事をするときは前もって相談しろ」
「なんであんたにそんなことを言われなくちゃならないのよ」
「お前の尻拭いで三人が苦労するのが目に見えてるからだ」
つい、言ってしまった。率直に言いすぎたかと思ってハルヒを見た。
「分かったわよ……」
今回だけはおとなしく納得したようだった。まあハルヒが本当に望むなら、俺なんかに相談したりしないで独走するだろうが。
サンタと
俺は誰にも聞こえないところまで
「今ちょっとややこしい事態なんです」
「だろうね。考古学者が見たら卒倒しそうだ」
「ハルヒはなんとかなるんですが、もうひとりの
「もしかして
「異次元、らしいです。別世界の
「なんてことだ」
「
「どう考えても友好的な接触じゃなさそうだね」
「ええ。それで
「なにか僕にできることがあるかい?警備会社を呼ぶとか
「相手が相手なんで、ふつうの防護策は効かないでしょう。
「それもそうだね」
「
「
「それです。ともかく、今は様子見で」
「分かった。もしものときは僕に任せたまえ」
「
「また出やがったのか。ハルヒもタイミングの悪いときに出すやつだな」
「
「あいつは今どこにいるんだ」
「離れで寝ているはずです」
昼寝かよ。昼間っからいい気なもんだな。
「おい、ハルヒ起きろ」俺は
ハルヒはコタツに潜り込んで眠っていた。肩を揺すったが起きやしない。顔にマジックでいたずら描きしてやろうか。耳を引っ張ってもう一度怒鳴った。
「ハルヒ、火事だぞ」
「うーん……消えたら教えて……」
「頼むから起きてくれ」
俺はハルヒの鼻をつまんだりほっぺたをつまんだりしていた。結構楽しいぞ、などと思っていた俺は油断していた。ハルヒが腕を伸ばして俺の首に
「ん……ジョン……」
これ、聞き間違いだよな。
後ろから誰かに首根っこをつかまれた。
「げっ、お、おばあちゃん」
「キョンさん、眠ってる女の子においたはだめだよ。けへへっ」
俺はなにもしてませんって。むしろ襲われたのは俺のほうなんで。
「人が気持ちよく昼寝してんのに、なに騒いでんのよ」
ハルヒが目をこすりこすり起き上がった。おい、よだれ
「
「なあに
「あれです」
「あらっ、また出ちゃったのね。きっとあたしに会いたいのよ。かわいいやつだわ」
ハルヒは、まるでペットにじゃれられている飼い主みたいな面持ちで
「ハルヒ、今すぐあいつを消してくれ」
「どうしてよ。あれはあたしのよ」
「ほかのときなら止めはせん。今はどうしてもまずいんだ」
「しょうがないわね。えっと、あれ、どうやって消せばいいのかしら」
ほかの三人が考え込んだ。あれを消せるのは確かにハルヒ本人だが、どうやって消すのかまでは知らない。
「消えるよう念じてみろ」
「分かったわ」
ハルヒはこめかみに指を当てて、眉間にシワを寄せて唸った。
「うーん。どうかしら」
「消えませんね」
「もう、世話が焼けるわね」
ハルヒは部屋を出て、外にあった下駄を
「ちょっとあんた!今は都合が悪いから消えなさい」
「ねえ、あとで遊んであげるから戻りなさい」
戻るつったって、壷から出てきたわけじゃあるまいし。神人は背中を曲げてうなだれ、手を振って消えていった。青い光が四方に散った。やれやれ、今日が快晴でよかった。
「キョン、あとで謝っときなさいよね。かなり残念がっていたわよ」
そういうのは飼い主のお前がやることだろう。
俺は
「あれ、あいつに見られたよな」
あいつってのは
「……そう」
「しばらく警戒が必要ですわね」
「……区画一帯をフィールドで包む」
「これでしばらくはごまかせるはずですわ。
とりあえず安心した俺は通用門に入ろうとした。そのとき、よく知っているはずの誰かの存在感を感じて後ろを振り返った。
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