三 章
俺はひどい頭痛と
そうだった。俺は泊まるところがなくてホームレスに段ボール箱を借りたんだった。頭上では電車がひっきりなしに行き来している。俺はそろそろと箱の外に出た。寒い。震え上がってまた中に戻った。段ボール箱の中、意外に保温性があるんだな。手放せないわけだ。
俺はジャンパーを着込み、身をすくめてやっと外に出た。一晩の宿は冷蔵庫の箱だった。それを見てまた寒気がした。時計を見ると七時だった。おっさんたちはまだ寝息を立てているようだ。俺はサンちゃんの家に、その玄関らしきところからありがとうと書いたメモに千円札を
もしかしたら明日も世話になるかもしれない、などと不安と期待の入り混じった気持ちを残しつつ、その場を離れた。
俺は駅のコインロッカーに荷物を取りに行った。重たい文庫の山が入ったバックパックを取り出した。財布の中身を確かめた。残りはあと三万ちょいだ。確かに金がないと身動きが取れない。
俺は極力節約することにした。簡単に考えていたが、五万という金額はあっという間に消えてしまうだろう。このままいけば金は確実に底をつく。それまでに
背伸びをしても腰が痛い。風呂にも入りたいが、この辺に安い銭湯とか健康ランドみたいな施設はないだろうか。この時間にやってるはずもないよな。二十四時間営業のネットカフェならシャワーがあるな。もう七時だから十八才未満でもかまわんだろう、ついでに飯も食おう。
俺は六時間パック料金を払い、とりあえず昼まではここで過ごすことにした。まだ眠い。シャワーのお湯はややぬるいが、ホコリと排気ガスにまみれた俺にとっては天使の水がめから流れ落ちる滝だった。
ほんとはブースとかフラットシートでゆっくりしたかったが、料金が安いオープン席にした。パソコンの前に座り、ヘッドホンをかけて音量をミュートにし、そのまま腕を組んで眠り込んだ。画面にはスクリーンセーバが写っているだけだった。
「── お客様、お客様」
店員に起こされた。
「そろそろお時間ですが、延長なさいますか?」
ああ、もうそんな時間か。俺は口から垂れていたよだれを
六時間もこの姿勢でよく眠れたもんだ。立ち上がって背伸びをした。夢さえも見なかったようだ。朝飯を食うのを忘れていたせいか、心地よい空腹感を感じた。ちょうど一時だ。飯を食ってサイン会場に向かおう。
昨日訪れた書店に向かった。エスカレータを降りてすぐ、もう人だかりが出来ているのが見えた。
女子学生やら、見るからにアニオタ少年やら、中年のオバさんやらに混じって耐えること耐えること小一時間。二時十五分ごろ、行列にようやく動きがあった。前のほうで拍手が沸いたので、先生とやらが登場したのだろう。
ポップやら登りやらが取り囲む中で、テーブルについた中年の(おっさんと言っちゃ失礼かもしれないが)
テーブルには文庫が平積みしてあった。そこには俺が持っている十三巻はなかった。行列も
「
「そうです」
「サインお願いします」俺はバックパックから昨日買った文庫を取り出した。
「はい、お宛名は?」
「キョンです」
「え?キョン君?」ウケを狙ったわけじゃないんだが、
それから俺はバックパックから例の文庫本を出して見せた。
「ちょっとこれのことで内々にお話したいことが」
「……」
「十五分ほど時間取っていただけませんか。重要なんです」
「あそう。……じゃあ、五時ごろマルビルのスタバで会えるかな?」
「分かりました。じゃあ五時に」
俺は礼を言ってその場を離れた。
ええと、マルビルってどっちだ。
俺はそれからの小二時間を一杯のチャイラテで過ごした。こないだまとめ買いしたハルヒの文庫本を読みつづけた。これに書いてあることは、すべて事実だ。俺にもよく分からんのだが、ここまで忠実に表現できるのは、
店員がチラチラとこっちを見るので、チャイラテをもう一杯頼もうかどうしようかと考えていたら、腕時計が五時を回った。しばらくして
「お忙しいところすいません」
「いやいや、かまわないよ。今日はもう一仕事終えたから」
「ああ、これは昨日買い集めたんです。見せたいのはこっちのほうです」
十三巻を取り出した。
「日付を見てもらえますか」
「これ、一年後だね。同人がネタで作ったの?」
「そうじゃありません。実物だと思います。未来から送られてきた」“未来”というところをわざと強調した。
「それに、発行が
同人サークルは出版社を
俺は自分のいた世界のことを話した。SOS団、ハルヒ、その周辺。
「驚かれるかもしれませんが、あなたの書いた小説は俺の身に実際にあったことなんです」
「キミの話だと、まるで僕の本から出てきたような印象を受けるが……」
「そうとも言えます。よく分かりませんが、あなたの作った世界は実在するんです」
「よくわからん……というより信じられん。最近は成りきりキャラみたいな人が多いんでね。コスプレとか声真似とか」
「ええ。俺も昨日、アニメオタクと間違われました」
「なにか確信を得られるようなものはあるかな?証拠というか」
「証拠ですか……向こうでの俺の記憶くらいでしょうかね」
「キミの本名は?本編には書いてないんで誰も知らないはずだが」
俺は自分の名前を告げた。
「……」
「全部、とりあえず保留でいいかな。別世界とか、この存在しないはずの十三巻とか」
前に似たようなセリフを誰かに言った覚えがあるな。
「ええ。俺はその、なにか特殊な能力があるわけじゃなくて、ふつーにその辺にいる高校生と同じですから」
「それを聞いて安心した」
「このシリーズのストーリーはどうやって思いついたんですか?」
「四、五年前だったか、新聞記事にとある事件が載っていてそれで
「とある事件といいますと」
「地元の中学校のグラウンドに謎の地上絵が出現した」
俺の髪の毛がピクリと動いた。
「記事によれば子供のいたずらだろうってことで、結局犯人は分からなかったらしいんだが。それが子供が描いたにしちゃえらく精密に描かれていてね」
「その絵ってもしかしてこれですか」俺は十三巻の
「そうそう、それ。アニメにも出てたよね」
「ちょうどこの
「そんなことが起るとは……」
もうここまできたら、本来の目的を言うしかない。
「それで、
「それはほんとか」
「
「うーん……ファンの女の子は多いし、イベントでもコスプレしてる子が多いし。もしそんな子が接触してきてたとしても覚えていないかもしれない」
「なにか特別なメッセージとか、手紙とか」
「どうだろうね」
俺が
「
「ちょっと考えさせてもらっていいかな。調べたいこともある」
「明日また会えますか?」
「明日は三時から一時間くらいまでなら時間取れるよ」
「じゃあまた明日ここに来ます」
「一応連絡先を教えてくれないか」
「ええと、今こっちの世界では連絡手段が何もなくて。俺の携帯も使えないんです」
「え、じゃあ今どこに住んでるの?」
「住んでるところはありません。カプセルホテルやらネットカフェやらをはしごしてます」
さすがに
「そりゃ体壊すよキミ……」
「ええ。でも身寄りもありませんし」
「なんとかしてやりたいけど、……キミさえよければうちの客間に泊まってもらってもかまわないが」
願ったりだ。もうあの段ボールで寝たときの腰の痛さときたら。
「ほ、ほんとですか。助かります」
もうがっついていた、俺。このときほど人の親切が身に
「とりあえず、うちに行こう。うちというか、僕の祖母の家なんだけどね」
「
「そうだよ。北高出身だし」
「え……北高ってこっちにも実在するんですか?」
「いちおうモデルになったのはある。僕が通ってたのは、ふた昔くらい前だから若干雰囲気違うけど」
「じゃあこの小説に出てくる建物やら、街はみんな実在する?」
「するよ」
「知りませんでした。昨日、思い当たる節があって図書館と
「そう。あの辺はファンがよく観光してるらしいね」
「うわ……それでですか」
「なにかあったのかい?」
「実は、
「アニメがヒットして、住民はえらく迷惑してるだろうね。あのマンション、現物が分からないように絵の位置を変えたりはしたんだけど」
「これじゃうかつに探して回れないですね」
「あの辺はうろうろしないほうがいいかもねえ」
しかしまあ、俺とこの世界との接点が見えてきて、ちょっと安心した。
一時間くらいしてタクシーが止まった。
「着いたよ」
俺はドアから降りた。
「こっちだ」
「こ……これ、もしかして
「ああ、そうそう。
あれと同じ
「もしかして
「さあ、それはどうかな」
重たい玄関の戸を開けて中に案内された。
「ばあちゃん!ばあちゃんいるかい?」
和服に身を包んだ小柄なおばあちゃんが、しゃなりしゃなりと出てきた。
「おやまあ珍しいじゃないか、お友達かい?上がっとくれっ」
な、なんか微妙に
「観光に来た友達のキョン君なんだけど、今日、泊めてもらえる?」
「いいともさ。ささ、奥にお上がり。お湯もたんっと沸いてるさね」
俺はおばあちゃんに向かって、すいませんお邪魔しますと言って靴を脱いだ。廊下を進むと木と
「キョンさんは、」おばあちゃんがふと振り向いて言った。
「スモークチーズは好きかい?」
もう笑うしかなかった。
二十帖くらいはありそうなお
「あの、離れってあるんですか?」
「
「ちょっと、落ち着かなくて」まるで
茶室みたいなこじんまりした造りの、離れに案内された。
「
「うん。わりと
「へえ」
「先に風呂を案内するから、来て」
風呂ですか、ありがたい。
「残念ながら風呂だけはステンレスなんだ。
そうなんですか。
「お湯がぬるかったら蛇口ひねれば出るから。あと、
まったくかたじけない。
突然現れてあっちの世界から来ましたなんて延々電波なことを言ったあげく、泊まるところがないからと上がり込んだりして、風呂まで借りて、俺ってなんて図々しいんだ。
大人四人が楽に入れそうな浴槽に浸かりながら、俺は体の疲れをほぐした。今日はネットカフェで寝ていただけで、たいしたことはしてないが、
渡された
浴室を出ると、おばあちゃんがそのままじゃ風邪を引くだろうからと
食堂に呼ばれて中に入ると先に
「若い人が好むようなものは、ないんだけどね」
いえいえ、ファーストフードで飢えをしのいでいた俺には、天皇の料理番が作るほどの高級料理ですよ。
味噌汁が、うまい。おふくろには悪いが、うちの味噌汁よりうまい。そう言うとおばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
「キミの世界の話を聞かせてくれないかな。家族とか、友達とか」
そうですね、と口を開きかけてチラとおばあちゃんを見た。
「ああ、気にしないでいいよ。おばあちゃんは他人の秘密には
またしても
「
それはうらやましい。情報通ですね。
「ええと、俺の家族は親父とおふくろと、妹がひとり、これが最近マセてきて小うるさくて。あとは
この辺は
「初耳だ。その辺は僕の小説にはないね」
こういう日常的な
「キミには彼女はいないのか?」
話の展開からすると、ここでギクリとするべきなんだろうが、あいにくとそういう関係はなかった。
「それは
「そういえばそうだね」
「キミはハルヒと
答えに詰まる質問だ。
「どっちと聞かれても、そういう目で二人を見たことはないんです」
って
「なにかこう、
「
「まあ、キミには一切が分からないように話を展開させてるから、しょうがないんだけどね」
「俺の知らない水面下でそんな話が進んでたりするんですか」俺は苦笑した。
「って、あれ!?僕はまだキミが向こうの世界から来たと確信したわけじゃないんだが」
「こうやって自分の頭の中で組み立ててることを他人とまじめに会話するってのは、楽しいね。新しい発見があるかもしれない。今後の展開の参考にしよう」
なにやらメモをはじめた。
「キミが話してくれた事件もメモっとくよ」
なにやら謎めいた記号みたいなもの書いている
「これ、もしかして
「というと?」
「俺が話した内容で、
「なるほどね」ちょっと考え込んだふうだった。
「ええと、じゃあ僕がキミから話を聞いて十三巻を書くとして、キミが持ってきた十三巻を最初に書いたのは誰?」
えーと……。これは重大な問題だった。卵が先かニワトリが先か。
俺はそのセリフになぜかデジャヴを感じた。
二人で考え込んでいると、あの部室でのことを思い出した。
「あの十三巻は、読んでると話がループするんです」
「そうなのか」
「つまり、俺が読んでるシーンを読んでる俺が、それを読んでるシーンをまた俺が、」
頭痛くなってきた。
「二枚の合わせ鏡みたいで、まともに読みつづけられないんです」
「それ、作中の人物がその物語を読むパラドクスだね。似たような話はある」
「それじゃ物語が進まないですね」
「……もしかすると、そのループが次元の
「俺にはちょっと難しいです」
「つまり、二枚の鏡に写った最初の映像はどっち?終わりはどこへ?光が無限に往復する」
「……難しいですね」
「ほかにも似たような現象はある。ビデオカメラでテレビを撮ると、映像の中に映像が延々と生じる」
「三次元のループですね」
「そう。これがもっと高次元のループだとしたら、キミは渦の中に巻き込まれているということになる」
「……」
「いいアイデアだ。メモしとこう」
って、ネタだったのかよ。どうも作家の考えることは分からない。頭の中、どうなってんだろ。
そんなSFとも数学ともつかない話をしながら時は過ぎていった。十一時を回ったところで
「僕は自宅に戻るから。
「ご自宅、ここじゃないんですか」
「ここはおばあちゃんがひとりで住んでる家でね。僕は仕事場兼自宅を持ってる」
なるほど。作家ですもんね。
俺はおやすみなさいを言って
翌朝、おばあちゃんに呼ばれて食堂で朝飯を食った頃、
「よく眠れたかな」
「ええ、ありがとうございます。おかげさまでぐっすり」
「そう、僕は枕が変わると眠れないたちでね。だから
俺は石の上でも寝れそうな気がしますよ。一昨日は紙の上でしたが。
「昨日話した、例の地上絵の新聞を探しに行こう」
「どこへですか?」
「市立図書館に。あそこには過去十年分くらいの新聞があるから。
もしかしたら頼めば二十年前くらいは見せてくれるかもしれない」
なるほど、そういう探し方もあるのか。昨日は
図書館には二度目の参上だ。一昨日のことを思い出すと今でも赤面する。もしかして
パソコンの端末でマウスを動かしている。
「新聞というから古新聞が束になって積んであるのかと思いました」
「過去数年分のは全部電子化されていてね。インデックスもついてて目的の記事を探し出すのも簡単だよ」
「あったよ。これだね」
その記事のタイトルは“学校の運動場にミステリーサークル出現”だった。
「ミステリーサークルじゃなくて地上絵なんだけどね」
この絵文字、
「これ、子供が描いたんじゃないかって推測してるけど。まっすぐな定規もない、見下ろす場所もない広い地面に絵を描いたことあるかい?これは測量と
もしかしてハルヒがこの世界に存在しているのか?そんなはずはあるまい。じゃあ誰だ?。
「この絵、
「どう……だろう。言われてみればそう見えなくもないけど」モノクロの荒い写真だから分かりづらいが。
「
とすれば、これを描いたのはあいつしかありえない。
俺は
── わたしは……ここにいる
これは救助要請だ。俺はうなずいた。
「これを描いたのは
「そうなのか。でもこれ、五年も前だよ」
確かに新聞の日付は五年前の十二月になっている。
「仮に、こっちと向こうの世界の時間がズレたとしたら、理屈は通りませんか」
「……うーん。どうだろうね」
五年も前にあいつがこっちに来たのだとしたら、無事に生きているかどうか不安になった。ハルヒも俺もいない世界で、目的を失って自らの情報連結を解除したりしないとも限らない。
「
「ああ、消失ね」
「俺が言うのもなんですが、
「なるほど」
「北高の文芸部の部室って存在するんですか」
「……ははあ。キミの考えていることは分かった」
俺はそこに侵入することを考えていた。
「昨日も言ったけど、当時とはずいぶん変わってるしね。一度取材に行ったけど、そのときにはもう僕が思い描いている部室はなかったね。むかし文芸部だった部室はあるけど」
「ちょっとだけ
「うーん……。いちお学校の関係者に聞いてはみるけど、期待しないほうがいいと思うよ。なんせアニメに出たもんだからピリピリしててね」
そうなんですか。
「部室でなにを探そうっていうんだい?」
「あのときと同じ本があるんじゃないかと」
「ハイペリオンかい?」
「ええ、それです」
「実はあのハードカバーが出たのは相当前の話なんだ。今は文庫しかないんじゃないかなぁ」
「だったら、なおさらです。それが存在すれば
「そうか。聞いてみとくよ。父兄の見学ってことで」
「お願いします」
記憶を
「ああそうだ、ハイペリオンならここにもあるはずだよ。探してみたかい?」
「ええ!そうだったんですか。それは気がつきませんでした」
俺はめったに来ないであろうSFのコーナーを探した。
「誰かが借りてるんだろね。
「なんですかそれ」そういやぐーぐる様もそう言ってたな。
「
なるほど。人気あるわけか。
「しょうがない。今日のところは帰ろうか」
「そうですね」
俺は先日とんでもない人違いをした棚のほうを見た。突然話し掛けられたほうも驚いただろう。俺はハルヒの文庫が入ってるかどうかを見ようと、文庫の棚の前をそろそろ歩いた。
そのとき、なぜかその本だけが目に入った。“ハイペリオン ダン・シモンズ”。とっさにページをめくった。ハラリと何かが落ち、俺は稲妻に打たれたかのような衝撃が走った。
あのときの、
「こっこっこっ」
「こけこっこー?」
「違います、これ、
俺は
「消失のときのと同じだね」谷川氏にも分かったようだ。
「ぜったいそうですよ」
「これの意味は、知ってるよね」
「わたしは、ここにいる、です」
「これが
「で、ですよね」俺はワナワナ震えていた。もう
「ちょっと来て」
谷川氏はその本を持ってカウンターに向かった。なにやら受付のお姉さんとボソボソ話したあと、俺のほうに向き直った。
「過去にこれを借りた人を調べてもらってる」それはすごい。電子戦ですね。
「この文庫本が出たのが約七年前、ハードカバーはそれより前。この本が入庫したのが三年前で、借りたのはトータルで二百人くらいだそうだ。残念ながら借りた人の名前は明かせないらしい。個人情報だからね」
ああ、こっちの世界でもその辺が厳しいんですね。
「最後に借りたのはいつか分かります?」
「二週間ほど前らしい」
……それは
「すいません」俺は受付のお姉さんに話し掛けた。
「ちょっとこの写真見ていただけませんか」俺は
「この、髪の短いほうの子、見かけませんでしたか」
お姉さんは、うーんともふーむともつかない声を出した。
「写真持ってたんだ?」
「あ、まだ見せてませんでしたね。すいません」
「これはまた美人だな。僕はアニメでしか見たことないから」
「そうなんですか」まあ当然っちゃ当然だが。アニメでないならただのコスプレだろう。
「実写版やるとしたら、まさにこんな感じだよなぁ」
実写ドラマやるのか……かなり映像に無理があるんじゃ。
俺は図々しくもお姉さんに、もしこいつが来たら俺が来たことを伝えてくれるよう頼んでおいた。
図書館で重要な手がかりを得たあと、午後には屋敷に戻った。
「東中のグラウンドを見てみたいんですが」
「中に入ってみたいかい?」
「ええ、できれば」
「教師にひとり同級生がいるから、聞いてみよう」
谷川氏は電話でしばし世間話をしたあと、グラウンドを見てみたいんだが、と切り出した。
「四時頃ならいいらしい」
「ありがたい」
「とはいっても、ただのモデルだからね。名前は違うし、見た目も若干も違うけど」
あの場所は忘れようにも忘れられない。ハルヒが俺とはじめて出合った場所だ。過去の七夕には
谷川氏の車で中学校まで乗りつけた。谷川氏の同級生という男性教師が迎えてくれた。
「ここも舞台になってるんだけど、北高ほどは知られてないんだよね」
作中の東中は若干位置がわかりづらいらしい。
谷川氏と俺は校舎から出てネット越しに運動場を眺めた。
「最近は関係者以外は中には入れないけど。むかしはよくここで遊んだよ」
確かに広い。昼間見るのは、はじめてだ。
「こんな広いところによく地上絵を描いたな」実際は向こうの世界のここだが。
「地上絵を描くのって意外に難しいんだ」
「ハルヒの頭の中では文字すべての線の長さと角度が計算されてたんですね」
「ハルヒは数学が得意だからね」
「よく知ってますね」
「そりゃまあ、僕が生みの親だし」
もっともだ。
冷たい風が吹きぬけた。俺は
中学生のハルヒは奇妙なことばかり繰り返していたらしい。
俺が探さないといけないのは、ハルヒとの接点じゃなかった。俺と
この屋敷にやっかいになって三日が経とうとしている。翌朝、
「北高の見学、聞いてみたけどね、やっぱり無理らしい。今ちょうど受験シーズンで、先生も生徒もピリピリしてるから、年が明けてからにしてくれってことらしい」
「そうですか」予想はしていたが。年明けまではとても持ち越せない。
まあ俺が中に入れないってことは
ハルヒが超監督で撮った映画の舞台を追ってみた。
同じだ。何も変わりがない。こういう自然の風景にはさほど違和感を感じない。感じるのは人工の建物だけなのかもしれない。
そういえば俺の自宅はいったいどうなってるんだろう?昨日からずっと考えていた。俺の知らないところで、俺を除いた俺の家族がそのまんま別の人生を過ごしているんだろうか?それとも家そのものがないんだろうか。
俺は自宅近くまで行って、そこから通学路を
後ろに過ぎてゆくのは見慣れた景色だった。風景だけが同じ、そこにいる人間は誰も知らない。猫は飼い主よりも場所に
時間と空間は同じ、と
俺は携帯をいじるふりをして、その場に自転車を止めた。家の様子を見ていると、ドアが開いて誰かが出てきた。まったく知らないオバさんだった。あわてて目をそらす。
俺は頭を振り払ってその思いを消した。住んでる人は違うのに、なぜあの家はあんなに似通ってるんだろうか。それだけが疑問として消えなかった。
そこから駅に向けて自転車をこいだ。制服を着ていないのがなんだか違和感を感じる。
いつもはここで自転車を止めるんだが、今日はそのまま乗って坂道を登った。
この坂の
途中、短大と私立の進学校の前を通った。似ているっちゃ似ている。名前は違うんだが。この微妙な、心理的な部分で納得がいかない類似が俺を不安にさせた。
さらに坂を登り、北高らしき建物にたどり着いた。よくよく見ると名前が西宮北高になっちまってる。正門には生徒がいたので俺はそのまま通り過ぎて、坂を登りつづけた。制服が違うな。敷地をぐるっと回って西門まで行こう。俺の予測が正しければ、そっちのほうが人は少ないはず。途中で見上げると、部室棟らしき校舎が見えた。あれか。俺たちの文芸部部室がどうなっているのか、ここからでは分からなかった。
今すぐ校舎の階段を駆け上って、あの部屋のドアを叩いてみたい
結局、歩道橋の交差点まで登ってそこから南西に坂道を下る。西側からは校舎の
俺は来た道は戻らず、坂道をそのまま下り、回り道をして
ひとつだけ忘れていた場所があった。
あんときの俺は俗っぽい生活の
部屋の一角に、時間ごと冷凍保存した俺を三年間待ちつづけていた。
── ただ待っているだけの人生なんて嫌
そう言いたかったんじゃないか。
俺はベンチに座り、
気が付くと四時を過ぎていた。だいぶ冷え込んできたので駅近くのコンビニへ行った。俺はホットのお茶をレジに置いた。
ものはついでだ、俺は店員に尋ねた。
「すいません。実は人を探してるんですが、ちょっと写真見てもらえないでしょうか」
レジの若い店員は珍しいものを見るように俺を見た。
「え……人探しですか」
俺は
「身長は俺より低い、小柄な子です。名前は
店員は
「店長、これ、前ここで働いてた子じゃないっすかね?」なんですとぁ!!?
「どれ……。どうだろ。覚えてないなぁ」初老のおっさんが出てきて写真を見た。
「ほら、例の、三年くらい前の事件」
「ああ、あの子か、思い出した。確か名前は田中とかじゃなかったかな」頭に乗っていた老眼鏡をかけなおした。
「ええと、田中は母親の
とっさに口からでまかせを言ったが、我ながらもっともらしい嘘だったと思う。
「ああ。思い出した。セーラー服で突然やってきて、ここで働かせてくれと言った。やたら無口な子でね。まあ連絡先はちゃんとしてたし、まじめな子っぽかったんで雇ったんだけど。ワケアリみたいなんで詳しくは聞かなかったけどね」
「いつごろですか」
「働き出したのは四年か五年くらい前かなあ」
「あんまり大声じゃ言えないことだけど、……三年前に強盗が入ったんですよここ」若い方が声をひそめて言った。
そのときに犯人を退治したのがその子だったらしい。
「
「かっこよかったですよね。なんか
その後、テレビやら新聞やらの取材があったのだが、ふつとかき消すようにバイトをやめたらしい。
「翌日から来なくなってしまってね。思えば、あれが原因でやめたんだ。いい子だったのに残念だった」
「今どこにいるか分かります?」
「ずいぶん前のことだからね。隣の駅くらいに住んでるとは聞いてたけど、それ以外のことは覚えてないねえ」
「そうですか。もし見かけたらこの連絡先を伝えてもらえませんか」俺は
「ああ、いいよ」
少なくとも存在だけは確認できた。三年前という遠い過去のことだが。
俺はお茶を受け取ってコンビニを出ようとした。自動ドアにバイト募集の貼り紙がしてあるのに気が付いた。俺はふと思い立って、店長と呼ばれたおっさんに尋ねた。
「すいません、これまだ募集してますか」
「ああ、いつでもしてるよ」
「自分もバイト探してまして、面接お願いしたいんですが」
「じゃ
「できれば今日お願いできないでしょうか」時間が惜しい。俺にはそれがあまり残されてない気がする。
「キミも急いでるの?じゃあ六時ごろシフト抜けるからその頃来て」
俺はその場で
駅前の証明写真ブースで顔写真を撮り、喫茶店で
写真を切るものがなにもないことに気が付いて、ウェイトレスに声をかけた。
「お姉さん、ハサミ貸して~」なんだかうちの妹みたいな口の利き方になってしまったが。
さっきの店員にどうもと頭を下げると事務所に通された。
「缶コーヒーでも飲む?」
「あ、いえ、さっき喫茶店で飲んだところなので」俺は
おっさんはうやうやしく
「高校二年生ね。学校によっちゃバイト禁止なんだけど、キミんとこは大丈夫なのかな」
「ええ。一応申請するんですが、たいていは許可がおります。
レジのほうから声がした。「店長、受け取りお願いします」
「ああ、ちょっと待っててね」おっさんが席を立った。
何通もの古い
それからの俺はおっさんとの面接も上の空、話はほとんど聞いちゃいねえ。もう、ただただ
礼もそこそこにコンビニを後にした。俺の連絡先も電話番号もどうせニセモノだ。やる気になればこっちから電話すればいい。
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