屏風の虎
山奥に位置する古い寺。
ここにいる者は日夜厳しい修行を積んでいる……がしかし、そんな中でも不真面目な者はいるようで……。
「一晩ここで己を見つめ直すがよい」
「そんなぁ和尚さまぁ~」
猫なで声を上げるも扉は閉められ、その後飛び出した舌打ちも届きはしなかった。
「糞ジジイめ」
悪態つく小坊主。昔話になぞらえて一休とあだ名がついていた。
なぜ自分が閉じ込められなければならないのか。彼には反省する気など毛頭ない。いつもの悪戯をちょっとやりすぎただけのことだ、と頭を掻き考えるのは、この格子のついた窓一つだけの小さな蔵でどう暇をつぶすか、それのみ。
……寝るに限る。
そう考えた一休はその場でゴロンと横になり目を閉じた。
しかし、今日も隙を見て昼寝したからどうも眠気がない。パッと飛び起きて何か落書きなり悪戯できるものがありはしないかと辺りを見回す。
「おっと、これは……」
部屋の隅になにやら布にくるまれたものがあった。
縄でガッシリと固定されている。と、すると見られたくないものだ。で、あるなら当然見るよな。
しめしめ、と一休は縄を取り払い、布を剥ぎ取った。
「うわ!」
一休は仰け反り尻餅をついた。
中身は屏風であった。厳つい虎の絵が描かれており、月明かりしかない薄暗い中、息づくようにこちらを睨みつけている。
一休は立ち上がり虎を見下ろす。
驚かせてくれやがって、破いてやろうか。
そう思ったが先ほど取り払った縄が目に付くと、その縄を拾い、大きく息を吸い込んだ。
「さぁさぁお殿様! それでは、虎を屏風から追い出してください! すぐに、縛ってごらんにいれてやりますよ!」
一休は昔話になぞらえてそう言うと一人笑い転げた。
「一度やってみたかったんだよな。さぁ、用済みだ。破いてやろう」
そう言いながら立ち上がった一休は屏風に目を向けた。
だが……そこに虎はいなかった。
――グルルルル
唸り声が聞こえる。
いやいや気のせいだ。そうに決まっている。
――グルルルルルル……
「ひ、ひやあああああ!」
蔵の中に木霊する悲鳴。ゆっくり振り返ると牙を剥き出しにした虎がそこにあった。
そして虎が唸り声とともに一休に飛びかかる。
――グルラララアアアア!
一休は背を向け、すぐさま柱に飛びつき猿のように登った。
元々すばしっこさに定評があるのだ。梁まで辿り着くと手汗と震えでずり落ちないよう、しっかりとしがみついた。
一体、何がどうして、夢……。
車酔いしたみたいに言葉がグルグル回りながら頭の中でぶつかり合う。
そして、一休は震える手を背中に伸ばす。何か違和感があったからだ。
湿り気……血だ! 俺の血が!
一休は手にベットリついた血を見て、ヒィと短く悲鳴を上げた。
自覚すると痛みが背中から広がってきた。まるで漏らしたかのようにやがて全身に。足は震え、歯はガチガチと鳴った。夢ではない。殺されてしまう。
上を見ながら柱の周りをグルグル回る虎。
完全に自分を獲物と見做している。牙を首筋に突き立て命を狩るまで満足することはないだろう。
朝になれば扉は開かれる。自由を求めて虎が飛び出し、誰が襲われようとも自分さえ無事ならかまわない。そうとも、朝までここにいよう。登っては来れまい。
だが、一休のその考えは甘いと言わんばかりに虎が柱に飛びかかった。
爪で木の柱が削られる音。虎はズリズリと下に落ちたがきっと何回かやればコツを掴み、あがってくるだろう。
何もない。打つ手は何も……いや、肩に何か……そう言えばさっきも違和感が……。
縄だ! そうだ! あの小芝居の時の! 慌てていたから肩に引っかかっていたのに気づかなかったのか!
それならばと本家ばりにとんちを利かせる一休。
ぽくちんちんちんっと。
閃いた一休は縄を結び輪っかを作った。
さあ、この輪に……。
虎が迫り来る。息がかかりそうな距離まで登り詰めてきていた。が、そこにはようやくかと待ち構えていた一休。
今だ!
一休は虎の首に輪をかけ、飛び降りた。梁を滑車代わりにし、自身の体重で虎の体を持ち上げる。
暴れる虎。気を抜けば一休の体のほうが持ち上がりそうだった。
虎が唸る。もがき苦しみ、なんとか柱を登ろうとする。
大丈夫だ、首は絞められている。ざまあみろ。
一休は歯を食いしばり、顔を真っ赤にしながらさらに力をこめた。
虎はやがて悶えるのをやめ、完全に動かなくなった。
「はは、ははは……」
一休は笑った。声が枯れて出なくなるまで虎を嘲笑った。
翌朝、和尚が数名の弟子と一緒に扉を開けると、思わず鼻と口をふさいだ。
首を吊った一休から漏れ出た糞便の臭いが扉が開かれると同時に解き放たれたからだ。
動揺する弟子たちに和尚は言った。
「……こやつは己の中の暴力性に殺されたのよ」
彼は自分よりも弱い、老人や女性を狙い暴行、窃盗を繰り返し行い、他の者たちと同様に更生のためにこの寺に送られたのだ。
和尚は落ちていた布に気づくと、手に取り屏風に近づいた。
彼、一休と同じように白目を剥いた虎がただ正面を見据えていた。
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