キスをして
とある神社。太陽の光で敷き詰められた白い砂利が輝いている。
池に架けられた短い橋。そこに女がひとり。その上でしゃがんで池を眺めていると、鯉が餌を欲しがっているのか口をパクパクさせながら寄り集まって来た。
「ごめんね。何も持ってないんだ」
彼女はそう言うのだが、当然言葉が通じるはずもなく、鯉たちは健気にアピールを続ける。
申し訳ない半分、どこか可愛らしく思い彼女はフフッと笑う。
良い午後だ。自然に囲まれ空気が澄んでいる。心が落ち着く。ここはそう、パワースポットのよう……と、凄まじいパワー。
一匹の鯉がスッーと寄ってきたかと思えば、周りの鯉を尾で蹴散らし始めた。
「な、何? 縄張り?」
思わず戸惑う彼女。すると、誰かが精一杯振り絞ったような甘い声で言った。
「ねぇキスしてくれなぁい?」
「えっ……」
彼女は辺りを見回した……が、誰もいない。そう、それはそうしなくともわかっていた。ただ、そう簡単に認められなかったのだ。目の前の鯉から聞こえた、まさか喋っただなんて。
「今、君に話しかけているのは僕さぁ」
と、そんなこと言ってられないようだ。もはや確定的であった。尤も、この現実を受け入れるか否か戸惑う彼女を前に構わず鯉は語り始めた。
自分は実はとある国の王子であり、悪い魔女に魔法をかけられ、鯉の姿にされたと。元の姿に戻るにはキスするしかないと。
王子に魔女。信じ難いことだが、喋る鯉を目の前にしては、むしろ納得の理由であった。しかし……。
「……じゃあ、確かあっちにお婆さんがいたから頼んでくるね」
「それは駄目だ! 駄目駄目!」
激しく怒った鯉が尾で水面をバシャバシャ叩いた。跳ねる水に彼女はサッと身を引き、そしてその必死な様子に抱いていた疑念が益々膨らみを帯びた。
……この鯉どうにも顔がヤラシイのだ。
「キスしてくれよぉ」
ニヤつく鯉。『ウヒウヒ』この擬態語が彼以上に似合う顔はないだろう。彼女はそう思った。
「……貴方、本当に王子なの?」
「正真正銘の王子さ! 疑うなんてひどいよぉ!」
元に戻った暁には国に招待、結婚もするという。
胡散臭いに尽きるのだけど……まぁ一瞬だしいっか……。
そう考えた彼女は鯉を両手で掴み、顔の前に持っていった。
「あ、長めでお願いね」
――黙れ。
目を閉じ意を決した彼女。キスと言うには余りに短い、ボクサーのジャブのようにシュッ! と素早く唇に触れさせ、すぐに離す。……と、それでも問題なかったようでパァーと自称王子の鯉の体が輝き始めた。
「え、待って、嘘!? まさか本当に!?」
彼女は慌てて鯉を池にポイッと投げた。
ブクブクゴポゴポと泡が唸る。
そして……水しぶきを上げて現れたのは……。
予想に反して意外にも王子らしい見た目!
金髪で若くてたくましい!
……全裸なのが気になるところだけど、まぁ仕方ないよね。
立ち上がり、手で口を覆い目を見開く彼女。笑みが隠せない。頭に浮かぶのは華々しい生活。玉の輿。
礼を言う王子。
微笑む彼女。
近くを飛んでいたトンボを捕まえ、口に放り込む王子。
顔が引きつる彼女。
笑いながら池に糞尿垂れ流す王子。
……そう、彼は鯉として長く生き過ぎたのだ。
彼女は靴紐をギュッと結び、王子に背を向けるとシンデレラのごとく逃げ出すのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます