即身仏

 ……肩と首、顔も凝った気がする。退屈が顔に出ないように変に力を入れていたせいだろう。

 ろくに仕事をもらえない俺がこの寺の取材を任されたのは良いが、どうもこのような場所は苦手だ。根っからの不真面目体質なのだろう。尤も坊主が全員真面目だとは思っていないのだが……っと危ない危ない、顔に出てしまう。


 振り返り、微笑みかける坊主に男はパッと顔の体操をやめ、微笑み返した。

 男がおや? と思ったのはちょうどその時であった。


「あの部屋は?」


 ここまで丁寧に寺の紹介をしていたのに、その扉の前を素通りしたので気になった男はそう訊ねた。

 すると坊主の顔から笑みが消え、恐らく取材に答えるという責任感と何かを天秤にかけていたのだろう、少し逡巡したあと口を開いた。


「こちらは……即身仏が眠る部屋でございます」


「と、いうと自らミイラになった方の……」


「ええ、そうです。ですが……」


 言いよどむ坊主。神聖なものだから見せたくないのだろう。古く、重々しい雰囲気の両開きの木の扉には閂がされている。


「大丈夫、見せたくないものを見せろなんて言いませんよ。しかし、いつの時代の方なんです?」


「今から百数十年ほど前です。法律で禁じられる前の。ですが……」


 ――チリン。


 鈴の音が聞こえた。途端に坊主の顔が青ざめていく。


「今の音……この部屋から?」


「知りません知りません!」


 背を向け足早に立ち去る坊主。だが男はその背を追うことなくただ見送った。一度も振り返ることなく角を曲がった坊主はそれに気づいてもいないだろう。

 男はそのまま少し待つことにした。そしてその間、鈴の意味について考えた。

 鈴……か。確か鈴を鳴らして生きていることを知らせるとか。鈴が鳴らなくなったら無事、仏になったと。先程のは……いやまさかな。ネズミか何かかそれとも湿気。そう、家鳴りのようなものか。


 坊主は戻ってこなかった。男はそれを『後はご自由にどうぞ』という意味と捉え、閂に手を伸ばした。ジャーナリズム精神というよりは好奇心か。引き抜くと土煙のような埃が舞った。

 閂を脇に置き、扉に手をかける。内開きであった。

 ギギギと鳴り、数センチの隙間から一筋の光が部屋の中に伸びていく。

 しかし、男は一呼吸した途端、身を捩り、扉から手を離して鼻と口を覆った。


 凄まじい匂いであった。長い年月溜め込まれていた臭気が一気に開放されたのだ。

 カビ、アンモニア、腐臭、全てが入り混じったような匂い。臭いと言うよりは痛い。指先から爛れる、そんな感覚が体を奔る。鼻をついた悪臭はそのまま体内を駆け巡り、血管を臓腑までをも腐らせる、そんなイメージを男に抱かせた。


 一歩退いた男。その目の前で静かに、ゆっくりと再び閉まっていく扉。徐々に狭まっていくその隙間からは光が逃げ、中は何も見えなかった。

 だが確かに男は聞いた。自身は咳き込んでいるにもかかわらずハッキリとその耳で。


 ズズズと何かが床にこすれる音。そして爪で木の床を引っかくような音。扉のほうへ進んでいるようだった。


 扉が完全に閉ざされると匂いは途絶えた。

 しかし、音は今も聞こえている。ただそれは扉の内側からというよりは男の耳の奥、体の内側からしているようであった。

 ここから出してくれと。引っかくように。


 ――チリン。


 削られる。あるいは内側から自身が食われていく感覚に悶える中、鈴の音だけが美しく、男が今一度、扉に手を伸ばす理由となった。


 扉は閉ざされた。横に置かれた閂はいずれまた通りかかった坊主にでもされるだろう。

 扉の奥からしている鈴の音に耳を塞ぎながら。

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