深層に伏す

 これは私が子供の頃の話だ。場所は田舎町。遊び場は山か小学校の校庭。ゲームセンターなんてものはない。

 転校してきた私はクラスどころか町に馴染めずにいた。

 静かに目立たず何とか日々をやり過ごしていたのだが、ある日、クラスメイトの一人に山に行こうと誘われた。

 不安と喜びを胸に抱きつつ、言われるがまま背中についていく。辿り着くと、大きな穴の前にすでに何人か集まっていた。


「洞窟?」


 私はその穴を覗くようにして訊ねた。


「ボークーゴー」


 リーダー格の少年がそう答えた。そして私にペンライトを渡し、一番奥へ行くように命令した。それが仲間の儀式だと。

 私の胸から喜びが消え、不安だけが闇のように広がった。


 私は少しの逡巡の後、結局従った。彼らの仲間になりたい……というより臆病者と思われたくない。そんなプライドからだった。ニヤつく口元。彼らの視線が怖くも……いや、どうでもいいことだ。


 防空壕の中は湿っていて足元が少しぬかるんでいた。やや黴臭いものの、そう不快感はなかった。水気は山の地下水のものだろう。

 奥へ進む間、私は頻繁にライトで頭上を照らした。上から虫や蝙蝠が落ちてこないか心配だったのだ。だが問題はなかった。ヤスデやゲジゲジなど、虫がいたのはツタが伸びていた入り口付近だけで、奥には日が届かないためか草は伸びず、虫もいない。恐れていたコウモリも餌となる虫がいないためかいなかった。

 しかし、上ばかり見ていたせいで足元に注意を払い損ね、水溜りを踏んだ。靴下の先が湿るのを感じ、げんなりする。それでも進むしかない。


 ちょうど穴の真ん中辺りまで来たときの事だった。突如、背中を支えていた光が消え、防空壕内の暗闇が増した。

 そう、入り口から差し込んでいた光が消えたのだ。考えるまでもない。あの少年たちの仕業だった。穴を塞がれたのだ。


 私は慌てて入り口に戻った。ぬかるみを踏み、足首まで湿ったがもはやそれどころではなかった。

 塞いでいるのはトタン板のようだ。ザラザラとした感触だった。錆びていたのだろう。

 私は思いっきり押した……が全く動かない。数人がかりで押さえつけているのだろう。トタン板の向こうからケラケラと笑い声が聞こえた。


「開けて! 開けてよ!」


 防空壕内に声が反響した。私の声。弱弱しく、情けない。屈服した者の声だ。


「ちゃんと奥まで行ったらどかしてやるよ」


 少年の中の誰かが笑い声を含みながら言った。多分、リーダー格の少年だ。

 沸き立つ憎悪に駆られ、私はトタン板を蹴ろうとしたが、ぬかるみに足を取られ尻餅をついた。情けない姿を見られずに済んで、この瞬間だけは暗闇に感謝した。


 立ち上がった私は仕方なく奥まで進むことにした。なんてことはない。さっき半分まで行ったんだ。そう自分に言い聞かせながら。

 奥に行けば行くほど水溜りは点在したがライトもあるし、注意深く見れば避けて行くのはそう難しいものではない。

 そして、一番奥まで辿り着いた私は振り返り、声をかけようと息を吸い込んだが、ただの溜息に終わった。横穴があることに気づいたのだ。

 まだ先があるのか……と、うんざりしながら私はライトをそこに向けた。せめて短くあってくれと願いながら。


 今度は息を呑んだ。とっさに後ずさりし水溜りを踏んだ。右の靴が完全に水没したがそんな事はどうでも良かった。


 人間。大人の男だ。それがボロボロの衣服を着て膝を抱えて座っていた。

 顔や手が泥だらけで小刻みに震えている。そしてその目。

 そう、目が合った。ゆっくりとその男が顔を上げてこちらを向いたのだ。その男はライトの光に一切、目を細める事なく、私を見据えた。

 白目にツタのように血管が這っていた。そしてよく見れば顔にも乾いた血の痕のようなものがあった。

 私は悲鳴を上げようとした。

 が、呑み込んだ。

 その顔に見覚えがあったのだ。


 若い頃の父にそっくりだった。ちょうどその先週ぐらいに、アルバムを見せてもらったから間違いなかった。

 逃げるべきか話しかけるべきか叫ぶべきか頭に浮かんだ迷い。もしかしたらいい人かもなんていう正常性バイアス。

 だが、無意識の瞬き。まさにその一瞬。

 私が再び目を開くとそこに男の姿はなかった。

 初めからいなかったかのように。何も残さずに。

 穴はそこで行き止まりだった。


 その後、私は入り口を塞いでいたトタン板をどかし外に出た。(少年たちは消えていた。後に知った話では他の場所で遊んでいたらしい)陽光も澄んだ空気も私が抱いた恐怖を拭い去りはしなかった。



 そしてそれは今も残ったままだ。

 私は大学を卒業しこの町に戻ってきた。自分の意思というわけじゃない。少々壊した体と……心を実家で静養するためだ。でなければ嫌な思い出の多いこの地に帰るはずがない。


 あの防空壕が未だにあるかはわからない。(わざわざ埋めたりする意味はないだろうからあるだろうが)

 毎日、鏡を見るたびに思う事がある。

 父に似てきた。つまり、あの時見た男に。

 ……あれは未来の自分の姿だったでは。それも何かが自分の身に起きた……そう、防空壕に逃げ込むような未来の。

 大災害、戦争。わからないが、そう予感せざるを得ない。

 だから備えた。非常食の備蓄。体を鍛えた。知識もある。私は変わった、強くなった。


 しかし、まだ心は……。

 そう、私はまだ暗闇の中に閉じ込められたままのような気がしてならない。私を嘲笑う少年たちの声とともに。


 願わくば彼らと顔を合わせることがないように、そう祈る。





――ある殺人鬼の日記より抜粋――

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