てるるくん
―――朝日が見える丘に縄を吊るす。先端の輪から覗けばもっと綺麗に見える気がする―――
とある町。松の木が立ち並ぶ小さな丘。そこに生えている松の木の一本には縄が吊るされている。
その縄の先端には輪。そう、首吊り自殺用だろう。
幸いなことに誰かがそこで自殺したなんてニュースは町の者たちは聞いたことがないので、きっと直前で思い直したのだろう。
しかし迷惑な話。縄を片付けなかったようだ。当然そのままにはしておけない。不気味な上、子供が遊んでうっかり事故でも起きたら……。そう考えた町内会の大人たちは縄を取り外そうとした。
だが結び目は固く、解けない。ならばと一人の男が自宅にノコギリを取りに行った。
しかし、いくら待っても戻ってこなかった。
死んだのだ。
心臓発作。勿論、誰もが偶然だと考えた。年配の男だ。
だが、そうしたことが三度続くとそうも言ってられない。震え上がり、縄を外すことは諦めたが、益々そのままにしてはおけない。
苦肉の策として編み出されたのが『てるるくん』だ。シーツの中に藁を入れ頭を作り、てるてる坊主のように吊るした。
誰も首を吊らないように、あらかじめ首を吊るしておけばいい。良い発想……とは、その少女は認めたくなかった。絶対に。
なぜなら二階の少女の部屋の窓から、てるるくんが見えるのだ。
以前、少女が窓から見下ろした時のてるるくんは、いつの間にか誰かが縫い付けたのだろう目の部分に二つのボタン。さらにはマントのような布を身に着けていた。
少女はその姿をひどく不気味に思い、忌み嫌った。風向きの関係か、少女の部屋のほうを向くことがあるから完全に拒絶。今では昼間でもカーテンを開けられずにいる。
時折、掃除のために少女の母親が勝手に部屋に入り、カーテンを開けるものだから帰宅した少女とよく口論になった。
今日もだ。少女が学校から帰宅するとカーテンが開けられていた。
「もう!」
少女は憤慨すると同時にカーテンを勢いよく閉めた。まだ日は明るいため隙間から光が漏れている。だが薄暗い部屋。少女はいつものように電気のスイッチへ手を伸ばす。が、やめた。
少女は水色のカーテンを掴むと額をそっとつけた。
早鐘を打つ心臓。染みこむ血がやがて太ももを伝うという確信めいた予感。
不安な想像。それでも手に力を入れる。
開けたくない。なのになぜ?
『いつまでもそんなのに怖がっていないの』と、いう母親への対抗心。怖くなんかない。そう反抗するも、手が震える。
目を背け続けた結果、恐怖が頭の中で肥大化し続けたのだ。
夏休み後、クラスメイトの男子が給食の残りを机の中に入れっぱなしにしていたと騒いでいた。確かにあのパンは腐り、カビてもいた。でも誰も彼も笑うばかりで怯えてはいなかった。つまり、大したことはない。実際は。
そう思った少女は心臓の激しい鼓動が和らぐのを感じた。
そして息を吐くと、少女はカーテンを開けた。
――ほら、別に怖くなんか
少女が自分自身に用意していた言葉は一瞬のうちに掻き消えた。
見た瞬間、頭の中が真っ白になり、そこにどす黒い油のように恐怖が滲んでいった。
てるるくんは前と風貌が変わっていた。誰の仕業か長い黒髪のカツラを被り、雨や土埃にさらされていたせいか白いシーツはくすんでいた。マントはボロボロで穴が空き、顔からは藁がちらほら飛び出ている。
――あっ
と、思ったときには金縛りにあったように動けなかった。
風が吹いたのか、てるるくんがゆっくりと少女のほうを見上げたのだ。
ゆらり揺れる。
ブランコのようにゆっくりと。やがて大きく。
不自然な動きだった。余りにも。
少女は吐き気がし、顔を背けようとした。
が、瞬間、てるるくんはピタリと止まった。
顔は少女のほうに向けたままだ。
少女も動きを止め、息を呑む。
見つめあう。しかし、その時間は二秒にも満たなかっただろう。
てるるくんの顔が破裂し、中の藁がクラッカーのように弾け飛んだのだ。
縄が切れ、胴体部分がドサッと地面に落ちた。内部に溜まっていたであろう土埃が舞い上がり、それが一瞬、人の形に見えた。
夢かと思った。だが、意識が遠のいていくその感覚が、これは現実だと少女に知らしめている。
少女は急激に重くなった頭にフラつき、膝から崩れ落ちていた。首振り人形のように揺れる頭を止められず、カーペットの床に吐いた。
――落ちる
視界が円転する。僅かな浮遊感と首に圧迫感を覚え、不快に思うもどこか心地良さがあった。そしてそれは身を委ねることでさらに覚え、意識が遠のいていくのを感じながら、少女はどこかすでに夢を見ている気分だった。
気づけばもう日は完全に落ちていた。
真っ暗な部屋。少女はゆっくりと起き上がった。喉の内側が痛い。鼻をすするとすっぱい臭いがして顔を歪めた。
……今、何時だろう? お父さんは帰ってきているだろうか。
立ち上がった少女は壁にもたれ掛かるようにして部屋を出て、階段を下りる。
まだ足に力が入らない。胃がむかむかしていた。
静か。お母さんは出かけているのだろうか。
部屋だけでなく、家の中が真っ暗でよく目を凝らさなければならなかった。電気、点けるのも億劫だと少女は思う。寝起きの今は光が目にキツいとも。
闇の中、慣れてきた視界。
手を伸ばしリビングのドアを開けると、ムワっとした臭いに出迎えられた。
そこには見慣れた、でも見違えた姿があった。
吊り下がった二つのてるるくんが、風もないのにゆっくりと揺れていた。
縄が軋む音を立てながら。誰かをまた誘うように……。
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