春香る公園の乱

 きゃっきゃっ、あははと子供の遊ぶ声。それに小鳥の囀り。暖かな春の日差しの下、長閑な公園の中を歩いているときのこと。

 ふと私は足を止め、そして目を見開いた。

 私の視界に入ったそれは太陽の光を反射、いやそれ自体が光を放っているかのようであった。

 そして数秒の思案。それが何か理解すると、それの周りにまるでダイヤモンドダストのように光子が舞い上がって見えたのである。


 ――ビューティフォウ 


 と、心の中で称賛したあれはそう、女性用の下着。いわゆるパンティ。あの光沢はシルクかサテンか何にせよ、降って湧いた幸運とはこの事である。


 ――いただきま


 近づき、拾おうと私が身を屈めたその瞬間、ザザザッと地面を擦る音が聞こえ、私はパッと顔を上げた。


 軽く上がった土煙。そこにいたのは小太りの男。神妙な顔つき。その男は目が合うと気まずそうに目を逸らした。

 私も同様に目を逸らし、腰に手をあて後方にグググッと身を逸らし、あたかも体操をしていたかのように取り繕う。見上げた眩しい太陽に目を細めると、私の頭にある思いが浮かんだ。


 ――この男、まさか……狙っていたのか?


 男の目線は私とパンティを行ったり来たりしている。

 あの男もあれが欲しいのか? まずいな。どうすれば……いや、だとしたらなんだ? 見られている? ただ拾えばいいだけだ。そうとも、落とし物を交番に届けるという顔をしながら拾えばいいだけ。当然、相手はそうは思わないだろう。欲にまみれた性獣。なぜなら自分自身そうだから。ああ、よくわかるとも。

 それでも気にしなければ良い。赤の他人なのだから、どんな目で見られようがレッテルを貼られようが関係ない。そうとも。拾うぞ、私は拾う。これは私の物だ!


 ……が奴の次の動きで私は広げようとした指をピタッと止めた。奴がズボンのポケットからスマートフォンを取り出したのだ。それも、なぜかこちらに見せつけるように。


 ――そうか! やられた!


 意味を理解するまで数瞬。私もスマホを取り出す。これはスマホに夢中という、この場に留まる理由付けだけでなく先に拾えば撮影するぞという私への警告、すなわち攻撃! この時代、ネットに顔付きでバラ撒かれるのは致命傷! 私もポケットから取り出したはいいが、充電切れ! 不覚! 後手に回った! 心理的に奴が優勢!


 しかし、パンティとの距離は私のほうが近い。私がここに陣取る限り、奴は理由なく距離を詰めることができないだろう。

 だが、スマホの電源が入っていないことを知られれば、すぐさま奴は獰猛な野獣へと変貌し牙を剥くに違いない。そうなれば止める手立てはなし! 膠着状態。これが続くか? 否!

 今日はやや風が強い。パンティが風に吹かれれば、幸運の女神には後髪がないように掴む手段はなし! 奴の方に転がれば状況は悪路へと進む! やはり取るんだ、今! ここで! カメラに捉えられないよう顔を左右に振りながら取り、すぐに退散するんだ! それしかない!


「パキッ」


 な、なんだと……。まさか! なんという運命の悪戯! 神の遊び! 現れたというのか! ここで! 三人目が!

 指を鳴らしながら迫るこの男の狙いは我々と同じ! その証拠に視線は我々二人を捉えつつも、チラチラとしきりにこの地に君臨するパンティに注がれている。

 そのタンクトップから生えた、血管浮いた筋肉! 力では敵わないことをわからせる為の指鳴らし! すなわち威嚇!


 提案すべきか? もはやこの三人が各々求めているものは同じだとわかっているだろう。金か、ジャンケンか? 実力行使に迫る前に交渉を!


 ……が男は歩みを止めた。何かに気づいた顔。私もその音に瞬時に理解した。油断、不覚!


 背後から迫る車輪の音。赤子の無邪気な声。戦車! いや、ベビーカーだ! いいや、やっぱり戦車! 親子がこちらに向かってくる! なぜ、よりによってこのタイミング! いや、場所が昼下がりの公園と考えると居て当然! むしろあちらが正義! 私無職!

 しかし進路にはパンティが! 母親の視界に入っているか? どうだ? 気づかなければこのままでは轢かれてしまう。気づけば別の意味で引くだろう。やはり取るしかないのだ、今ここで!


 が! 私の覚悟をその野性的嗅覚で察知したかのようにタンクトップの男が先に動いた!

 前に進み出る。その手にはウォレットチェーン。財布から取り外したのであろうチェーンをクルクルと回している。


 先手を取られた! だがあれにはどういう意図が、ここにきてまた威嚇?

 ……いや、違う! 引っ掛けるつもりだ! チェーンを回しながら獲物に近づき先端で捕らえるつもりだ!

 可能なのかそんなことは!? 

 いや、やる。この男はやる。そう思わせる何かが今この場にはあるのだ!

 チャンスは一回のみだが、それ故に男の集中力、幸運力は引き上げられている!

 回される鎖は空気を裂く円形刃のよう。男の鎖がこの地に落ちたパンティ、いや美しき蝶、いや麗しきダイヤモンドに迫る!


 そして……


 跳ね上がった!


 さすがに引っ掛けるのは無理だったか! だが行く先は広げた男の手の中! 終わり、敗北……いや!


 突如伸びた謎の物体が可憐な妖精を弾いた!


 あれは……あれもウォレットチェーン! ゴムタイプのチェーンだ! ゴムの反動で戻る先にいるのは小太りの男! 奴が動いたのだ!


 そしてわずかに吹いた風に舞う、穢れ無き天使の羽。

 今しかない!

 掴め!

 掴むのだ!


 ――えっ


 私が手を伸ばした瞬間、流れた記憶。まるで走馬灯。これは私の過去、幸運を逃した場面。成就されなかった青春時代。

 ……だがそれは私の体を強張らせるための枷ではない。奮い立たせるための鞭だ。掴み損ねない! 今度こそは!



「パサッ」


 な、なに……? あ、網? 網だ! どこからか現れた虫取り網が眼前で純粋無垢な天使を捕らえたのだ!


 ――四人目!?

 ――誰だ!

 ――まさかの少年!

 ――その歳で!?

 ――そんな!


 私の心の中の慟哭を素知らぬウキウキとしたあの顔。

 動けぬ三人。それが見守る中、少年は網の中に手を入れる。

 賛辞を贈るべきか……いや、しかしなぜだ。少年は網の中から完全無欠な美の女神を取り出すと明らかに落胆の表情を浮かべた。


「きたねぇっ!」


 少年は聖杯を地面に叩きつけ、さらに踏みつけ駆け出していった。

 一匹の蝶が我々の頭上を飛び、我々三人の前をベビーカーが通り過ぎた。赤子が蝶に手を伸ばしてきゃっきゃと笑っている。


 ……嗚呼、少年よ。走れ、そうだ走れ。大きくなれ。そしていつか自分が見下し、踏みにじった物の価値を知るがいい。


 私、小太りの男、タンクトップの男、少年、親子。我々は公園を去った。もうこの先、決して道が交わることはないだろう。澄み渡る青空、降り注ぐ陽光。額の前に手をかざし目を細め、私は微笑む。

 

 これは春香る公園で起きた、ものの一分の騒動である。

 しかし、私にとって季節に刻まれた出来事であることは、来年の春を待たずともわかり切っていた。

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