雉白書屋短編集

二つの月の夜

　何の変哲もないはずの夜がどこか奇妙だと気づいたのは、月明かりがやけに眩しいと感じて、空を見上げた瞬間だった。

　空に月が二つある。

　立ち止まり、目を細めたり大きく見開いたりしてみたが見間違いではない。確かに距離を開けて月が並んでるのだ。

　さらに妙なことに、ほかの人間は気づいていないようだ。

　──では俺の頭がおかしくなったのか。

　……いいや、働き詰めで疲れているだけだ。休めばきっと良くなる。目頭を揉みつつ家路を急ぐことにした。

　――熱い、いや、違うな。

　その最中、俺はなぜか圧迫感、息苦しさを感じ、歩きながらネクタイを緩めた。

　だが拭えない。歩調は速まり、いつからか走り出していた。

　叫び出したいほどの恐怖、焦燥を感じたが、どうしたことか声が出ない。それに出してはならない気がした。だからただ口を開け、俺は走り続けた。

「あ、ぅ」

　顎が外れたような声を出し、俺はつんのめりそうになりながら足を止めた。

　その理由。

　突然脇道から猫が飛び出し、それを蹴り上げそうになったのだ。

　驚き、跳ねるように距離をとった猫は振り返り、こちらを見つめる。

　闇の中で光る目。

　ああ、そうか。

　目だ。

　あの月。あれは目だ。

　見下ろされる俺は地を這いずる小さな虫。

　底なしの混沌、その支配者。

　グロテスクなサディスト。

　無慈悲な父。

　罰の王。

　体に刻まれた古傷が開き、そこから目が現れ、血の涙を流す。

　逆らう事は許されず。

　あの大いなる存在からは逃げられない。

　決して……決して……

　……目を覚ました。

　夢……。いつものパターンだ。そしてこの後の行動も。

　起き上がった俺は格子の間から外を見る。

　サーチライトが獲物を探すようにゆっくりと首を動かしていた。

　計画は順調に進んでいる。

　しかし、連日見るこの夢が脱獄計画の失敗を暗示しているように思えてならないのだ。