雉白書屋短編集

異臭

　その現象はある日突然起こった。

　誰が最初に気づいたのか。ほとんど同時だっただろう。皆、顔を歪め鼻をつまんだ。

　異臭。

　何かが腐ったような臭い。とはいえ、耐えられないほどではない。ただただ迷惑そうに皆、いつも通りに過ごす。そのうち収まるだろう、と。

　しかし、次の日も原因不明の臭いは変わらず存在感を放っていた。

　火山から来る硫黄の臭いだろうか？

　それとも地下から？

　原因は分からない。

　苦情が寄せられたので市が調査に乗り出そうと腰を上げかけたのだがニュース報道を見て、ピタリと止まった。原因不明の異臭は世界規模で起きていたのだ。

　こうなってくるとマスコミが、エセ宗教家が世界の終わりだと囃し立てる。

　世界中の科学者、組織が調査に乗り出したが、何ヶ月経っても臭いの元はわからなかった。

　皆が頭を悩ませる中、一人の男が呟いた。

「神が死んだ」

　横断歩道の真ん中で空を見上げ呟いたそれは絶望から出た言葉ではない。

　神は実際に空の上で死に、腐臭を発しているのだ。

　ただひとり、真実に気づいたこのみすぼらしい男の呟きも、その男自体も誰も気に留めぬまま横断歩道を行き交う人たち。人と肩がぶつかり舌打ちを浴びせられ、転びそうになりながらも男は横断歩道を渡りきる。

　男はもう一度空を見上げる。

　神が死んだ。

　今度は声に出さなかった。

　神といえど地上の生き物と同じく、時間が経てば骨となり腐臭もおさまるだろう。やがて人々はこの珍事を忘れ、変わらぬ日々を送る。

　そう、何も変わらないのだ。

　神が生きていようとも死んでいようとも。