自殺豚

 帰宅途中、一服しようと公園にふらりと立ち寄った男は驚き、思わずその場で硬直した。

 男の視線の先にいたのは小さな豚。

 ミニブタというやつだろうか。どこかでペットとして飼われていたのが逃げ出したのか捨てられたのか。どちらにせよただの豚なら男もそう驚くことはない。

 だが、この豚は二本の後ろ足で直立し、木に結んだロープで首を吊ろうとしていたのだ。


 なぜ立てる?

 このロープはこいつが用意したのか?

 どうして死のうとする?


 男は頭の中で湧き出る疑問に一旦、蓋をし、近づいてやめるよう豚に言った。

 豚はブヒと心なしか悲しげな声を上げた。

 男はそのまま次の言葉を待つ


「……」

「……」


 ……が喋らない。豚なのだから当然か。現実感と非現実感の混交に男は困惑し、はははと力なく笑った。


 が、一度引き留めた身だ。このまま立ち去るのもばつが悪い。それに加え、ある思いを抱いた男は一先ず豚を自宅に連れ帰ることにした。

 

 男の自宅アパートの部屋に来た豚は、うなだれるように壁にもたれかかり、呻き声を上げる。落ち込んでいるのは目に見えているが、言葉が通じないのではどうしようもない。一先ず、男が飲み物を用意してやると豚は仕方なさそうに飲み始めた。


「着替えるから待っててくれ」


 そう言った男はワイシャツのボタンを一つ一つ外していく。時折、震える指がボタンに弾かれる。


 ――落ち着け。


 男はそう自分に言い聞かせ、笑みがこぼれるのをこらえる。

 着替え終えた男は豚のもとに向かった。

 だが姿がない。


 ――逃げやがったのか。


 辺りを見回していると風呂場の方で音が聞こえた。まさか、と思った男が急いで風呂場に駆けつけると


「おい!」


 そのまさかであった。豚は浴槽の中に顔を突っ込んでいた。

 男は慌てて抱え上げ、言った。


「どうしても死にたいらしいな」


 豚は力なく鳴いた。か細い声で鳴き続けた。


 事情は知らないがどうやら意志は固いようだ。よし……ならば仕方ない。実は一目見た時から考えていたんだ……。



 男は豚を丸焼きにして食った。実に美味。良い拾い物をした、と男は膨れた腹を撫でた。

 なるべく楽に殺してやったつもりだったが、どうだっただろう。まあ、あいつも満足だろう。

 男は自分の考えにうんうん頷き、その場で横になると、その満腹感と幸福感に揺られ、自然と瞼が閉じた。


 夢を見た。

 男は睡蓮の花が浮かぶプールで泳いでいる。花の香りに包まれ心地良い。

 満たされた気分の中、仰向けになり浮かんでいると睡蓮の葉の上にカマキリが乗っている事に気づいた。

 ぼんやりと眺めているとカマキリはピョイと水に飛び込んだ。小さな水しぶきを上げ、沈んでいく。


 ――自殺するとはあの豚みたいだな。


 ふとそう男の頭を掠めた。そして、ほどなく、興味を無くし視線を外そうとした時だった。


 ――なんだ? 黒い、黒い……。


 カマキリの尻から黒く細長いものがニョロニョロと出てきた。ハリガネムシだ。


 男が見つめていると、ゆっくりそのまま水の中に沈んでいくカマキリと目が合った。

 口を動かしている。


 食・い・す・ぎ・た・な


 そう言っているように見えた。

 カマキリが男の腹へ視線を移す。

 その瞬間、男は何かが自分の皮膚の下で蠢くのを感じた。


 そこで男は夢から目覚めた。

 皮下で何かが蠢くあの感覚。リアルさについ、下腹部を手でさする。だが有り得ない。寄生虫など。カマキリが喋るなど。ただの夢。


 ――豚が自殺など


 どこまでが夢の中の事だったか……。

 男はわからずに、また考えようとせずただ、ぼんやりと下腹部をさすり続けた。

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