雉白書屋短編集

空飛ぶペンギン

　その男は昼休憩中、会社近くの広場でタバコを吸っていた。

　良い天気だ。青空を眺めつつ、男は上に向けて煙を吐く。

　ふと、煙の向こう側を鳥が飛ぶのが見えた。

　渡り鳥だろうか？　見慣れないシルエットだったため目を惹いたが、太陽の眩しさに顔を逸らすとそのまま興味を無くし、男は地面に視線を落とす。

　だが、トントンと灰を落としたタイミングで、鳥が男の目の前に降り立った。

　それはペンギンであった。

　目を開き、見つめ合う事、数十秒。先に目を逸らしたペンギンは嘴で羽のあたりを擦った。

　――熱っ。

　なおも呆然としていると灰が指にかかり男は顔を歪めた。腹いせにタバコを投げ捨て、箱からタバコをもう一本取り出し、火を点けた。

　いつからペンギンが空を飛ぶようになった？

　男はそう考えながら咥えているタバコに目を向けた。味に変わりはない。幻覚剤などは入ってなさそうだ。首を傾げる男。ペンギンもまた首を傾げ男を興味深そうに見つめる。

　タバコが珍しいのか？　……そうだ、煙で輪っかを作ってやろう。得意なんだ。

「……うっ、ゲホッ！　ゴホッ！」

　そう思い、煙を吸い込んだ男だったが勢いがつきすぎたのか咽せてしまった。

　ドジだな俺は、と咳き込みながら男は笑顔を作る。鳥相手に何を取り繕ったように笑ってるんだ俺は、とさらに自嘲気味な笑いが込み上げてきたが、それは覆いかぶさるような違和感、そしてせり上がった恐怖に消された。

　……苦しい。おかしい……息が、でき……ない。

　空気が……欲しい……

　煙が変なところに入ってしまったのか男の咳は一向に収まらない。

　口を開ければ開けるほど喉に手を入れられるような苦しさを感じ、やがて男の目からは涙が溢れ出した。穴の開いた水槽のような勢いで、とてもじゃないが開けていられない。

　が、瞼を閉じても涙は止まらなかった。男は全身を包む冷たさに恐怖とある思いを抱いた。

　――溺れる。

　溺れる……？

　男がハッと目を開けると遠ざかる光が見えた。

　あれは……太陽の光か？

　ここは……水中、沈んでいるのか。

　ああ、そうだった……。　

　乗っていた船が沈没し……

　男の目の前をペンギンたちが自由に泳ぎまわる。

　手を伸ばしても届かない。

　全身を覆っていた冷たさは消え、苦しさも遠のいていく。

　暗さと静けさがどこか心地よかった。

　傍に来たペンギンに男は笑みを浮かべ、口を開く。

　男の最後の息が空気の輪っかとなり、そして消えていった。