人魂

 夜道。吹いた木枯らしが落ち葉を蹴散らしその青年をブルッと震わせた。

 寒い。早く帰ろう……そんな青年の思いを散らし、ごっそりと意識を奪ったのはボウッと突然静かに現れた光。

 青年は引き寄せられるようにその墓場に足を踏み入れた。

 

 人魂……そうとしか言いようがない青白い炎。


 近づいても逃げない。作り物ではなさそうだけど意思はあるのだろうか?

 そう考えた青年は触れてみようとそっと手を伸ばした。


 ……暖かい。


 裸電球のようで近づきすぎると熱いが、距離を保ちさえすれば心地良い。

 人魂は青年から敵意を感じなかったためか、元々、人懐っこいのか嬉しそうに青年の周りをくるくると回った。


 クスクス笑う青年。と、さて、どうしようかと考えた。

 敵意はないが欲はある。寒くなる時期だ。連れて帰り、暖房の代わり。節約。いやいや、テレビ局に売り込もう。いや、檻に入れて腕に抱え、駅前に立っているだけでもいい見世物に。いや、鳥籠のように横に置き、占い師、霊能者として雰囲気作りに……。


 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ……。


 欲望の数だけ……とは言わないまでも人魂がもう一つ、また一つと暗闇からゆらりゆらりと現れ始め、青年はあっという間に囲まれてしまった。


 さすがにこれはまずい……よな。

 青年は後ずさりしたが、完全に包囲し、ゆっくりと近づいてくる人魂たち。

 

 怒っているのか。いや、懐いているのか。なんにせよ、これはこの寺のお坊さんの怠慢では?

 

 そんなことが青年の頭をよぎったが、そんなこと考えている場合ではない。

 炎の壁。一気に走り抜ければ、なんて考えは甘い。

 はしゃぐように飛び交う火球をただ、躱すことしかできない。いや、躱しきれない。いくつかは当たり、その度に青年はくるりくるりと舞い落ちる木の葉のようによろけ、回った。


 熱い、熱イ、怖イ。つライ、苦シイ、息ガ、さムイさムイ……。


 幻聴まで聞こえ、悪寒がし、いよいよかと思ったその時だった。


 ――ナムアミダブナムアミダブ


 隣の部屋から聞こえるラジオの音のようにくぐもったその声。幻聴はハッキリと単語に、しかし聞き取れない。そのことから青年はそれが念仏だと気がついた。


 ……ああ、助かった。


 人魂たちは死骸に群がる蟻に水をかけたときのように一斉に四方に散って行った。


「あ、ありがとうございました……」


 青年はお坊さんにお礼を言いながら駆け寄る。


 が……。


 ――ナムアミダブナムアミダブツ


 お坊さんは念仏を唱えることをやめようとはしない。額に汗を浮かべ、必死に。熱そうに。


 木枯らしが吹き、落ち葉と念仏を絡めとり青年の周囲を回った。

 青年は寒気とむず痒さ、熱さに怖気、苛立ちを覚えた。

 いや、強まったと言ったほうが正しかった。

 人魂たちが逃げ去り、ホッとしたのも一瞬、あの不安感は拭われるどころか強まっていったのだ。

 青年はそれがなぜかはわからなかったが、抱く感情の一つ。苛立ちだけは何かわかった。

 アパートの隣人だ。深夜、ラジオかテレビかは知らないがうるさいあの男。苦情は逆効果。仕方なく耳栓着けて眠る日々。煩わしく、それに地味に熱い熱い、熱い、くぐもった声、悲鳴……。


 ああ、そうか。そうだった……帰る家はもう……。

 

 絡んだ糸が解けた感覚。心に絡みつく全ての苦痛が消え去ると同時に青年の体はぼんやりと青白く光りだし、意識が、また吹いた木枯らしと共に窮月の夜空に霧散していった。

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