肉食スリッパ
ディスカウントストアへやって来た一人の男。手を後ろに組み、リラックスした表情で店内を歩く。特に何か買おうという気はない。しかしただ見て回るだけというのも楽しいものだ。
「あれは……」
そう呟いた男はある商品の前で立ち止まった。
『肉食スリッパ』札にはそう書かれていた。その後ろには布がかけられた檻がある。
ペットコーナーと生活雑貨コーナーのちょうど境だ。どちらに分類すべきかという店員の苦悩が窺える。
布を捲ると室内用のスリッパが一足入っていた。
男は檻の隙間からスリッパの中を覗き込んだ。
歯だ。
何本もの尖った歯が不規則に並んでいる。なんとも生々しいスリッパの内側。そこに足を入れれば、ひとたまりもないだろう。
しかし、本物だろうか。全く動かない……と思ったが僅かに動いているではないか。どうやら呼吸しているようだ。
男は軽く檻を揺らした。
すると、眠っていたのが目覚めたのかスリッパが激しく動き出し、檻を揺らしガシャガシャとまるで警報機のように絶え間なく激しい音を立てる。
男は周りの客の目を気にし、慌てて布を被せ少し距離をとった。
檻はまだ揺れている。不機嫌そうな空気感漂わせながら。
家に帰った男は、テーブルの上に檻を置いた。
そう、結局購入したのだ。布を取り、スリッパを見下ろすとスリッパも男を見上げ、威嚇あるいは値踏みしているようである。
男は説明書があったら良かったのだが……とボヤキながら冷蔵庫を開け、中から魚肉ソーセージを取り出した。
檻の隙間からそれを入れるとスリッパの片方が勢い良く食らいついた。その様はシュレッダーを想起させる。もう片方が、自分にもよこせと主張するかのように檻に体当たりし始めた。
男は冷蔵庫からもう一本ソーセージを取り出し、与えた。
食べたら少し落ち着いたようだ。水気のある呼吸音が部屋に溶ける。
「……よし」
その中、男は意を決したようにそう言うと檻を開け、スリッパを取り出した。
優しく優しく、だ。念のためソーセージをチラつかせたが満腹のようで食べない。カーペットの上にそっと置き、まずは片足から、ゆっくり入れる。
これは……! あぁ、いぃ……。
温かく、足に合わせてくれるように包むように引っ付く。まるでこれは女の……ああ、あの尖った歯はどうなっているのだろう? やはり収納できるのか。ああ、そうだ。もう片方も……。
男がそう思い、もう片方のスリッパをそっと掴んだ時だった。
「あ、あああああ!」
突如、足に激痛が走る。考えるまでもない。まさに牙を剥いたというわけだ。
男はスリッパを引き剥がそうとした。だが、歯に返しがついているのかそう簡単にはいかない。肉が裂け、滴り落ちた血がカーペットに染み、足元が揺らいだ。それだけではない。双子のシンクロとでもいうのだろうか、もう片方のスリッパも激しく暴れだし、自身を掴んでいた男のその手に食らいついたのだ。
男は歯が指に食い込みゴリッと骨まで達する音を聞いた。
男は手を、足を滅茶苦茶に振り回す。
飛び散った血と男の悲鳴に部屋が揺れる。
スリッパを手ごと机に叩きつけると僅かに噛みつきが緩んだ。男はその隙を逃さず、スリッパから手を引き抜き、スリッパを檻の中に放り込んだ。
次いで、足も怒りを込めて殴りつけ、緩んだ隙に引き抜いて檻の中へ投げ込んだ。
これはしつけにまた苦労しそうだ……。
息を荒げながら男はそう思った。
なかなかどうして上手くいかないものだ。無駄な買い物だっただろうか。だが捨ててしまうわけにはいかない。野生化してしまうだろう。
男はさっきの騒ぎで叩いたことを怒る肉食机を宥めた後、肉食椅子に腰を下ろし、まだ興奮冷めやらぬ様子の部屋の肉食生物たちを眺めつつ、どうして自分はこうも自制心がないのだと自問した。
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