八月は三十二日ある
「は?」
そう呟いた彼は思わずペットボトルを落としそうになった。夕食を作る母の手伝いもせず、ただ手持ち無沙汰、暇そうな雰囲気を醸し出しつつ何気なく捲ったカレンダー。
目を丸くしてその瞳に映す日付は八月の三十二日。おまけに赤いペンで丸までついていた。
なんだこれ? ジョークグッズか何かか?
そう思った彼は母親に訊ねた。
「母さん、これ何?」
「何ってなにー?」
母親は夕飯の支度で忙しそうにそう答えた。不機嫌になるので普段ならここで話を切り上げるところだが、気にはなる。
「カレンダー。八月三十二日まであるよ」
「だから何!?」
「いや、だから何って……八月は三十一日までだろ」
「何言ってるの。八月は三十二日あるじゃない」
ボケているのかボケたのか。ため息をつき、彼はそこで会話を打ち切った。悪ふざけなら付き合ってられない。中学生。思春期真っ只中で物事に対し斜に構える癖のある彼は母親と必要以上に長く会話をする気にはなれないのだ。
翌朝、教室に着いた彼はカレンダーを見つけると昨日のことを思い出した。
荷物を下ろした後、自分の席から教室の前に歩き、カレンダーを捲る。そこでも彼は目を丸くした。
……八月が三十二日あるじゃないか。
「な、なぁ、これ……」
「ん? ああ、楽しみだな!」
「いや、楽しみって何が」
「ねえねえ、何の話!?」
「あ、別に……」
クラスメイトの女子が話に割って入ってきたため彼はそう、そっけなく答えた後、話題を変えた。
しかし、クラスの友人のあの受け答え。演技ではなさそうだ。どうやらカレンダーは本物らしい。ドッキリ番組ということもないだろう。手が込んでいる、いや込みすぎているし、無名の中学生を引っ掛けたところで、たいした視聴率は取れないはずだ。
そう考えた彼は自分の席に戻り、記憶を辿るが八月が三十二日あった年はない。今年だけ、それも自分だけが気づいている。
巨大な組織の陰謀? 宇宙人の仕業? 漫画の主人公なら同じように疑問を持った人を仲間にし、陰謀に立ち向かうところだけど……。
滅びるなら滅びてしまえ。
彼はそう結論を出した。戦う能力も気概もない。この思春期、どこかやさぐれていた。
それでも彼は興味が全くないわけではないので周りから不審に思われない程度に情報を集めはじめた。どこかスパイやレジスタンスのような気分に高揚していたが、それを自分で認めようとはしない。ゆえに半端な情報収集だったが、それで十分だった。どの人も同じ反応。どうもそう悪いことは起きないらしい。みんな、楽しみにしているようだった。
が、それで安心するほど図太くはない。しかし、何かする気も起きず、しようにも方法が思いつかずモヤモヤした気持ちのままあれよあれよという間にその時は来た。
八月三十二日当日。みんな、わらわらと外に出ていた。道路は封鎖。どこか夏祭りのような雰囲気と人混みに酔わされそうになりながら、みんなと同じく彼は空を見上げた。
……地球の終わりか。なんだか……これ、ジワジワと……後悔か? 俺はこの日まで何をしていたんだ? 何かできることあったんじゃないのか? ……何を達観した気になっていたんだ。もっと必死になって声を張り上げていれば、何かが変わっていたかもしれないのに……。
彼は夜空の星々に見下ろされながらそう、後悔した。しかし、これまでも星を見上げて後悔した人間などそれこそ星の数ほどいる。センチメンタルな気分になる中学生など特に多い。
彼は叫び、みんなに異常を、逃げるように言おうかとも思ったが、それでも体は動かなかった。周囲の顔色を窺うしかなかったのだ。その喜びに満ちた、洗脳された顔を。
そして、誰が最初に口にしたかカウントダウンが始まった。
「10!」
「9!」
「8!」
数字が減るたびに彼の心臓の動悸は激しくなり、足は震えが大きくなった。
「7!」
「6!」
「5!」
途端、彼の震えが止まった。目にしたのは同じクラスの気になる女の子。
「4!」
「3!」
「2!」
彼は人混みを掻き分け、その子に近づくと
「1!」
「0!」
轟音とともに空が光った。
歓声が上がり、再び轟音。
これは……花火。
彼はそれに気づくと空を見上げた。
空全体を彩る巨大な花火。虹のようなものもあれば妖精のように自由に飛び回るのもあり、オーロラのようなものまで空を飾る。こんなことどんな金持ちにだってできるはずがない。カレンダーの事といい、人間には不可能だ。
そう思った彼は周りの人の会話に耳を澄ました。
「無事生まれてよかった!」
「めでたい!」
「おめでとう!」
「最高の日だ!」
……どうやら今日は誕生日らしい。宇宙にも子煩悩な親がいるんだなぁ。
彼は周りの人と同じく、花火の音に負けないくらい大きな声で空に向かっておめでとうと叫んだ。吹っ切れたように笑顔で人目も気にせず、女の子が空ではなくずっと自分を見ている事にも気づかずに。
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