治療

 真っ白な椅子。真っ白な机。

 真っ白な教室。真っ白な服。

 真っ白な心の子供たち。


 先生の問いかけにはい! はい! と元気に手を上げて自分が答えるとアピールする少年少女の中で、その少年は机に頬杖ついて彼らのその伸びきった指先を見ていた。

 ほんの一瞬、まばたきの間にその指が木の枝に見えたのは少年の想像力の仕業。

 寝惚けていたわけではない。少年は、彼らはみんな知っている。自分たちがいずれ木になるということを。逃れられぬ病であることを。


 少年はため息をついた。

 悲観的になっているわけではない。その病を聞かされたのが物心ついて間もない頃だったため、ショックも何も記憶そのものが薄い。

 もう慣れた。それに自分一人ではないというのも心強い。

 同じ病気の仲間。そして治療法を探してくれている先生たち。

 この授業も自分たちのために行ってくれている。知ると言うのは楽しい。いずれ無駄になるかもしれないのだけれど。そう心の片隅に思ってはいたが。


 治らない。


 少年がそう気づき始めたのは、自分たちが成長するにつれ、授業の内容に少しずつ『木になることが不幸ではない』という

趣旨が見られるようになったからだ。

 これは刷り込みだ。他の子は気づいていないのだろうか。そう思うと、ふいに孤独感と恐怖が込み上げてきたが、少年はある時意を決し、訊ねた。


『先生たち大人はなぜ木にならないの』と。すると先生は大きな手で少年の頭を撫で『木になることは素晴らしい、誉れである』と説いた。

 その声から反論を許さない、圧のようなものを少年は感じ、それきり病気について訊かなくなった。


 少年は落胆していたわけではない。元より、外の世界を、健康な子を知らないのだ。羨むことすら知らない。

 だがそれゆえにせめて一度でいいから外の世界に出たいという思いを抱いていた。毎日の授業や実験の中でもいつも心のどこかで祈っていた。毎日毎日毎日……。


『偉大なるこの星様。大自然様。どうか、僕の願いを聞き届けてください』


 無垢な祈りはついに届いた。神か時計の針に。

 ある日、子供たちは全員、窓のない飛行機に乗せられどこかへ運ばれた。

 ドアが開くと眩しい太陽の光の下。先生がそこで両手を広げ立っていた。

 ある種の神々しさに少年は戸惑いを隠せなかった。他の子も同様。その中、先生はニッコリ笑い言った。


『さあ、競争だ』


 そして手を叩いた。

 とても大きな音に少年の肌がビリビリした。

 まだ、状況がよくわからなかった少年だったが目の前を過ぎ去る影、遠ざかる背中にハッとし、足を動かし大地を踏みしめた。

 一斉に走り出した子供たち。飛行機から飛び出し、太陽の下、大地の上へ。


 初めての外。太陽の光と風を浴び少年の気分は高揚していた。情報量に脳が追い付かなかったが今大事なのは自分の順位だと少年は思った。

 少年は四番目を走っていた。

 出遅れた事を悔やんだが歯を食いしばり、腕を大きく振った。足の裏でしっかりと大地を捉え、蹴り上るが中々距離を縮められない。

 何かチャンスはないかと思ったその時、前を行く二人がつんのめった。

 研究所にも運動スペースはある。しかし、ここは研究所の床と違って荒い。そのせいだろうと思った少年は、ここだとばかりに思いっきり走った。その二人を追い抜き、残るはあと一人。


 その背が近くなる。まだ遠いがこのペースなら……。

 少年がそう思った時、急に膝がガクッとなった。

 気を抜いた。

 そうではない。少年はしっかりと地面を踏みしめて走っていた。


 何か、何か変だ。

 そう思った少年が足に目を向けると足から硬そうな根っこが生えてきていた。そしてその根は少年が地面を踏むたびにグッ、グッと地面に刺さり、少年を留めようとする。

 少年はさっきの二人の失速の理由がわかった。しかし、それが諦めの理由にはならない。

 少年は必死に抗った。

 地面を穴だらけにしながら走った。

 一番になりたい。

 それに、この荒野の先に何があるのか見たかった。


 ついに、前を走る子と横並びになった。

 目が合い、お互いにニヤッと笑う。

 言葉は交わさない。必要ない。もとより荒い息の他に口から出せるものはない。

 少年が一歩分、前に進んだ。

 すると彼もまた一歩とお互いに譲らない。

 少年は思いっきり腕を振り、走った。

 すると隣の彼が『あっ!』と声を漏らした。

 少年自身も気づいた。

 濡れてグジュグジュになった紙みたいに少年の皮膚がボロボロと落ちていっているのだ。


 ――構うもんか。


 少年は思いっきり足裏を地面に叩きつけ走る。

 根っこが折れる音がした。それでも少年は止まらない。絶対に。


 視界の端から彼の肩、腕、手と順に見えなくなった。

 それでも少年はスピードを緩めなかった。気持ちの良い太陽と青空の下、どこまでも走っていける気がしていた。みんなもきっとそうに違いない。そう思い、少年は走りながら振り返った。


 もう誰も後ろを走ってはいなかった。

 最後に抜かした彼もだ。みんな立ち止まっていた。


 根が足裏だけじゃない。膝や、太ももからも伸びていた。

 でも、それを拒んではいない。

 ヒーロー。お姫様。ピース。ファイティングポーズ。そしてグーサイン。他にもたくさん、みんな各々好きなポーズをとって固まっていた。木になったのだ。

 少年は立ち止まってその光景を眺めた。

 足から根が地中に伸びていくのを感じる。

 所々剥がれ落ちた皮膚を擦ると、その下に頑丈そうな木の肌が見えた。

 体が固まっていく。

 もう足は動かない。

 ポーズ……。


 少年は人差し指を立てた。


 僕が一番……ううん。


『この指とまれ』だ。

 

 みんな、きっとまたいつか……。




「このエリアもだいぶ進んできたな」


 オランウータンたちは手を顎に当てモニターを見つめていた。

 かつて地球は人間が支配していた。しかし、環境を破壊し、滅亡。荒れ果てた地に残されたのは実験により知性が飛躍的に増大した彼らと環境に適応した僅かな種類の生き物、そして科学だ。

 ただの木をいくら植えてもこの渇いた大地に根付くことはない。そこで彼らは人と木の混じり物を作った。よく栄養を蓄え、時が来れば樹化し大地に根付く。

 試みは上手くいき、地球の治療ももうあとわずかだった。

 オランウータンたちは手を叩きお互いを褒め称えた。もうじき大自然を謳歌し、この星の支配者になる。先祖の願い。それが叶うのだ。


 しかし彼らは知らない。

 眠りには目覚めがあることを。

 木になり、成長を続ける子供たちは、時が来れば目を覚まし、新たな種族として頑丈で巨大なその体でこの星に君臨することとなるのだ。

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